先生が、先週映画を観に行くといっていたというのもありますが、『Where the Wild Thngs Are』と『かいじゅうたちのいるところ』を持ち込んで、質問しまくったのですね。
映画『かいじゅたちのいるところ』のオフィシャルサイト
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おそらく、今までのレッスンの中でいちばん熱心に質問をしていたに違いありません。
もともと週末の予定はと聞かれると毎週のように図書館に行っただの、書評を書いて投稿しただの言っているというのもあるんですけどね。
先生には、児童文学を書く人になるのかと聞かれ、"I want to be a writer" と答えていた、そんな自分に驚きました。
ちなみに、絵本の英語は、日常会話の英語とは全く違うそうです。
そりゃそうですよね。
でも、先生の言い方から想像するに、日本語よりも英語の方が、話し言葉と絵本の言葉に大きく差があるのかもしれないなと思いました。
さて、私が先生にした質問は、まずはタイトルのこと。
怪獣から連想されるのは、monsterだけど?
monsterとwild things ってどう違うの?
どうやらwild things は、beast に近い表現のようです。
野獣ですね。
確かに、野獣を引いてみると、wild animal [beast] と書いてありました。
でも、これらは厳密に違うニュアンスということではないみたいです。
現に、先生は、このストーリーについて話すときに普通にmonsterと言っていたし、どっちでもいいくらいの差ですね。
ただ、タイトルに何を使うのかは、やはり気を使うことでしょう。
そして、英語はthe wild things で、日本語は怪獣でよかったかなと思います。
これはもう感覚的なんだけど、monsterはなんかすごそうだし、野獣もボブ・サップみたいなのを想像しちゃいますから、ストーリーのイメージと合ってこない。
と思っているのは、この原語と訳にもう慣れちゃったからかな。
それからおもしろかったのが、先生が一匹一匹のかいじゅうたちを指差して、映画では一匹一匹にストーリーがあったと教えてくれたことかな。
絵本じゃ区別つけてないけど、ちゃんと雄と雌がいる。
絵本は基本的なストーリーしか持たないけど、映像化するときはその上に世界を築き上げていく。
それが気にいるか気にいらないかになってくるけれど、原作と映画はそういう関係ですよね。
で、先生は、絵本は明るく終わるのに映画は悲しくって、一緒に行った友達は泣いちゃったっていうんですよ。
スパイク・ジョーンズさん、いったいどんなアレンジをかけたんでしょうか!?
これは、気になるから観に行こうかな。
もうひとつ質問したのが、表現について。
英語ははっきり書いてあるのに、日本語はそうじゃないってことに気づいたんですね。
これは、かいじゅうたちのいるところに向かうところと帰ってくるところの表現なんです。
まずは行きです。
===
(原文)
he sailed off through night and day
and in and out of weeks
and almost over a year
to where the wild things are.
(訳文)
マックスは ふねに のった。
よるも ひるも こうかいした。
1しゅうかん すぎ、2しゅうかん すぎ、
ひとつき ふたつき ひが たって、
1ねんと 1にち こうかいすると、
かいじゅうたちの いるところ。
===
次に帰りです。
(原文)
and sailed back over a year
and in and out of weeks
and through a day
(訳文)
1しゅうかん すぎ、2しゅうかん すぎ、
ひとつき ふたつき ひが たって、
1ねんと 1にち こうかいすると、
===
さて、お気づきになられたでしょうか?
2つはどこが違うでしょうか?
英語は行きと帰りが違っていますね。
日、週、年で向かい、帰りは、年、週、日で戻ってくる。
日本語は同じです。
英語は、かいじゅうたちのいるところに行くときには時間が進んでいて、
帰ってくるときには時間が戻っていることをきちんと書いているのです。
ところが日本語はどっちも同じにしてしまっているのです。
日本語では結果から同じ時間場所に戻っていることは分かるのですが、
英語はそれをもっと厳密に表現していたのですね。
比べてみるとおもしろいものですね。