昨日、知り合いとこの本の話をしていたので、久しぶりに岩波文庫(赤)を取り上げる。
▼岩波文庫版の傑作集、大津栄一郎(訳)
絶妙のプロット,独特のユーモアとペーソス.この短篇の名手(一八六二―一九一〇)は,時代と国境をこえて今も読者の心を把えつづけている.それはしかし,単に秀抜な小説作法の故ではないであろう.彼の作品には,この世の辛酸を十分になめた生活者の,ずしりと重い体験がどこかで反響しているからである.傑作二〇篇をえらんだ.
オー・ヘンリーは短篇小説が有名なアメリカの作家である。
1862年生まれなのでかなり昔の作家である。
1910年(47歳)に病死するまでに残された短編は約270編であるので、その中から選ばれた20作品ということになる。
作品解説では「この世の辛酸を十分になめた生活者」と評されているが、それは倒産、妻の病死、投獄などに見舞われた人生だったことによると思われる。
---以下、ネタバレ注意!---
代表作を決めるのは難しいが、この本の所収作品の中から角川文庫版のタイトルにもなっている下記の2作品について触れておくことにする。
■賢者の贈り物
オー・ヘンリーの作品群に登場する主人公は、大抵のところ当初の目的を達成できない。
それは、なんとかうまい事目的を達成しようとする人間の小狡さをあざ笑っているようでもある。
しかしそれと同時に描かれる、人の善なる心に読者は作品の魅力を感じるのではないかと思われる。
この作品は、貧乏な若い夫婦がクリスマスプレゼントを買うという話である。
お金がないから夫の方は唯一の財産である金時計を売り、妻の美しい髪に見合う美しい櫛を買う。
妻の方は自分の髪を切り、それをカツラ屋に売って夫の金時計のためのプラチナの鎖を買った。
この作品では、二人の話はお互いにプレゼントを交換して中身が明らかになったところで終わり、最後に「お互いに一番大切なものを贈ったこの二人は賢明であった」という作者の説明が続く。
一番大切なものを失ったが、それによって報われたという美談は我々の心に暖かい感動をもたらす。
そして作者が説明を続けたように、この感動の意味を説明してみたら、一番大切なものを捨てなければ本物は得られないとも言っているように思われた。
なぜなら、我々が現実でこの手の美談に出会わないのは、一番大切なものを捨てないで価値あるものを得ようとするからだ。
ここには教訓話的な痛みがある。
オー・ヘンリーらしい作品である。
■最後の一葉
オー・ヘンリーの作品に登場する主人公は、しばしば報われない。
この作品は、病気の若い娘の為に老いた画家が命懸けで絵を描くという話である。
アパートの3階に住む娘が病気になり、窓から見える木に残った一枚の枯れ葉に自分の行く末を重ねて見る。
その晩に娘の病状は峠を迎え、同時に嵐が来る。
下の階には、この娘と懇意にしていた老画家が住んでいた。
娘の気持ちを知っていた老画家は、壁に葉っぱの絵を描く。
娘の部屋から、最後の一枚が残っていると見えるように。
翌朝、病状が峠を越した娘は、窓の外に見える最後の枯れ葉が残っていのを見て希望を抱く。
一方で、老画家は肺炎になって死ぬ。
美談である。
また、病気の娘のために命を懸けたということだけでなく、名を成すことができなかった老画家が最後に人に希望を与える傑作を描くことができたという結末は読者にも報われた気持ちをもたらす。
やはり美談である。
作者はただの美談を書きたかったのだろうか。
妻を病気で亡くしているオー・ヘンリーがこの作品を書いたのは、人間の無力さに一矢報いたかったらではないかと見ることはできないだろうか。
ここに人間存在としての痛みを見ると、オー・ヘンリーらしい作品である感じがしてくる。
■所収作品20編
賢者の贈りもの
警官と讃美歌
マモンの神とキューピット
献立表の春
緑のドア
馭者台から
忙しい株式仲買人のロマンス
二十年後
改心
古パン
眠りとの闘い
ハーヴレイヴズの一人二役
水車のある教会
赤い酋長の身代金
千ドル
桃源郷の短期滞在客
ラッパのひびき
マディソン・スクエア千一夜物語
最後の一葉
伯爵と結婚式の客
■「青空文庫」所収作品
「青空文庫」は著作権が切れた作品が無料で読めるインターネット図書館。
オー・ヘンリーの作者ページは下記。
オー・ヘンリーの所収作品は下記の5作品。(2021年10月15日現在)