この項のタイトルは「外国との付き合いによって気づかされる」である。
篠田さんは、エドウィン・ライシャワーさんが「おしめり」という言葉の情緒を理解して、
夕立のあとで「いいおしめりですね」と言った時の会話を思い出している。
今だともう「おしめり」という言葉は、新しめの古語のような感じすらする。
下記の記事で、英語圏では「湯」を Hot Water と言う話を紹介したが、
日本語はそれぞれの事柄に、それぞれの感じのこもった言葉で表現する傾向がある。
しかし、こうした言葉は忘れられやすい言葉でもあるだろう。
生活の中でその情緒が失われていけば、言葉も忘れられていく。
これは文化的に貧しくなっていく生活をしていることではないだろうか。
こうした言葉を思い出すということは忘れられた情緒を再発見するということである。