一〇三歳になってわかったこと 第二章 無駄 | 日々是本日

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篠田さんは、

「用だけを済ませて生きていると、真実を見落としてしまいます。」(p87)
と言う。

これまた老子的な感じで、無用の用に通じるものがある。

そして、
「どの時間が無駄で、どの時間が無駄ではなかったのか、分けることはできません。」
(p88)
と言う。

いい作品ができた時に必要だった時間は、
その作品を作るのに直接必要な時間だけではなかったからである。

ことの核心は、物事の全体的なとらえ方であると思う。

この項のタイトルは「1+1が10になる生き方」となっている。

このれはゲシュタルト心理学における、
「全体は部分の総和以上のものである」
という考え方にも通じていると思う。

1+1が10になると言われても非合理的な感じはしない。

一〇三歳まで実践した篠田さんは、
だから、無駄遣いをしても後悔はしないのだと言う。

これはなかなか現実的な気がする。

そして、「無駄には、次のなにかが兆している。」(p85)と言う。

この視点に新しいものを感じた。

無駄かどうかわからないのであれば、
それもまた全体を作る何かの部分であるはずである。
そこにはまだ見えぬ全体が先取りされているのだ。