一〇三歳になってわかったこと 第二章 幸福と満足 | 日々是本日

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いろいろな人の人生を見たり聞いたりしてきたが、
いいことずくめの人はいなかったし、
裕福だから幸福だとも思えなかったと言う。

それで、自分の人生のちょうどよさに満足できる人が
幸せになれるのだろう、となる。

「幸福になれるかは、
 この程度でちょうどいい、
 と思えるかどうかにある。」(p93)

これはただ単に、腹八分目で満足しておくのがいいと言っているのではないと感じた。

この満足ということは「足る」ということであると思うが、
この足るというところの基準が「ちょうどよさ」であるというのが
難しいところである。

少し得られたら、もっと欲しくなるのが人間であるし、
自分の欠乏感を自分以外のもので満たしていれば、
足るには至らない。

これは勿論、中庸の徳にも通じていることなのだと思うが、
これも敢えて徳と言われるくらいであるから簡単ではないのである。

ちょうどよいところで足るというのは、案外難しいのだ。

 

※中庸の徳については下記も参照

一〇三歳になってわかったこと 第一章 いい加減