水木しげる「妖怪になりたい」/「なまけものになりたい」(1) | 日々是本日

日々是本日

bookudakoji の本ブログ

 そろそろ、子どもたちの夏休みが終わろうとしている日本の夏である。

 

 大人の夏休みに、今年は水木さんのエッセイを読んでみた。

 

 「妖怪になりたい」と「なまけものになりたい」は、どちらも河出書房の水木しげるエッセイ集である。

 

▼水木しげる「妖怪になりたい」河出文庫2003

妖怪になりたい (河出文庫)

 

▼水木しげる「なまけものになりたい」河出文庫2003

なまけものになりたい (河出文庫 み 5-8)

 

 水木さんのエッセイを収載している本としては既に下記のものがあり、エッセイについては重複している内容が多数あるので購入の際には注意されたい。

 

▼水木しげる「水木しげるのカランコロン」作品社1995

水木しげるのカランコロン

 

▼水木しげる「カランコロン漂泊記 新装版」小学館2010

カランコロン漂泊記 新装版

 

 

 水木しげるさんについては過去に、NHKの本紹介番組である「100分de名著」の記事で取り上げている。

 

 漫画作品についてはこちらを参照されたい。

 

 

 今回は、「妖怪になりたい」の方から、個人的に面白かったところを幾つか紹介したいと思う。

 

▼水木しげる「妖怪になりたい」河出文庫2003

妖怪になりたい (河出文庫)

 

 

絵本の話

 水木さんは子どもの頃から絵が上手くて、小学生の頃は画家になりたかったという話を過去の記事に書いたが、子どもの頃は絵本が好きだったそうである。

 

 十七、八歳の頃は、童話を読んでは、やたらに絵本を作り、たのまれもしないのに七、八十冊も書いた。今でも二十冊くらいは残っているが、主にアンデルセンのものを絵本にしてたのしんでいた。長じて丸善なぞにゆき、外国の絵本をみては買い集めている。

 なんといっても、絵本の世界は色がついているから、いきなり奇妙な世界に連れて行ってもらえる。

※水木しげる「妖怪になりたい」河出文庫2003, P103-104 より引用

 

 「いきなり奇妙な世界に連れて行ってもらえる」から絵本が好きだったというのが水木さんらしい気がする。

 

 絵が空想の世界に引き込むから絵本としての意味があるのであって、やはりこういう読み方が絵本の王道なのだろうと思う。

 

 そして「たのまれもしないのに七、八十冊も」書いてしまうところに、凝り性な水木さんの性格がよく表れているように思われた。

 

 そしてこの後で、こんなことが書いてある。

 

 僕は前から、文字なしで原始時代から(それは自分の祖先ということにしてもよい)ずーっと今日に至るまでのことを千頁位の絵にしてながめると面白いと思っている。

※水木しげる「妖怪になりたい」河出文庫2003, P104 より引用

 

 しかし、こうした本は文字で書かれているばかりで、実際にはおめにかかれていないとも書いている。

 

 ですよねぇ。(笑)

 

 いやぁ、これを水木さんに書いて欲しかったなぁ、と思う次第である。

 

 

妖怪の話

 そして水木さんだから、やはり妖怪の話になる。

 

 よく、ぼくの話に出てくる「小豆洗い」という妖怪だが、これとても、人間のキモチ以外のなにものでもない。

 最近は、山に入る道でも、よくアスファルトが敷かれていて、感じは出にくいが、山道なぞに行って日がくれると、バカにあたりが静かになり、あたりが夕もやのために奇妙な感じのする景色になることがある。そうすると日頃感じなかった川のせせらぎが妙な音を出す(水がふえるとか何か、物理的原因があるのだろう)それがちょうど小豆を洗う音に聞こえる場合、そこに「小豆洗い」は発生するのだ。

 時々そこにゆくと、そういう音がする。そうすると、そこに「小豆洗い」がいるのだということになる。

※水木しげる「妖怪になりたい」河出文庫2003, P104 より引用

 

 ここのところは、読んでいてちょっとビックリした。

 

 水木さんは物理的原因に対して、「それがちょうど小豆を洗う音に聞こえる場合」に人がそこに「小豆洗い」を想うから、「そこに『小豆洗い』は発生する」というのである。

 

 つまり、ソレを感ずる人の心が妖怪を生むということである。

 

 こういうことは確かにあるように思う。

 

 これについては、従軍していた時にニューブリテン島で土人から聞いたアルバラナという妖怪の話も書いてある。

 

※ここでの「土人」というのは現地の住民のことであり、水木さんは自ら親交を深めて感じた印象から、素晴らしい土の人という意味でこう表現している。(p26参照)

 

 アルバラナは、昼はジャングルの中にかくれており、夕方になると出てくる。そして、たき火をしていない家の中に入る。たき火(焔ではなく煙を出すたき火)をしていると入ってこない。

 そして入ってくるとマラリアになったり、いろいろな病気になったりする。

 だからアトバラナを入れないようにするには、たき火をわすれてはいけない——。

 というのだ。

 ぼくは、その話を軍医にするとる、

「そりゃあキミ、蚊だよ。マラリア蚊だよ」

 という。

※水木しげる「妖怪になりたい」河出文庫2003, P104 より引用

 

 この妖怪が、マラリア蚊に刺されないようにするという実利的な意味のためのものであるということは実際にあり得るだろう。

 

 それと同時に、ここに妖怪を想うのは人の心の豊かさであるとも思うのである。

 

 別のところでは霊としての妖怪についても書いている。

 

 “妖怪”の大半は目に見えないが、ある種の“霊”である。

 というのは、アフリカ、東南アジア、ニューギニア、アイルランドなどを回ってみると、それぞれ名前は違っているけれども、日本と同じ霊が形になっているのに驚く。
 そこでぼくは、世界の妖怪の基本型ともいうべきものは千種でまとまる、形のはっきりしたものはそれぞれの国が三百五十種くらいだということが分かったので、それぞれの国の妖精・妖怪を引っ張りだし、各国のものと比較する本を作って、ぼくの思っていることがどこまで本当か試してみようと思っている。
 見えない世界の人々、すなわち神様とか精霊、妖怪のたぐいは、目に見えないからいないのではなく、それはいるのだ。ただとらえ方が難しいのだと、ぼくは思っている。

※水木しげる「妖怪になりたい」河出文庫2003, P205-206 より引用

 

 妖怪というのはこういうことでもあると思う。

 

 少なくとも、妖怪についてあまり画一的な見方をしてしまうのは危険だろう。

 

 それにしても、自分で本にして比較したいというのがまた水木さんらしい。(笑)

 

 

南方の島の話

 水木さんは終戦の前後を南方の島で過ごしているので、この南方の島の話もよく出てくる。

 

 日本に戻ってから、いずれはその島に移住しようと思っていたが家族に反対されて断念したと書いている。

 

 水木さんが その南方の島に移住したいと思うのは、今の日本での生活についてこう感じているからである。

 

 我々は、我々のつくった文明というやつを過大評価しすぎて、本来の生物としての定められた生きかたを忘れてしまっているのかもしれない。その証拠に、土人部落にいき、木や虫と同じように生きている人々の集団の中で暮らすと、文明社会では味わうことのできない不可解な快感が五体にしみわたってくるのをおぼえる。それは、太古からの神が命じたもうた人間の暮らしなのだろう。

※水木しげる「妖怪になりたい」河出文庫2003, P152 より引用

 

 うーん、とは言え自分も、南方の島には移住しない側だろうなぁ。(笑)

 

 別の所では、従軍した南方の島の人のいない森で感じた感動について、こうも書いている。

 

 人の足をふみ入れたことのない森というものは、言葉で説明できない“香り”と、生にも死にも属していないような、形は見えないが“精霊”(かみがみ)みたいなものが感ぜられ、くさった葉や巨大な倒木などをみる度に、そのなんともいえない魅力にぼくは危うく“発狂”しそうになるのをジット我慢したほどだ。

※水木しげる「妖怪になりたい」河出文庫2003, P167 より引用

 

 実際に行ってみたら水木さんのように感じるかもしれいと思ったが、やっぱりここまで感動しないのではないかという気もした。(笑)

 

 一方で、日本でもわざわざ離島に移り住む人はいるから、やはり感性の違いなのだろうかとも思った次第である。

 

 

 

他の漫画家の話(つげ義春さん)

 独特の画風と風変わりな人柄で知られている、つげ義春さんという漫画家がいる。

 

 私が漫画を読み始める前の世代の漫画家であるが、代表作である「無能の人」、「ねじ式」ぐらいは読んだことがある。

 

 水木さんはこのつげさんとの交流の話で、三十年近く前の話であると前置きして、

 

「首の上に頭がついているから重い」

※水木しげる「妖怪になりたい」河出文庫2003, P43 より引用

 

と言っていたという話を書いている。

 

 この当たり前のことを敢えて言われて、水木さんは、これは誰も気づかないことだと驚いたそうである。


 私はこうした当たり前のことを再認識する話をきくと、山頭火の「まっすぐな道でさみしい」という句を想う。

 

 であるから私の場合は、この句が思い出されたということは、この再認識による驚きがかなり大きいということを意味している。

 

 そうなんです、人の頭は重いのです。※動物の脳と体重の比率を表す脳化指数でヒトはトップ

 

 しかし、人の体はこの重い頭を支えられるようにできているのであって、今更これを首で支えているから重いというつげさんのセンスは、やはりなかなか変わっていると思う。

 

 そして三十年経ってもこれを覚えている水木さんの感性も、やはり普通ではない気がした。

 

 

 

他の漫画家の話(池上遼一さん)

 この本は巻末に水木さんと漫画家・池上遼一さんの対談が収載されている。

 

 というのも、池上さんは人気が出る前に水木さんのアシスタントをしていたことがあったからである。

 

 前半のところには「池上青年のこと」というタイトルで、池上さんが水木さんのところへアシスタントとしてやって来た日のことが書かれている。

 

 この時、水木さんは池上さんの声が気になったのだろう。

 

「あんた変わった声しとるねえ」というと、「小さいとき、喉の病気をわずろうともんやから」という話だった。

※水木しげる「妖怪になりたい」河出文庫2003, P47 より引用

 

と書いている。

 

 そこまで忘れられないほど印象的な声だったのか、水木さんの感性によるものかはわからない。

 

 池上青年はすぐに働くといい出した。「一日休んだら」といったが、きかなかった。当時、ぼくのところは一時から夜中の三時頃まで仕事をやっていたが、池上青年は、だまって手のいたくなるほど書いた。
※水木しげる「妖怪になりたい」河出文庫2003, P47-48 より引用

 

 そして一、二年たってから、連載が決まったので水木さんのアシスタントを辞めたそうである。


 自分が読んだ池上さんの作品はこの時点からそれなりに後のものであるが、この努力にしてこの画力ありということなのだろうという納得感があった。

 

 さて、対談の方に話を戻すと、冒頭はまず水木さんが、

 

「あなたは、いまいくつ?」

 

と訊くところから始まっている。

 

 58歳だと言う池上さん。

 

 ちなみに水木さんは81歳である。

 

 そして池上さんが、水木プロに入ったのは36年前だったと言う。

 

 話の内容はアシスタント時代の思い出話が中心である。

 

 会話の雰囲気からすると池上さんがアシスタントを辞めてから、親交は特になかったのではないかと思われた。

 

 終盤でこんな会話をしていたからである。

 

水木 あんたはずっと描いて飯食ってきたわけだ。

池上 まあホント僕はおかげさんでね。 

水木 ずっと描いて飯食ってきた人珍しいんじゃない? やっぱりマンガで飯食うのは大変。しかし、八十近くまで平気だね。

※水木しげる「妖怪になりたい」河出文庫2003, P217-218 より引用

 

 この後、水木さんが亡くなるのが2015年(享年93歳)で、浦沢直樹さんが漫画家と対談する「漫勉」という番組で池上さんの生の声を聞いたのが2016年である。

 

 ちなみに声の印象については、(その後に良くなったのかもしれないが)特に変わっていると思ったような記憶はなかった。

 

 

 この番組に出演した当時、池上さんは72歳、2023年の今では79歳!

 

 漫画雑誌「ビッグコミック スペリオール」に「トリリオンゲーム」連載中である。

 

 

 凄いなぁ。

 

 ということで、対談の最後の池上さんのコメントを紹介して終わろうと思う。

 

僕は水木プロに入って運をもらったかもしれないですね。先生の強運を。

※水木しげる「妖怪になりたい」河出文庫2003, P217-218 より引用

 

(次回、「なまけものになりたい」の記事に続く)