保立さんの「現代語訳 老子」を少しずつ読んでいる。
※本の概略についてはこちらを参照
■第3部 王と平和と世直しと
第三課 平和主義と「やむを得ざる」戦争
第72講のタイトルは「老子の権謀術数――「柔をよく剛に勝つ」」である。
「柔をよく剛を制す」とは今でも言われることだが、もともと老子はどのように語っていたのだろうか。
取り上げられるのは原典36章である。
【現代語訳】
敵国を抑える必要があるときは、しばらくやりたいようにさせておけ。弱める必要があるときはしばらく強くなる方へ導け。衰えさせようと思えば勢いよくさせ、何かを奪い取る必要があるときは、何かをあたえておけ。柔弱なるのが強硬なものに勝つためには、機微に明らかであることが必要だ。私たちは魚のように川の淵から離れずにいなければならない。国の利器を人に見せびらかすようなことはできないのだ。
【書き下し文】
将(まさ)に之を歙(おさ)めんと欲(す)れば、必ず姑(しばら)く之を張る。将に之を弱めんと欲(す)れば、必ず姑(しばら)く之を強くす。将に之を廃(はい)せんと欲(す)れば、必ず姑(しばら)く之を興す。将に之を奪わんと欲(す)れば、必ず姑(しばら)く之を与えよ。是れを微明(びめい)と謂う。柔弱は剛強に勝つ。魚は淵(ふち)より脱すべからず。国の利器(りき)は、以て人に示すべからず。
※保立道久「現代語訳 老子」ちくま新書p393-394
保立さんは、老子は平和を理想としたが自衛力を持つことは否定しなかったと言っている。
そして、「軍事の実力を隠して相手を翻弄しようというのである」(p395)としている。
文面の直接的な理解としてはこの通りだと思うが、個人的には老子はそもそも、相手の軍事力を知って勝るなら攻めるという在り方も、相手に軍事力を誇示して服従させるというやり方も良しとしてはいなかったであろうから、「人に示すべからず。」という部分はそのまま「誇示するようなものではない」と受け止めておきたい。
また保立さんは、「川の淵の魚」の例えは、この36章の前の35章の「「大象を執りて天下を往く」というフレーズを受けたものだと思う」(p396)と言っている。
この例えについては、用心深く周囲を窺い縄張りを守る渓流の鱒が連想された。
この部分を、侵略を戒めていると読むのは、深読みしすぎだろうか。
さて、次に取り上げられるのは原典69章である。
【現代語訳】
兵法に、「向こうから仕掛けさせて応戦するだけにし、相手が一寸でも攻めてきたら十倍は退く」という格言がある。進軍していても隊列をみせず、威嚇するけれどもふり挙げた臂はみせず、武装していても兵器はみせず、向こうには敵はみえないというゲリラ戦法である。これを逆に言えば、軍事行動にとっての禍は無敵の軍隊をもってしまうことにある。無敵になると、それは宝を失うのとほとんどかわらない。「兵力が拮抗しているときには、結局、惨酷な目に哀しんだ経験が深い方が勝つ」といわれる通りだ。
【書き下し文】
兵を用うるに言有り。吾れ敢えて主(しゅ)と為らずして客(かく)と為り、敢えて寸を進まずして尺を退く、と。是れを謂うに、行くに行(れつ)なく、攘(かか)ぐるに臂(ひじ)なく、執(と)るに兵なく、扔(むか)うに敵なし、と。禍(わざわい)は無敵なるより大なるはなく、無敵ならば吾れが宝を喪(うしな)うに幾(ちか)し。故に兵を抗(あ)げて相い若(ひと)しければ、哀しむ者勝つ。
※保立道久「現代語訳 老子」ちくま新書p397-398
前半部分は具体的な戦術の説明である。
後半部分について保立さんは、こう述べている。
「国にとっての禍は無敵の軍隊をもってしまうことにある。」という断言は実際に説得力をもっていたに違いない。そして、それを前提として、最後の「兵を抗(あ)げて相い若(ひと)しければ、哀しむ者勝つ」という部分を読むと、その含蓄の深さに打たれるのである。
※保立道久「現代語訳 老子」ちくま新書p399
確かに、「無敵の軍隊の禍」と「哀しむ者勝つ」というどちらの洞察も深いものがある。
とは言え「無敵の軍隊の禍」の具体的な内実はハツキリしない。
書き下し文の前の部分は「むかうに敵なし」だから、軍部の政治的な力の増大を危惧しているのか、帝国主義的な在り方を言っているのか、抑止力のなさとそれによる軍の暴走の危険性を言っているのか、「宝を失う」だから軍事費の際限のない増大を言っているのか、はたまたこうした危険性を総称して言っているのか。
更に、「無敵の軍隊の禍」の後の「哀しむ者勝つ」が「故に」で繋がれているところが悩ましい。
無敵になるほど禍が大きく、哀しむ者が勝つというのだから、禍の中心は侵略戦争によって倒された側の恨みであり、宝を失うは負けることだと解して、以下のように考えてみた。
侵略によって無敵になるほど恨みは多くなり、哀しむ者によっていずれは負ける。
また、禍が大きくなって宝を失うことを侵略戦争によって「道」から離れていくこと、哀しむ者が勝つというのを前回見たとおり戦勝を喜ばず戦死者を悼む心の持ち方と解して、以下のように考えてみた。
武力をもって侵略を続ければ国は荒み、死者を悼む者にいずれは負ける。
いずれにしても、積極的な戦争を戒しめているのには違いない。
この後は死刑の話になるので、次の記事とする。
▼保立道久「現代語訳 老子」ちくま新書2018
【目次】
序 老子と『老子』について
第1部 「運・鈍・根」で生きる第一課 じょうぶな頭とかしこい体になるために
第二課 「善」と「信」の哲学
第三課 女と男が身体を知り、身体を守る
第四課 老年と人生の諦観
第2部 星空と神話と「士」の実践哲学第一課 宇宙の生成と「道」
第二課 女神と鬼神の神話、その行方
第三課 「士」の矜持と道と徳の哲学
第四課 「士」と民衆、その周辺
第3部 王と平和と世直しと第一課 王権を補佐する
第二課 「世直し」の思想
第三課 平和主義と「やむを得ざる」戦争
第四課 帝国と連邦制の理想