100分de名著 100分deパンデミック論 | 日々是本日

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【公式】100分de名著:2022年スペシャル 100分deパンデミック論

 

 「100分de名著」は各回 25分×4週 = 100分 で毎月一冊の名著を紹介するNHKの番組である。

 

 年始の特番は特集テーマの100分番組になる。

 

 2022年1月3日に放送された2022年スペシャルのテーマは「パンデミック論」だった。

 


 取り上げられた作品と紹介者は下記の通りである。

第1章 グローバル資本主義の限界

 ジジェク「パンデミック」斎藤幸平(経済思想家)
第2章 パンデミックとケア

 ウルフ「ダロウェイ夫人」小川公代(英文学者)
第3章 奴隷根性を打ち砕け!

 「大杉栄評論集」栗原康(政治学者)
第4章 露わになる社会の本質

 サラマーゴ「白の闇」高橋源一郎(作家)

 今年のテーマが「パンデミック論」なのは、「ですよねぇ」という気がするが、日本人作品は「大杉栄評論集」だけで、しかも文学作品ではなく評論集だった。

 

 日本文学はテーマに即した作品の層が薄いということだろうかという点が気にはなった。

 

 オープニングでは パンデミックで浮かび上がってきた問題として特に、エッセンシャルワークとケア労働への負担、公助なき社会の貧困、気候変動が挙げられ、我々が今後どのような生き方をしていけばよいのか4冊の名著からそのヒントを探るという。

 

 それでは、各章についてみていくことにする。

 

■第1章 グローバル資本主義の限界

 ジジェク「パンデミック」斎藤幸平(経済思想家)

 

▼ジジェク「パンデミック」(Pヴァイン:2020年6月)

 

▼2021年2月出版の続編はこちら

【著者について】

1949年スロヴェニア生まれ。哲学者。リュブリャナ大学社会科学研究所上級研究員、ロンドン大学バークベック人文学研究所インターナショナル・ディレクター。哲学や政治理論における新地平を切り拓き、文学や映画を縦横無尽に論じている。

 

※上記バナーの Amazon 商品サイトより引用

 たとえばアメリカのエッセンシャルワーカーが貧困層によって構成されている問題の原因はグローバル資本主義にあり、こうした問題を解決するために改良された社会主義に移行する必要があるというのがジジェクの考えである。

 

 ジジェクの引用が紹介される。

「「貧困のパンデミック」を攻撃せずに、「ウィルスのパンデミック」を終息させることなどできないのだ。」

 これを今、声高に言う理由は、パンデミックを終息させて以前のグローバル資本主義に戻っても未来はないからだという。

 

 この後も、パンデミックは現実の資本主義の問題に直面する機会、感染拡大から地球温暖化まで生存そのものを脅かすあらゆるカタストロフィの氷山の一角であり、全世界的な緊急事態への「最終リハーサル」として説明される。

 それにも関わらず、人は現実を直視する「知への意志」に向かうのではなく、「あまり知りたくないという意志」に向かうという。

 普通にもっともらしい。

 既にフロムは1950年頃の段階で、我々は自由を求めているようであって、実は自由な現実から逃げ出すのだと言っているのであり、人が現実を直視しないという自己欺瞞的傾向に今更驚く理由は何もない。

 

 

 

 ジジェクは「我々が直面している選択は、野蛮か、それともある種の再考案された共産主義か」であり、あたらしいコミュニズムが必要だという。

 論者の斎藤さんは、このコミュニズムとは生活の経済的基盤、医療、教育などのコモンズ(共有財)に依拠した社会であると説明される。

 

 新らしさが何も感じられない。

 

 今の主義の問題を変えるために新しい主義にすればいいというアプローチは今の世界の問題を解決していない。

 

 個人的にはジジェクの提案よりも、論者の高橋さんの以下のコメントが刺さった。

お金を払って嫌なことは全部任せる、これが僕らがたどり着いた資本主義的な果てである。

 なぜなら、今こうなっている原因は、我々が精神的・生活的に満たされるための枠組みを、世代を超えて維持していくことに失敗している結果だと考えるからである。

 

 この失敗を主義の問題にすり替えてはならないと思う。

 

 我々が精神的・生活的に満たされるための枠組みが埋蔵されているのは文化であり、我々は文化の継承に失敗しているのだ。

 

 そして、このために文化を論じるよりも、今、近くにいる人の痛みを感じる方が救いがあるように思われる。

 

 その理由は、貧困が問題である理由の核心は「貧しさそのもの」ではなく、「貧しい人を見て(自分が貧しいか豊かであるかによらず)自分の心が痛む」ところにあると思うからである。

 

 

■第2章 パンデミックとケア

 ウルフ「ダロウェイ夫人」小川公代(英文学者)

 

▼ヴァージニア・ウルフ「ダロウェイ夫人」集英社文庫2007

ダロウェイ夫人 (集英社文庫)

【作品紹介】

モダニズム小説の傑作
現在と過去を自在に行き来し、青春時代を回想する「意識の流れ」の文体で、クラリッサ・ダロウェイの1923年6月、第一次大戦の傷跡残るロンドンのある一日を描く。モダニズムの代表作。

 

※上記バナーの Amazon 商品サイトより引用

 原著の出版は1925年である。

 

 当時のロンドンはスペイン風邪が流行った後であり、政治家の妻でるダロウェイ夫人はスペイン風邪から回復した後で、心にはまだ暗い影が残っている。

 

 この作品は、健康な人々から成る死が遠ざけられている世界に対して、実は死は身近にあり、病んだ者の弱者の視点からは世界は違ったように見えるということを描いている。

 

 このことは、今まさに、コロナというパンデミックによって我々が体験していることの一部である。

 

 そして、このように死の影によって生を射照することは、健康に生きている今に基づく際限のない欲望へのアンチテーゼになるだろう。

 

 ここで思い出されるのが、西洋の思想的伝統はメメント・モリ(死を想え)ということではなかったかということである。

 

 西洋でも思想的伝統は滅びつつあるのかもしれない。

 

 本棚からこの本を引っ張り出してみた。

 

▼藤原新也さんの写真エッセイ集「メメント・モリ」

 

▼復刻版はこちら

 

 

■第3章 奴隷根性を打ち砕け!

 「大杉栄評論集」栗原康(政治学者)

 

▼「大杉栄評論集」岩波文庫1996

大杉栄評論集 (岩波文庫)

【作品紹介】

関東大震災の時,憲兵隊によって虐殺された大杉栄(1885-1923)は,100年近く前にすでに現代の問題を鋭く予感し,自らの身体と感性で格闘していた先見的思想家である.自由な徹底した個人主義者にして社会主義者たる大杉の炸裂する精神の動き,流れを再構成できるよう,1912年から23年までの評論39篇を年代順に配列,収録した.

 

※上記バナーの Amazon 商品サイトより引用

 

 アナーキズムというのはもともとは「無支配」という意味であるという話から始まった。

 

 第3章のタイトルが「奴隷根性を打ち砕け!」となっているのは、評論集の中の「奴隷根性論」(1913)に由来している。

 弱者は強者に対する服従に慣れてしまうものであり、金を稼ぐために国とか社会とか上から言われたことに盲従してしまうのであれば、資本主義も金による奴隷制度だという。

 

 次に「自我の棄脱」(1915)が取り上げられる。

 

 ここでは、我々が自分だと思っている思想や感情などは実は他人の自我であるという指摘がされる。

 

 我々がいかに環境や社会に大きく影響されている存在であるかということは、現代においては我々一人一人が当たり前のように知っておくべきことであると思うので、ここではこれ以上書かない。

 

 作品紹介にあるように「現代の問題を鋭く予感」はしていたのだろうが、現代の問題を予見していた人は沢山いる。

 

 だから現代の問題は、「我々は予見されている問題の解決に失敗する」ということである。

 

 

■第4章 露わになる社会の本質

 サラマーゴ「白の闇」高橋源一郎(作家)

 

▼ジョゼ・サラマーゴ「白の闇」河出文庫2020

白の闇 (河出文庫)

【作品紹介】

「いいえ、先生、わたしは眼鏡もかけたことがないのです」。突然の失明が巻き起こす未曾有の事態。運転中の男から、車泥棒、篤実な目医者、美しき娼婦へと、「ミルク色の海」が感染していく。善意と悪意の狭間で人間の価値が試される。ノーベル賞作家が、「真に恐ろしい暴力的な状況」に挑み、世界を震撼させた傑作長篇。


【著者紹介】
ジョゼ・サラマーゴ
1922年ポルトガル生まれ。82年『修道院回想録』、84年『リカルド・レイスの死の年』で数々の文学賞を受賞。
95年の本書は世界各国で翻訳され、映画化。98年ノーベル文学賞受賞。2010年没。

 

※上記バナーの Amazon 商品サイトより引用

 最後はノーベル賞作家の文学作品である。

 

 作品紹介だけではわかり難いので補足すると、突然の失明するという感染症により患者は隔離され社会とのやりとりが遮断される。

 

 この非日常的な閉塞状況で暴力的な支配が展開されていくという内容である。

 

 論者の高橋さんによれば、サラマーゴはカミュが「ペスト」で書き切っていないパンデミックの真の恐ろしさを書いたという。

 

 カミュが「ペスト」で感染症を乗り越えていく姿を描いたのに対して、感染した側の視点で徹底的に描いたのが「白の闇」であるという。

 

 暴力的な支配の犠牲になっていく人々には、資本主義で切り捨てられる人々が連想された。

 

 パンデミックが終息し物語は終わるが、最後はこうだという。

わたしたちは目が
見えなくなったんじゃない。
わたしたちは目が見えないのよ。
目が見えないのに、見ていると?
目が見える、目の見えない人ぴと。

 我々は社会の何を見て、何を見ていないのか。

 「心焉に在らざれば視れども見えず」(大学)と言う言葉が、温故知新される。

 

 新しさはないが、この「目が見える目の見えない人ぴと」という刀で、我々自身に切り込んだのが進歩と言えば進歩だろうか?

 

 

■総評

 

 パンデミックが社会を揺さぶったことは間違いない。

 社会の矛盾、弱者の立場、人間性の暗部(暴力・権力と支配)、人間にとって大切なもの、「見ないふり」をする精神構造、こうしたものが見やすくなり考えやすくはなった。

 この番組が制作され放送されているということもその一端であると思う。


 しかし、人はポストコロナと言いながら、現実ではプレコロナに戻っていると指摘されている。

 どうしてそうなるのかと考えるにそれは、何も変えずに、つまり、一方ではプレコロナの現実にしがみついたまま、新しい解決がきたら渡りに舟のように乗り換えたいと頭で考えてしまっているところにあるのではないだろうかと思う。

 

 この結果、現代の問題は「我々は予見されている問題の解決に失敗する」というところにあるのであって、「白の闇」を読んで「心焉に在らざれば視れども見えず」(大学)を温故知新するだけでは、最早たりないだろう。

 

 まず一歩進むためにどうしたいいだろうか。

 

 フロムの「自由からの逃走」から70年以上が経ち、更に深刻化した問題がパンデミックで見えてきた。

 

 我々は更に弱くなり、現実との直面を避けるようになった今の状況を「現実からの逃走」と言うならば、「現実と直面することから逃げない」というところから始めなくてはならないだろう。

 

 

▼NHKオンデマンド(単品販売は1月11日から、購入期限は2022年12月28日)

https://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2021118060SA000/