NHKスペシャル「羽生善治 52歳の格闘 〜藤井聡太との七番勝負〜」 | 日々是本日

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 4月15日放送のNHKスペシャル、「羽生善治 52歳の格闘 〜藤井聡太との七番勝負〜」を観た。

 

【再放送】総合テレビ 4月19日(水) 午前0:35~ ※4月18日(火)深夜

【NHK+】配信期限:4月22日午後10時49分

将棋界で無敵の強さを誇る藤井聡太六冠(20歳)が、思わぬ苦戦を強いられた王将戦七番勝負。立ちはだかったのは復調を果たした「レジェンド」羽生善治九段(52歳)だった。AIを駆使して研究を深め、正確無比な読みを誇る藤井。対する羽生は、藤井の経験が少ない作戦を採用、得意とする複雑な展開に持ち込む。両者の持ち味が存分に発揮された「天才対決」。熱戦の舞台裏で何が起こっていたのか、羽生の証言を軸に解き明かす。

※上記の番組公式サイトより引用

 

 現在、最年少記録を懸けて名人戦の対局を行っている藤井さんの話ではなく、「レジェンド」羽生善治(九段)の話である。

 

 先日決着のついた、王将戦七番勝負の話である。

 

 一時は戦績が奮わず将棋界でのランクを落としたが、その後、AIを使っての研究を重ねて勝ち上がり、遂に王将戦の挑戦権を得た。

 

 王将戦七番勝負は今年の一月から始まり、最長で第七局が3月下旬の予定であった。

 

 王将戦の詳細については、下記の公式サイトを参照されたい。

 

▼王将戦公式サイト

 

 先に結果を書いてしまうと、王将戦は四勝した方がタイトル獲得で、羽生さんは2勝4敗で敗れ、第七局は行われなかった。

 

 それでもこの番組は、勝った藤井さんの特集ではなく、負けた羽生さんの特集なのである。

 

 この、それでも羽生さんの特集であるポイントについて幾つか紹介しておきたい。

 

 

将棋もAIの時代である

 番組のナレーションは今回の羽生さんの挑戦をこう評していた。

 

50代でタイトル戦に挑戦したのは羽生が四人目、30歳前後がピークと言われる棋士の世界で驚異的である。

 

 今回の羽生さんと藤井さんの対決が注目された理由の一つは勿論、羽生さんの挑戦が驚異的であるということがある訳だが、これには旧世代と新世代の対決という意味もあると思われる。

 

 そしてこの世代の違いは、現在では、指し手の研究に若い頃からAIがあった世代と、紙の棋譜(指し手の記録)で過去の実践の結果から指し手の研究をしていた世代の違いという意味合いがある。

 

 藤井さんが十代後半からAIでの指し手の研究をしていることは知られていて、最近ではCPUの製造メーカーであるAMDのCMにも出演しているほどである。

 

 

 AIによる指し手の研究のメリットは、通常では考え難いような指し手を候補として挙げることや、実践では感覚的に指しにくいような手を指してくるところにあると言われている。

 

 これは総じて言えば、過去の実践には含まれないような指し手について検討することが、非常にやりやすくなるということである。

 

 このAIでの指し手の研究を若い頃から取り入れてきた新世代と、羽生さんに代表されるような旧世代との対決は、下記のような番組でも注目されている。

 

▼BS1スペシャル「羽生善治と“AI世代”〜絶対王者に挑んだ若手棋士たち〜」

※初回放送日:2020年1月27日

「将棋界の絶対王者」羽生善治竜王。通算タイトル100期という前人未到の記録を目指す羽生と将棋ソフトを徹底研究して力をつけた「AI世代」の若手棋士との激闘を追う。

「将棋界の絶対王者」として君臨してきた羽生善治竜王。通算タイトル100期という前人未到の記録を目指す羽生に待ったをかけるのが、進化する将棋ソフトを徹底的に研究して力をつけた「AI世代」だ。棋聖戦で挑戦者に名乗りを上げた豊島将之八段は「AIの申し子」。タイトル戦で羽生に跳ね返されてきた悔しさを胸に秘め、羽生に挑む。さらに、羽生がリベンジを賭けて挑戦した佐藤名人との名人戦も交え、天才たちの激闘を追う。

※上記の番組公式サイトより引用

 

羽生とAI

 そろそろ本題に入ろう。

 

 羽生さんは20代の頃から、普及しはじめたパソコンを使って、データベース化された棋譜を指し手の研究に取り入れている。

 

 しかし、ナレーションはAIに対する羽生さんの姿勢についてこう語った。

 

コンピュータが切り拓くの可能性に早くから注目してきた羽生。

ただ、AIを積極的に取り入れることには慎重だった。

 

 そして、羽生さんの47歳の時のインタビューが紹介される。

 

わかりやすい例で言うと、(AIは)1年経つと1年前のバージョンに7割から8割ぐらい勝つと言われている。

そうすると今のバージョンも1年経つと駆逐されるということなので、その中に間違いがあるということなんですよね。

もちろん強いのは間違いないけど、絶対的に正しいと思わない方がいいと思う。

 

 この後、実際に勝てなくなるという現実の前にして、羽生さんもまたAIで指し手を研究していく。

 

 ここで紹介された、羽生さんと定期的に研究会を行ってきたという中村太地(八段)のコメントが印象的だった。

 

AIとの付き合い方が、羽生九段ご自身の中でしっくりくる部分が、昨年度から今年度にかけてあったのかなという感じはしてます。

 

 特に印象的だったのはこの「AIとの付き合い方」という言葉であった。

 

 中村太地(八段)のコメントは更に続き、この「AIとの付き合い方」の内実が説明される。

 

評価値だけを追いかけていくと、自分の棋風に合っていなかったりする。

(羽生さんは)自分の持っている能力とAIとのすり合わせをして、一番うまくマッチするところを見つけられた。

 

 これは、評価値を正解として追求していくのではなく、自分の棋風を高めていくための手段としてAIを活用していったということである。

 

 AIの使い方の一つの理想形なのではないかと思われた。

 

 この後で羽生さんは、数ある将棋の戦法の中で幾つかの戦法は今ではあまり指されなくなっているという現実について、こう語った。

 

若い人がそういう方向にいってしまうのはもうしょうがないことだと思います。

目の前にそういう技術があって具体的な数字が見えてしまうので。

まぁただ、将棋の全体の技術の向上とか新たな創造性ということで関して言うと、危険な兆候ということもあると思います。

多様性が失われているということでもあるので、遊びの部分というか、ゆらぎの部分をどれぐらい見極めて新しい可能性を探っていくということですね。

 

 AIの可能性におけるメリットとデメリットを大局的に見ている羽生さんらしいコメントであった。

 

 羽生さんは、これまでにコメンテーターをしている人工知能関連のNHKスペシャルが二本あるので、興味のある方はこちらも参照されたい。

 

▼羽生さんがコメンテーターをしている人工知能関連のはこちら

※NHKオンデマンドでの配信あり(単品:220円・購入期限:2024年4月27日)

 

※NHKオンデマンドでの配信なし

 

 

山場の第五局について

 さて、そろそろ個人的に一番強く思ったことの話に入りたいと思う。

 

 羽生さんは今回の番組のためのインタビューでこう話していた。

 

【質問】

(2018年のインタビューで)

ギリギリの線を打ち返すのがたまらなく楽しいとおっしゃっていましたが、藤井さんみたいな人とやる時というのは、それは楽しい?

 

【回答】

すごい強力なバッターの人がいて、自分がピッチャーだとしますよね。

どのコース投げても打たれそうだと。

で、このコース投げて打たれたと。

じゃあ今度はこっちに投げてみようと。

で、また打たれたと。

で、次、どこ投げようかなというような、そういう感じです。(笑)

分かりますこれ?

それ楽しいですか?

大変でしょ。

 

 この後で解説された第四局は羽生さんが勝って、戦績は二勝二敗になった。

 

 しかしこの後、二連敗してタイトル奪取はならなかった。

 

 第六局の話を先にしてしまうと、この局は藤井さんの得意戦法に工夫を凝らして挑んだが、的確に対応されて負けたという内容だった。

 

 羽生さんは、

全部研究してあったんだと思います。

ホームランを打たれるコースに投げちゃったということですよね。

とコメントしていた。

 

 熱戦だったのは、この前の第五局である。

 

 羽生さんには、藤井さんがAIの最善手を指してくるだろうと読んだ上での秘策があったという。

 

 実際に、藤井さんがAIの最善手を指してくるだろうと狙った局面で、AIの最善手は羽生さんが想定していた通りの手であったが、藤井さんは二時間の長考の末、この手を指さなかった。

 

 つまり、AIの最善手を指さなかったのである。

 

 これは、この後で羽生さんがAIの最善手を指していれば優勢になったということであるが、羽生さんの方の指し手もAIの最善手とはならず、形勢は藤井さんの方に傾いていく。

 

 しかし、この後で更に羽生さんが押し返して、形成は互角のまま終盤戦に突入する。

 

 そして対局開始から18時間後に訪れた羽生さんの分岐的で、AIの評価値は攻めの最善手以外は負けを示していた。

 

 羽生さんは、攻め切る見通しがつかず守りの手を指した。

 

 そして負けた。

 

 この手についての羽生さんのコメントが、下記の記事にあった。

 

 

 具体的なコメント内容はこうである。

 

羽生「その変化はどうですかね……。うーん、あんまりそれは。いや、わからないですけど。ちゃんと調べたわけじゃないですけど。うーん、ちょっと足りないんじゃないかな、と思ってしまったんですけど。そうですか。それを選ぶべきだったんですね。いやちょっと、正確に読みきれなかったような気がしますね」

※上記のYahoo!ニュース記事より引用

 

 確かに、読みの深さの問題ではあったのだと思う。

 

 しかし個人的に思ったのは、「羽生さんはあと何歳若かったら攻めの手を選んだのだろうか?」ということだった。

 

 いつも必要な深さだけ最善の読みができれば理想的ではあるが、これは現実的ではない。

 

 また、勝負というのは理想的ではない状況でどう判断するかが勝敗を分けることもある。 

 

 読み切れていないけど攻める!

 

 この血気があれば、勝てたのではないかと思ったのである。

 

 そして、AIの最善手を指さずに劣勢になったのを押し戻す「レジェンド」の底力と、この血気とは両立しないものなのかと深く思った。

 

 

王将戦全体を振り返っての羽生さんのコメントについて

 さて、番組の最後で紹介された、王将戦全体を振り返っての羽生さんのコメントはこうであった。

 

藤井さんには藤井さんの美学があって、非常に幅広く考えている気がする。

将棋って多い局面だと100通りとか200通りという可能性があるので、ほとんどの可能性を最初から捨てているけど、でもその捨てている可能性の中に結構いい手が潜んでいたり、可能性が潜んでいることもあるので、刺激にもなったし、勉強にもなったというところですね。

どういうことが課題か分かったので、それを踏まえてまた次に向かっていけたらいいなと思いました。

 

 藤井さんは、AIが提示する最善手と実際の指し手の多くが一致することでも知られており、羽生さんはこのことを踏まえた上で藤井さんには美学があると言っている。

 

 藤井さんは、第五局で羽生さんが秘策を狙った局面では、実際にAIの最善手を指さなかった

 

 これはやはり藤井さんも普段の研究において、AIの評価値を正解として追求していくのではなく、自分の棋風を高めていくための手段としてAIを活用している、ということの結果であると思われた。

 

 この将棋というアナログな世界で、AIとの付き合い方の一つの理想的な在り方を見た気がした。

 

 また、羽生さんの健闘振りは、番組タイトルで「52歳の格闘」と言うに相応しい内容であったと思う。

 

 羽生さんの野球に例えた言い方をすれば、どのコースを投げても打たれそうな二十歳の強力なバッターを相手に、ツーストライクまでとって最後にホームランを打たれたという結果であるように見えた。

 勝負の世界は勝ってナンボだとわかってはいるけど、

 

 お見事でした!

 

と言いたい気持ちで胸が一杯になった。