我孫子市の神社 | 未知の駅 總フサ

未知の駅 總フサ

千葉県=東国は蘇我氏に縁の地であったという痕跡を探し、伝承・神社・古墳など諸々を調べています。

百嶋神社考古学にご興味を持たれた方はブックマークの「新ひぼろぎ逍遥」さんを訪ねてみてください。

明治39年(1906)に「神社合祀令」が交付され1町村1神社が基本となり、約7万社が取り壊されたそうです。そして近年、土地開発が進み急激な宅地化により行方不明になる御社が多く見受けられます。

この状況に危機感を抱き、名称だけでも伝わっているお社は載せております。

明治期に作成された「千葉県神社明細帳」をベースに市町村誌も参考にし掲載しておりますので、地名変更により行方不明となっている場合もあり重複して紹介している神社もあるかと思いますので、ご了承ください。

またグーグルマップで神社鎮座地を確認しておりますが、マップで発見した新たな神社も載せております。その場合御祭神・由緒等は不明となっております。

 

●足尾山神社 中峠字下根古屋3708
御祭神…面足命
もと今井四郎兵衛家の氏神という。足の痛みに効験ありといわれ、金のわらじを奉納する古例がある。

●愛宕八坂神社 布佐2291
御祭神…天之迦具土命・素戔嗚尊
旧村社。旧布佐村字上町に鎮座。愛宕神社は火防の神といわれ竹内神社の元宮。延期式内社の茨城県利根町文間郷にある蛟 虫罔(こうもう)神社は愛宕社と由縁があるといわれ大宝3年(703)創建と伝えられている。当社は利根川岸に近い鹿黒畑(かぐろばた)に祀られ、湯立の神事が行われていた。湯立は修験と関係があるので結びつきがあったと思われる。八坂神社は愛宕社東方、字鹿黒畑にあった牛頭天王社で利根川の改修と街道筋の変更に伴い愛宕神社に併合。

●厳島神社 下ヶ戸1239
御祭神…市杵嶋姫命
明治41年に八幡神社に合祀されたが石祠がそのまま祀られている。

●金八稲荷神社 寿2-7
御祭神…不明
創建年代不詳。はじめは屋敷神であった。祠の位置は字並塚にあった並んだ塚の1つではないかといわれている。なお並塚は昭和40年頃までは残っていたが現在は失われている。

●稲荷大明神 湖北台字寺後9-12
御祭神…荼枳尼天
元は稲荷山にあったが湖北台団地建設に伴い遷座。

●亀田森稲荷神社 中峠1758-3隣
御祭神…不明
創建年代、由緒不詳。

●稲荷神社 根戸345
御祭神…不明
創建年代、由緒不詳。

●白山出世稲荷 白山1-23-3 成田山恵勝寺内
御祭神…妙理大権現(稲荷大明神)←現在は荼枳尼天
天文7年(1538)妙理大権現(稲荷大明神)と弁財天が祀られたという。昭和33年(1958)成田山より荼枳尼天を勧請。

●稲荷神社 布佐1
御祭神…倉稲魂命
旧村社。旧布佐下新田に鎮座。創建年代不詳。安永5年(1776)に相馬霊場41番伊予龍光院写しとなっており、それ以前からあったことは確かである。

●稲荷神社 布佐下新田28
御祭神…倉稲魂命
創建年代、由緒不詳。境内に新四国八十八カ所相馬霊場41番の札所や天神社・三峯神社・水神社がある。

●稲荷神社 古戸1
御祭神…宇賀魂命
旧古戸村字宮前に鎮座。天正7年(1579)古戸村の産土として創建。もと同村流作12に鎮座していたが文化年間(1804~1818)に阿曽新兵衛家の屋敷地に遷座したと伝えられている。社の内部の壁に狐の図と龍の図の鏝絵(こてえ)がある。明治41年(1908)に厳島神社(字坂下)を合祀。

●香取神社 新木字宮脇2598
御祭神…経津主命
河村出羽守がこの地の産土として奉祀したものであろうと考えられている。近くに七つ井戸の一つ、香取の井戸があり鎌倉道といわれる古道もある。我孫子市内の香取社は三社あり、いずれも手賀沼に面したところに勧請されている。佐原の香取が古く揖取(かじとり)といわれ水運と深く関わっていたということと関連するのかもしれない。境内に水神宮・鹿島宮・山神・天神宮・鷲明神・羽黒山権現がある。

●香取神社 高野山字宮脇432
御祭神…経津主命
天慶3年(940)創建、貞享元年(1684)氏子一同により堂宇再建。境域は水神山古墳のある故地であるが中世以前については不明。社殿から見て右手に方墳(西古墳)左手に円墳(東古墳)がある。当社の御霊代は板製柄鏡で神仏習合の遺例。明治40年(1907)水神社(字舟戸台:水速女命)厳島神社(字舟戸台:市杵嶋姫命)日枝神社(字小暮:大山唯命)庚申社(字本郷:猿田彦命)がある。境内に雷神宮・水神宮・天神宮・道陸神がある。

●我孫子香取神社 緑1-6-8 旧我孫子宿字宮脇
御祭神…経津主命
旧村社。我孫子宿の産土で、当地に奉斎したのは享保の頃という。明治40年(1907)に天子社・三宝荒神・稲荷神社・天神社・第六天社・北星社・道陸社・神明社・鷲神社・住吉社・厳島神社・白山神社を合祀。

●庚申塚 中里字西山畑1
御祭神…猿田彦命
正徳元年(1711)建立。墳丘の上に鎮座しており、昭和61年の調査時はすでに失われていたが、元は径20メートル余りの円墳であったことが判明している。

●牛頭天王社 新木字宮脇2574-2
御祭神…牛頭天王
通称天王さま。石宮。元禄9年(1696)の建立。

●五ノ神 新木字吾妻3157-2
御祭神…不明
五つの神様を祀ったことによるものという。当地は兎尻古墳群の一角でもある。

●柴崎神社 柴崎字山王作173
御祭神…天御中主神
相殿…素戔嗚尊・蒼稲魂尊・日本武尊・別雷命・金山彦命・大山咋命
神紋…九曜
旧村社。創建年代不詳、日本武尊が東征の際、ここで武運長久を祈られ住民が軍旅をねぎらったと語り伝えている。平安時代には平将門の祈願所となったといい天慶元年(938)に創建、ついで相馬一門の守護神とされ、弘治3年(1561)相馬五郎重胤は常陸国行方郡大田に移った際当社を分社して祀った。寛文11年(1671)に当地知行となった新見弥一郎正徳は源義家の後裔といわれ境内の御墓山はもと墓所であった。当神社はもとは妙見社で明治維新で北星社と改めたが同13年(1880)に柴崎神社と改称。境内に三峰神社がある。

●水神宮 都部新田字宮下217
御祭神…水波能売命
当地はもと入江で岡発戸まで舟が入った。その谷津田の開墾によりできた集落で奉祀した社で、安永6年(1777)の検地帳に記載がある。

●水神社 江蔵地704-1 江蔵地自治会館の敷地内
御祭神…罔象女命
旧江蔵地村字八反野に鎮座。中世の龍崖城(りゅうげじょう)の北、取手小文間(おもんま)から布佐台にかけての輪中水城の鎮守として慶安2年(1649)に創建。水難に遭う事の多い地域であったために水神信仰は厚く、現在に及んでいる。

●水神社 旧高野山新田字早稲田
御祭神…水速比売神
いつ頃からかは不明だが明治31年(1899)には当初水神社の境内社であった千勝神社が優位になっており、戦争時期に社名の変更があったものと考えられる。水神社は現在千勝神社に合祀されている。

●水神社 小堀字根屋敷
御祭神…水波女命
寛文8年(1668)創建。常円寺の南側に鎮座。明治17年(1888)稲荷社(字根屋敷)、大正10年(1921)稲荷社(字下野)を合祀。

●水神社 浅間前新田字堀向
元禄年中水戸家御鷹場の頃、御禁制の白鳥を一羽捕ったため、宮田作右衛門と増田惣兵衛の発願で建立。その後、享保の新田開発の際に浅間宮の社地で勝蔵院の支配地である浅間前新田向堤に移されたという。

●水神社 中峠3870
御祭神…水速命
旧中峠村外谷ツ田に鎮座。江戸時代中期の創建といわれる。

●水神宮 根戸新田126
御祭神…水速命
旧村社。旧根戸新田字宮前に鎮座。創建年代不詳。当地域の新田開発が始まったのは寛文年間(1661~1673)からなので、その頃に勧請されたか。安永5年(1776)の村検地帳にみえ小字水神前の地名も記されている。境内に子安大師の堂がある。

●築留水天宮 布佐3176-2 布佐水天宮公園内
御祭神…罔象女神
この辺りを開墾した杉山家の氏神といわれ天地水神と称する。元は水田に盛土して石祠を安置していたが土地造成により当地に移動した。

●諏訪神社 中里字南原667
御祭神…武御名方命
旧村社。旧中里村字南原に鎮座。天正4年(1576)の創建で中里村の産土として奉祀されてきた。平成16年(2004)に老朽化のため社殿再建。明治41年(1908)に熊野神社(字北島原)・外川神社(字南原)・水神社(字六番作)・稲荷神社(字南島原)・山王神社(字北島原)・弁天神社(字弁天作)が合祀。

●石尊宮 柴崎字後田853-7付近
御祭神…大山祇大神
天明期に伊勢原の大山阿夫利神社を勧請。地元では「いぼ神様」として信仰されている。参拝後、刀の刃をいぼに触れるとポロリと落ちることから、御礼に玩具の刀を奉納するという。

●浅間神社 布佐2036
御祭神…木花佐久夜姫命
旧村社。旧布佐村字浅間谷に鎮座。正保2年(1645)の鎮座。元は仙元宮。境内に天神宮・子安大明神・石尊大権現がある。鳥居の側に新相馬霊場番外89番の札所がある。小高い丘陵上にある。

●竹内神社 布佐1220
御祭神…天之迦具土命
相殿…日本武尊・武内宿禰命
旧郷社。旧布佐村字宮作に鎮座。創始は承平年中(931~938)といい将門の乱が平定した天慶3年(940)に武内大明神を奉斎したと伝える。社伝によれば日本武尊が東征の際、田植中であったところに通りかかり苗を植えたので、「宮作」の地名がついたという。また森田左右衛門が宮作台の畑で麦の刈取りをしていたところ、雷雨となったので刈り取った麦を積み上げておいて帰り、翌日行ってみると一夜にして竹の子が生え白蛇がとぐろを巻いていた。この異変に行者が愛宕神社に祈ったところ、「武内神社をこの地に移せ」との神託があり遷座し、竹内神社と改名したという。愛宕神社は竹内神社の元宮と言い伝えられているという。境内に御嶽神社・稲荷神社・天神社・神名神社がある。神事にオビシャ。

●千勝(ちかつ)神社 高野山新田字早稲田188
御祭神…日本武尊・水速比売神
「せんしょう」とも読む。元禄2年(1689)の水神社創立にはじまる。明治時代は当神社は境内社で石造りの祠であった。

●伊勢山天照神社 中峠1148 旧湖北村中峠字宮前
御祭神…大日霊売命・日本武尊
旧中峠村神明前に鎮座。古来より中相馬七ケ村の総鎮守。日本武尊の東征を記念し奉祀されたとも、景行天皇の東国巡行のときに葛飾野で狩猟した時の遺跡を祀ったものとも伝える。創立年代不詳だが中相馬地区で最古の社ではないかと考えられている。明治9年(1876)に八坂神社(都部村)を遷座。明治40年(1907)に浅間神社(字二本榎)・鹿島神社(字鹿島前)・雷神社(字亀田)・第六天社(字高根)・山王神社(字海老宿)を合祀。翌年に稲荷神社(字上溜台)・足尾山神社(下根古屋)が合祀。

●天神社 旧下ヶ戸村天神下
御祭神…菅原道真公
年代不詳。明治の合祀令にともない宮前697に鎮座していた八幡神社を同地に遷座、社名を八幡神社とし天神社は合祀された。

●天神碑 新木2598
御祭神…不明
大正13年(1924)の石碑がある。

●天神社 古戸609
御祭神…菅原道真公
延享3年(1746)の棟札がある。代々平馬家が祭祀してきた。

●柴崎天満宮 柴崎字小木戸880-2-1隣り
御祭神…菅原道真
大井天満宮とも。天満宮を祀る大井家は平将門の重臣・大炊(久寺)豊後の弟丹波の末裔で将門の死後しばらくして当地に移り住み、帰農したという。その子孫が代々将門の尊崇する菅原道真公を祀ることにより、実は将門公をひそかに祀り継いできたのではないかとも言われる。同家には今も天慶3年(940)の位牌が残されている。また首天神ともよばれ、大井本家では正月の供え餅は首に見えるからと今でも御鏡ほか供え餅を松の内は飾らないし、餅は食べても焼かず煮て食べるという。

●子ノ神大黒天 寿2-27-10
御祭神…子ノ神
真言宗延寿院にて奉斎されており神仏習合の形態が残っている貴重な神社。ネズミが神使。大黒天像は行基の作で縁起によれば行基の意を受けた宥啓阿闍梨が薬師如来や十二神将・大黒天を背負い奉遷の地を求めた所、我孫子で湖水を見下ろす厄除け「ひいらぎ」の霊木の群茂を見て、当地を「法化有縁の地」と定めたという。康保元年(964)甲子の年、正月8日子の日に御堂を建立したので、甲子の年を御開帳の年と定めたという。また源頼朝が脚気にかかった時、夢に白ネズミに乗った翁が現れ柊で足を祓うと治ったという伝承がある。脚腰の疾患に霊験ありといわれ、絵馬の代わりの「かねのわらじ」がたくさん奉納されている。付近に子ノ神古墳群(前方後円墳1基、円墳13基)がある。

●八幡神社 青山字東台163
御祭神…誉田別命
旧村社。創建年代不詳。明治42年(1909)に日天子社(皇大神)・厳島神社・水神社を合祀。オビシャがあり的には八咫烏を描く。

●八幡神社 岡発戸字小山台540
御祭神…誉田別命・素戔嗚尊・武甕槌命
正徳4年(1714)の創建立。古来、若宮八幡と呼ばれ、近隣に八幡井戸がある。境内に天満宮・稲荷神社・三峰神社・大杦殿(大杉神社)・街道神社がある。

●八幡神社 岡発戸新田字瀧下162
御祭神…誉田別命
境内に水神社・天神社・街道社・道祖神社・庚申塔・二十三夜塔がある。

●八幡神社 湖北台字二本榎8-16-2
御祭神…誉田別命・速須佐之男命
旧中峠村弐本榎に鎮座。康平年間(1058~1064)に八幡太郎義家が奥州征伐のとき当地字二本榎に宿営し、そのあとに「八幡大菩薩」と書かれた白旗が残されているのを発見して奉仕したのが当社の起こりという。当社の西南にあるもと浅間社の前に明治初年に伐採されるまで巨大な老松があったが、その松こそ旗が立ててあった松であったと伝えられている。付近にある元日(がんち)の井戸はその白旗を洗い清めた井戸と伝承されている。現在の本殿は嘉永6年(1853)の改築。かつての鎌倉道が当社の南の林に沿って東西に通じていたというが開発が進み湖北台の住宅街となってしまった。天文10年(1541)芝原城主となった千葉氏支族・河村出羽守はこの社を居城の鎮守とし、御正体一面を奉納した。現在氏子宅に保存されている。

●八幡神社 下ヶ戸字天神下288
御祭神…誉田別命・菅原道真
旧村社。もと天神社であったが、宮前697にあった八幡神社を合祀し改称。明治41年(1908)厳島社(市杵嶋姫命)八坂社(須佐之男命)庚申社(猿田彦命)を合祀。

●八幡社 根戸字北ノ内1761 まごしん商店の敷地内
御祭神…不明
旧水戸街道と県道我孫子関宿線との十字路の北東側に小さな木の祠がある。天保4年(1833)建立。石祠。

●馬頭観音 白山2-5-3
御祭神…馬頭観音
創建年代、由緒不詳。

●葺不合神社 新木1881
御祭神…鵜茅葺不合尊・市杵島比売命・日本武尊・白山比売命
旧新木村字竹ノ内に鎮座。もとは五郎地の明神の森に鎮座しており沖田神社と称していた。御祭神から推測し、この辺りまで海が浸蝕していた古代に海を渡ってきた人々により創建されたという見解もある。同所はもと厳島神社(元は弁財天で天女宮の扁額あり)の境内地で元暦3年(1186)の創建。「沖田村の弁財天」と呼ばれ崇敬を集めたが明治の神社合祀令により同41年(1908)葺不合神社(字宮前、もと沖田神社)・三嶋神社(字宮前)・白山社(字竹の内)を合祀。境内に蚕影山神社・水神社・妙見社・三峯社がある。

●弁天神社 中里字弁天作
御祭神…市杵嶋姫命
大正末期には池があったというが現在は失われている。一時諏訪神社に合祀されたが、平成8年(1996)に元の地に戻った。

●北星神社 台田字北ノ内4-11-27
御祭神…天御中主命(北辰妙見尊星王)
神紋…九曜
旧村社。旧根戸村北ノ内に鎮座。相馬根戸城主により創建、もとは妙見菩薩をお祀りしていた妙見社。御神体の妙見像については当社の北西にある根切の田から出土し、花戸原(はなとはら)妙見塚を経て現在の地に奉祀されたという伝承がある。明治41年(1908)に吾妻大明神(字池尻)・香取社(字上屋敷)・天神社(字上屋敷)・第陸天社(字荒迫)・稲荷社(字花輪)・白山社(字中馬場)の6社を合祀、のちに八坂社(字台田)も合祀した。狛亀がいる。

●将門神社 日秀131
御祭神…平親王将門
旧日秀村字宮前に鎮座。地元では天慶3年(940)に戦没した将門の霊が遺臣達とともに明神下から日秀まで手賀沼を騎馬で渡り沼の畔の丘で昇る朝日を拝したと言い伝えている。その伝説の地に一宇を建てて霊を祀り鎮守としたのが当神社の起こりであるという。将門の三女・如蔵尼は父の三十三回忌にあたる天禄3年(972)に所縁の地である岩井に霊を祀った。それが沼南町岩井の将門神社であり、将門の神霊を所縁のある土地で祀る様になった始まりであるという。当地は将門が幼少の頃過ごした土地で承平2年(932)に将門が掘って軍用に供したと伝える古式の井戸遺跡が社の東方の低地にあり「将門の井戸」と呼ばれている。明治41年(1908)に水神社(字堀込:水波賣命)を合祀。

●八坂神社 我孫子2607とあるが所在不明
御祭神…素戔嗚命
創建年代、由緒不詳。

●八坂神社 都部字宿通46
御祭神…須佐之男命
旧村社。もと牛頭天王と称した。応永3年(1396)創建との伝承がある。平成20年まではオビシャの神事があり「鬼」や「烏」の的を弓矢で射っていた。明治42年(1909)鹿島神社(字鹿島脇)厳島神社を合祀。境内に三峰神社・大杉神社がある。

●八坂神社 台田3 旧根戸村台田 根戸交差点角地
御祭神…須佐ノ男命
昭和49年社殿が火災で焼失、同じ台田に鎮座する北星神社に合祀された。

●八坂宮 白山1-1-1
御祭神…素佐之男命
通称天王さま。応永3年(1396)の創建。旧我孫子宿字宿に鎮座で宿内の平安を願って京都より勧請という。

●鷲神社 久寺家字下居村362
御祭神…日本武尊(天日鷲命とも)
旧村社。旧久寺家村・旧下居村附。平将門の家臣・久寺家豊後大炊左馬助が勧請したと伝えられ、古くは神明社と称した。大正3年(1914)に下居村の香取社、上居村の八坂社、神立台の雷社を合祀、山神・水神・久寺家祖神・石尊大権現・大杉大明神・天満天神・今宮社、二十三夜さまの石仏なども境内に移された。狛鷲がいる。この地域では鷲の文様は使わないという禁忌があった。