瀬戸内寂聴「寂聴 生きる知恵」海竜社1993 | 日々是本日

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 「寂聴 生きる知恵」は瀬戸内寂聴さんによる法句経の入門書である。

 

      ▼集英社文庫版(1997年)

寂聴 生きる知恵 法句経を読む (集英社文庫)

 

 法句経はブッダが仏教(原始仏教)を開いた時代の経典で、「真理のことば」(ダンマパダ)というタイトルで中村元さんの訳による岩波文庫でも広く読まれている。

 

ブッダの真理のことば・感興のことば (岩波文庫)

 

 順番からいくと岩波文庫を先に読んだのだが、感想が多量多岐に渡ったのでまずは寂聴さんの本で幾つかの点に触れたい。

 

 尚、「寂聴 生きる知恵」は法句経の全文ではなく、寂聴さんのチョイスした句が各章のテーマによってまとめられており、その表現も寂聴さんご自身曰く「詩の匂いを入れた意訳」となっている。

 

 

■法句経四七 ※漢数字は詩句番号

四七

欲望の花を摘むのに

夢中になっている人を

死がさらっていく

眠りにおちている村を

洪水が押し流していくように

※瀬戸内寂聴「寂聴 生きる知恵」p96

  <参考>

四七

花を摘むのに夢中になっている人を死がさらって行くように、眠っている村を、洪水が押し流していくように、――

※中村元訳「真理のことば」(岩波文庫)p17

 この句が含まれる章は花にちなんだ詩句が収められている章で、寂聴さんはブッダを「天性の詩人」と言っている。

 

 この章の詩的な比喩として非常に印象的だったのがこの詩句である。

 

 現世の欲望を求める人を「花を摘むのに夢中な人」と喩え、更にその人が死ぬのを「眠りにおちている村が洪水に押し流される様」に喩えている。

 

 一人の個人が一つ一つは花に喩えられるほどの小さな欲望をつんでいるだけだというのに、それを押し流すのは、村全体の人々を一瞬で飲み込んでいくような途方もない洪水である。

 

 圧倒的な対比である。

 

 花を摘むことの儚さのなんと際立つことか!

 

 

■法句経四九 ※漢数字は詩句番号

四九

蜜蜂をごらん

花から花へ飛び移っても

蜜だけをそっと吸って

花びらや色や香りを

そこなわず

さっさと飛び去っていく

聖人(ひじり)もこのように

村々を旅行されよ

※瀬戸内寂聴「寂聴 生きる知恵」p103

  <参考>

四九

蜜蜂は(花の)色香を害わずに、汁をとって、花から飛び去る。聖者が、村に行くときは、そのようにせよ。

※中村元訳「真理のことば」(岩波文庫)p17

 寂聴さんは勝手に教祖の本を送ってくる新興宗教や、会う機会を求める別の宗教団体を挙げて、「いたわりの思いやりと、礼節を忘れないでほしいものです。」(p110)と言っている。

 

 ここを読んで、知り合いからのしつこい誘いを思い出した。

 

 自戒を込めて、まったくもってそう思う次第である。

 

 

■法句経二六〇 ※漢数字は詩句番号

「敬老の日」というのがつい先日ありましたが、敬われる老人は、敬われるだけの人物になっておかなければならないのです。年齢には責任が伴います。

※瀬戸内寂聴「寂聴 生きる知恵」p142

 ここを読んでドキッとした。

 

 そして中村元訳「真理のことば」を読んだ時に同じ感じでドキッとした詩句が思い出された。

 

 どちらの方がドキッとしたかというと「真理のことば」の方がドキッとした。

 

 これはもうホントにドキッとした。

二六〇

ただ年をとっただけならば「空しく老いぼれた人」と言われる。

※中村元訳「真理のことば」(岩波文庫)p47

 まだ残された時間があってヨカッタ。

 

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