一〇三歳になってわかったこと 第三章 一秒で判断する | 日々是本日

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bookudakoji の本ブログ

 

 

この項のタイトルは「危険やトラブルを察知、上手に避ける」となっており、

実用的な内容なのかと思ったが、

基本的には知識によらず感覚を磨きましょうという話だった。

 

感覚を磨いておけば芸術鑑賞において真価に近づくし、

感覚的判断の鋭さによって危険を避けることができるということである。

同様に勘や虫の知らせも鍛えたらよろしいという。

 

感性を磨けば芸術鑑賞から得られるものは、

それだけすばらしくなるし面白くもなると思う。

なので、芸術鑑賞が好きな人はそれなりに鍛えているようにと思っていたが、

篠田さんは、今の人は頭に頼って鑑賞する人が多いというから、

実態としては知識が増すにつれて頭に頼って鑑賞するようになってしまうのだろうか。

 

あまり芸術鑑賞の時間を持たない人は、

感性を鍛えることのメリットが少ないから動機づけも弱いとすると、

そういう人がまず先に芸術鑑賞の時間を長くしようとしても難しいだろう。

 

だから一つには、「芸術は鑑賞しない」というアプローチがいいのかもしれない。

これは「芸術を鑑賞しない」ということではなくて、

芸術に対して鑑賞するというスタンスを最初から捨てるということである。

そのために、「鑑賞しない芸術」というものを考えてみてもよいかもしれない。

 

体験して楽しむトリックアートなどはこの好例だろう。

 

ジャズにおける即興や即興演劇(インプロビゼーション)なども、

評価基準が設定いにくい分、感性中心にならざるを得ないジャンルではないかと思う。

 

もう一つは、感性を直接磨くという方向からのアプローチが挙げられる。

 

信号があと何秒で変わりそうか予想する、

発車しそうな電車に駆け込む人たちがいたらどの人まで間に合うか予想する、

といったことを日常生活で積極的に増やしていくようなやり方である。

 

これは「危険やトラブルを避ける」という点での生活に直結したメリットがある。

 

この訓練において最も重要なのは時間制限である。

 

なぜなら、感性を鍛えるのだから、考えてしまう時間をなくす必要があるからである。

 

車を運転する人は講習で必ず聞く話がある。

 

人が飛び出してきてブレーキを踏むまでの時間は早い人で0.3秒、

遅い人で0.8秒くらいであると言われる。

 

そして、その間に車は何メートル進むのかという説明がされて、

スピードを出しているほどブレーキを踏んでも間に合わなくなるという結論となる。

 

心に生まれたダイレクトな印象が消える時間は0.5秒以内であると思っておくのが良い。

 

そこから考えないで判断をする時間が0.5秒である。

 

「一秒で判断してみよう!」

 

 

※こうした訓練においては一般的には判断が正しかったかどうか(正解)を知ることも

 重要であるが、これは頭で考える方向に作用しやすいプロセスでもある。

 少なくとも最初の段階では、判断する時に考えない、かつ、判断した後も考えない、

 という形で進めた方が良いというのが私の見解である。