映画「ターミナル」/映画「キャスト・アウェイ」 | 日々是本日

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bookudakoji の本ブログ

 前回の記事で映画「ターミナル」を紹介した。

 

 

 同じトム・ハンクス主演の映画「キャスト・アウェイ」との比較についても書こうと思っていたがそこまで進まなかったので、今回はこの点をメインにした記事である。

 

 本当は昨日、投稿の予定であったが読み直して推敲した為に一日遅れの投稿になった。

 

 さて、映画「キャスト・アウェイ」(原題:Cast Away)は2000年製作、ロバート・ゼメキス監督のアメリカ映画である。

 

 

キャスト・アウェイ [Blu-ray]

【ストーリー】
世界宅配便“フェデックス"の敏腕システム・エンジニアであるチャックは世界中を駆け回り、システム上の問題解決に明け暮れていた。
ある日、彼の乗った飛行機が事故を起こし無人島に漂流してしまう。
過酷な環境の中4年が経過。ついに彼は無人島を脱出し、文明社会の現実へ戻る。
だが、そこで彼を待っていたのは、更なる厳しいもうひとつの試練だった……。

※上記バナーの Amazon 商品サイトより引用

 

 この作品のメインの部分はトム・ハンクスの無人島生活で、DVD版のジャケット写真の表情は実に険しい。

 

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 尚、この作品単独ではこのブログで過去に紹介しているので、個別の感想についてはこちらの記事を参照されたい。

 

▼映画「キャスト・アウェイ」の記事(2018年10月11日)

 

▼映画「キャスト・アウェイ」予告編



---以下、ネタバレ注意!---

 

 

■状況の共通点

 

 まずこの二つの作品の基本的な共通点として、どちらの作品のでも主人公は限られたエリアに閉じ込められている。

 

 それは「キャスト・アウェイ」では無人島であり、「ターミナル」では空港の乗り継ぎロビー

である。

 

 「ターミナル」では孤独ではないが、その場所に投げ出された時の孤立無援な感じには通じるものがある。

 

 そして、この限られた状況の中で奮闘する姿には、どちらの作品でも生き抜く力を感じる。

 

 この限られたエリアに滞在した時間は「キャスト・アウェイ」では四年で「ターミナル」では90日である。

 

 無人島での孤独の四年はあまり想像したくないほど長いが、多くの人々が目の前を通り過ぎていくロビーでの90日にもあまり想像したくないしんどさが思われる。

 

 この閉じ込められている時間において心の支えとなるのは、一般的には「希望」であると言われることが多いように思うが、どちららの作品でも感じられたのはもう少し具体的な「信念」と言うべきもであると思われた。

 

 「キャスト・アウェイ」では無人島に流れ着いた宅配の荷物を届けるという信念があり、「ターミナル」ではジャズクラブでサインを貰うという信念があった。

 

 

■人はどこで何を待つのか

 

 「キャスト・アウェイ」の主人公は無人島で砂浜に書いたSOSの文字が発見されるのを待っていたし、近くを船が通るのも待っていた。

 

 「ターミナル」でもビクターとアメリアはそれぞれに連絡を待っていた。

 

 ビクターは更に、アメリアのフライトからの帰りも待っていた。

 

 限られたエリアに閉じ込められている訳ではないアメリアは、待っているという状態において心理的には限られたエリアに閉じ込められていると感じられた。

 

 そして、この待っている時間は心に何かを募らせていく。

 

 「キャスト・アウェイ」の主人公は死を覚悟して無人島から筏で脱出し、ビクターは壁にプレゼントを作り、アメリアは不倫関係を断ち切った。

 

 限られたエリアに閉じ込められた二人の主人公とアメリアの対比は、日常生活の中でいろいろな事に期待している我々が、実は心理的にはそれに閉じ込められているという事を暴露しているように思われた。

 

 そうであるならば、この閉じ込められて待っている時間の間に心に積る何かは、良くも悪くもいずれ行動に現れると心得ておくべきことだろう。

 

 

■何が描かれていた作品だったのか

 

 作品のテーマについて、それぞれに違っているところはあるが、全体的な共通点から考えられることは何であろうか。

 

 「キャスト・アウェイ」というタイトルは原題の「Cast Away」そのままであり、忘れ去られた人という意味である。

 

 忘れ去られた「キャスト・アウェイ」の主人公は現実社会に戻り新しい人生を歩み始める。

 

 個人的には、この映画のメッセージは、

道がそれてしまった人生も、流れに導かれて再びどこかに辿り着く。

ということなのだと感じた。

 

 一方で「ターミナル」は主人公が持ち前の人柄によって周りの人々に助けられ、信念を貫き通して父との約束を果たし、祖国に帰るという話である。

 

 アメリアもまた不倫相手の許に帰っていく。

 

 ここに両作品それぞれの別の意味合いを読み取ることはできるが、長い待ち時間から解放された後の人生という点での共通性を考えることもできるように思う。

 

 心理的な意味で待つということが現実的に閉じ込められているかどうかによらないように、以前とは違った生き方をするということは、元の場所に帰るかどうかにはよらないのではないだろうか。

 

 アメリアは不倫相手の許に帰っていくが、もう一方的に待つだけのあり方ではないかもしれないし、ビクターの緊急用ビザを手に入れるという目的は果たしたからいずれは別れるつもりかもしれない。

 

 父との約束を果たすということに縛られていたビクターは、約束を果たした後の新しい人生を歩むことだろう。

 

 それ故どちらの作品も、人生においてしばしば訪れる待つという時間において、この時間をどう過ごすかということに応じて、その後の人生が変わってくということを描いていたように思うのである。

 

 

 ということで、これらのことをテーマとしている映画はそれぞれに幾つもある訳だが、今回は比較してみることで幾つかの点が際立って感じられたということから、敢えてこの記事を書いた。

 

 年内の記事はこれが最後の予定なので、皆さま、よい新年をお迎えください。