NHK「理想的本箱 君だけのブックガイド」/将来が見えない時に読む本(2) | 日々是本日

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bookudakoji の本ブログ

 NHK「理想的本箱 君だけのブックガイド」はEテレの本の紹介番組である。

 

【番組紹介】
静かな森の中にある、プライベート・ライブラリー「理想的本箱」。 あなたの漠然とした不安や悩み、好奇心に答えてくれる一冊を、この世に存在する数えきれない本の中から見つけてくれる、小さな図書館です。 これから長い人生を生きていくあなたに素敵なヒントを与えてくれる本を、あなたの心に寄り添って一緒に見つけてゆきます。

※上記公式サイトより引用

 

 各回毎にテーマが設定されており、

「理想的本箱」主宰・吉岡里帆
「理想的本箱」司書・太田緑ロランス
「理想的本箱」選書家・幅允孝

の三人によって毎回3冊の本が紹介される30分番組である。

 

 昨年の放送を観て、今年から各月の最初の記事は、この番組の各回を順に取り上げることにした。

 

 番組の詳細については、過去の記事を参照されたい。

 

 

 選書家となっている幅允孝(はばよしたか)さんは、主に書店や図書館のプロデュースを手掛けるBACHという会社の代表をしている人で、詳細は下記のリンクを参照されたい。

 

 

 さて、これまで放送された8回のテーマは以下の通りである。

 

2021年:第3回 将来が見えない時に読む本
2022年:第1回 もっとお金が欲しいと思った時に読む本
2022年:第2回 ひどい失恋をした時に読む本
2022年:第3回 母親が嫌いになった時に読む本
2022年:第4回 父親が嫌いになった時に読む本
2022年:第5回 人にやさしくなりたい時に読む本
※初回放送順

 

 今回は、2021年放送分の第3回「将来が見えない時に読む本」の二冊目の記事である。

 

 一冊目については過去の記事を参照されたい。

 

 尚、この回は4月16日に再放送があったので、NHKプラス4月23日の午後3時50分まで視聴できる。

 

 

 NHK「理想的本箱 君だけのブックガイド」選定書

 

・将来が見えない時に読む本(初回放送日:2021年12月23日)
 伊藤比呂美「女の一生」岩波新書(2014)
 斉須政雄「十皿の料理(御馳走読本2)」朝日出版社(1992)
 茨木のり子「永遠の詩02 茨木のり子」小学館(2009)

 

斉須政雄「十皿の料理(御馳走読本2)」朝日出版社(1992)

 二冊目は料理の本だった!

 

十皿の料理 (御馳走読本)

【内容】
牛尾の赤ワイン煮、仔羊のロースト、トリュフのかき卵、しそのスープ、赤ピーマンのムース…。十皿の料理に、著者のフランスの十二年間が結実する。さりげなく、究極の味!

【著者略歴】

1950年2月28日、福島県白河市生まれ。18歳より料理の道に入り、1972年「レジャンス」入社をきっかけにフランスに渡る。
1985年帰国。翌年2月「コート・ドール」料理長となり現在に至る。
著書に『メニューは僕の誇りです』(新潮社)、『調理場という戦場――「コート・ドール」斉須政雄の仕事論』(朝日出版社)、『少数精鋭の組織論』(幻冬舎)など。

※上記バナーの Amazon 商品サイトより引用

 

 この番組の放送後に重版されたということで、新しい帯が付いている。

 

 帯のコメントが小さくて読みにくいので、出版元である朝日出版社の商品サイトから引用しておく。

 

仕事と自分をどう近づけ、誠実で幸せな向き合い方を実現させていったのか?修行時代の経験と哲学を凝縮させた十皿が、ユーモアと感謝に包まれて差し出される、読み継がれるべき潔い1冊。
――幅允孝さん(ブックディレクター)

この本を読む度に胸が詰まって涙が出そうになるのは、あまりにも愚直にハードルを越えようとする姿が美しいから。日本のフランス料理界の宝とも言えるシェフのありようは、本書で描かれた頃も今も変わりません。
――君島佐和子(フードジャーナリスト)

 

 幅さんは番組でも、手に取った仕事を自分の理想にどう近づけていったのかが書いてある本であると言っており、料理人になりたい人だけが読む本ではないと思っているとも言っていた。

 

 著者の斉須さんは1950年生まれで、1972年に渡仏、その後の1986年に東京の三田に自分のレストランを開業、以来、放送当時71歳であるが現役で厨房に立っているそうである。

 

 この本が出版されたのは1992年なので、自分のレストランを開業して数年後の42歳の時に出版された本である。

 

 下記の Amazon 商品サイトの試し読みページで「はじめに」を読んでみたところでは、自分のレストランを開業した数年後に、自分の支えになっているメニューを振り返ってみたということであるように思われた。

 

※「はじめに」の試し読みページあり

 

 ちなみに、この十皿のメニューは目次によると下記の通りであるが、自分にはどんな料理か具体的にイメージできないものが多かった。(笑)

 

第一皿 牛尾の赤ワイン煮
第二皿 季節の野菜のエチュベ
第三皿 仔羊のロースト
第四皿 根セロリとリ・ド・ヴォーの煮込み
第五皿 トリュフのかき卵
第六皿 ソーモンのタルタル モンブラン
第七皿 おこぜのポワレ
第八皿 しそのスープ
第九皿 えいとキャベツ
第十皿 赤ピーマンのムース

朝日出版社の商品サイトから引用


 さて、番組ではまず「はじめに」のところから次の言葉が紹介される。
 

僕が得た最大の宝物は、

『なにごともやってみなくては分からん』ということを知ったことです。

 

 大人になってからこう思うのには重要な意味があるように思う。

 

 一つには、大人になるまでこう思う経験をしてこなかったということであり、もう一つは、それ故に大人になってからこのことに気づいた時のインパクトは大きいということである。

 

 「はじめに」のこの部分の後には、先入観を持たないことの大切さが書かれていた。

 

 これまで先入観を持って知った気になっていた自分に気づき、実は知らなかったということが自覚されて、では知るためにどうしたらいいかということの解決が、やってみるということであったのだと思う。

 

 「やってみなくてはわからない」というのはよく言われることではあるが、プロの料理人が敢えてこう言うに至ったプロセスを想像してみると、普段は思わない重みが感じられた。

 

 幅さんはこの後で、著者は自分の料理の個性を作業も時間も最小限で抑えることであると言っており、このことがよくわかるのが第二皿の「季節の野菜のエチュベ」であるという。

 

 エチュベというのは蒸し煮のような料理で、映像での内容紹介では著者本人による調理工程がナレーションと共に紹介された。

 

 ナレーションの内容はこうであった。

 

僕はこの料理を作る時、いつも将来を夢見ながら集団就職列車に乗っている沢山の若い人と、フランスで頼りない思いをしていた頃の自分とを思い重ねてしまいます。

ぺこぺこ頭を揃えたそこらへんにあるなんでもない野菜が、作り手の力量次第で上等な料理にもなればつまらない料理にもなる。

受け入れる社会がどういう風に扱うかで、野菜の運命はそこで決まるんです。

作り手次第なんです。

金の卵にするか踏みにじるか。

材料はそれ相応の旨味を大切にすべきで、持ち味以上の旨さを持たせることは材料に対して失礼、下品なことだと僕は思っています。

一見ありふれたもののようではあるが、いったん口にするとその鋭さに圧倒される。

本当にいいものは、何でもないように普通の顔をしていて無駄がない。

こんなのは僕の理想形です。

そしてこんなありふれた料理にこそ、五感を研ぎ澄まして臨まなければ

本当にありふれた料理になりかねません。

当たり前の顔をしてすごいというのは、能く考えた結果だと思います。

料理も、もちろん、人間もです。

 

 番組ではこの後、意外にも実際の料理の試食が始まった。

 

 そして、この味わいは素材だけではなく人だったり環境だったり苦労だったりに感謝しているところから生まれているのではないか、という趣旨の幅さんのコメントでこの本の紹介は終わる。

 

 毎度のことながら説明が少ないので、この本を「将来が見えない時」に読むといい理由をもう少し考えてみたい。

 

 第二皿のナレーションではまず、材料と自分を含めた若い人が重ねられる。

 

 そして、「受け入れる社会がどういう風に扱うかで野菜の運命は決まる」と言う。

 

 大人の読者が受け入れる側の立場で読むと、若者がいい人材に育つかとうかは受け入れる側の扱い方次第という意味になる。

 

 それでは、扱われる側の若者はどう受け止めたらいいのだろうか。

 

 これは、なんでもない野菜でも持ち味を大切にすれば上等な料理になるということであると思う。

 

 言い換えれば、自分の持ち味を磨いていけば相手を圧倒するような鋭さを持つようになれるということになる。

 

 あれもこれもできないとダメと考えるのではなく、自分の無駄をそぎ落として自分の持ち味を磨くことに専心していく。

 

 この修行においては、自分の持ち味を磨くのと材料の相応の旨味を大切にするのとは同じことである。

 

 だから斉須さんは、この料理と自分を含めた若い人を重ねてしまうのだろうと思う。

 

 そして、この修行の結果として一人前の料理人になったという経験が、作業も時間も最小限に抑えるという料理の個性に結実したということであるように思われる。

 

 「なにごともやってみなくては分からん」ということに気づいて先入観を捨てたというのも、修行の中で自分の無駄をそぎ落とすということの一部だったのではないだろうか。

 

 また、ここでの自分の持ち味を磨くという在り方には、才能がないからできない、良い環境がないからできないといった言い訳、あるいは、諦めの否定が含まているようにも思う。

 

 だからこの選書のメッセージの一つは、「無いものよりも有るものに目をむけよう」ということであると感じた。

 

 そしてこのことは、将来が見えない不安とも関係しているように思われる。

 

 自分も野菜もその中にある持ち味に目を向けていくことによって、自ずと上等になるのであれば、案ずるよりも励むことだ。

 

 斉須さんは「はじめに」で、この十皿の根底にあるのはすべて「誠実さ」であると書いている。

 これは、何がないからできないと言わずに自分自身と向き合う「誠実さ」でもあると思う。

 こう考えてみると、この選書は「将来が見えない時に読む本」としてなかなか相応しいように思われた。
 

 そして、若い人が自分自身と向き合っていくためのヒントがあると思う。

 

 幅さんはこの本の帯でポイントとして、「仕事との誠実で幸せな向き合い方」、修行時代の「経験」と「哲学」の三つを挙げているが、これは「仕事と誠実に向き合う為には、経験から培われた哲学が仕事の結果に反映される」という循環が大切であると言っているとも読める。

 

 斉須さんが経験から得た哲学とは、先入観を排して素材の持ち味を活かすということであって、これが自分の持ち味を活かすということならば、まず自分の持ち味に気づく必要がある。

 

 そして、この哲学に至るための経験とは何かと言えば、それは無駄をそぎ落としていくということであった。

 

 このことを自分の持ち味を活かすということに置き換えて言うならば、自分の持っているものを吟味して無駄をそぎ落とし自分が本来持っている良さを見つけるということである。

 

 余計なものをそぎ落としていくことによって本質的なものに目を向けるということは、人生において実に大切な作業であると私は思う。

 それ故、若い人には実際に何かをやってみる過程でこの作業の意味を実感しながら、自分自身と向き合っていって欲しいと願う。


 そして、このことが料理を通して体験できるというのがまた、この本が料理の本であることの良さであると思われた。

 

 ということで予定通り長くなったので(笑)、将来が見えない時に読む本(3)の記事につづく。