千葉の神社② | 未知の駅 總フサ

未知の駅 總フサ

千葉県=東国は蘇我氏に縁の地であったという痕跡を探し、伝承・神社・古墳など諸々を調べています。

百嶋神社考古学にご興味を持たれた方はブックマークの「新ひぼろぎ逍遥」さんを訪ねてみてください。

明治39年(1906)に「神社合祀令」が交付され1町村1神社が基本となり、約7万社が取り壊されたそうです。そして近年、土地開発が進み急激な宅地化により行方不明になる御社が多く見受けられます。

この状況に危機感を抱き、名称だけでも伝わっているお社は載せております。

明治期に作成された「千葉県神社明細帳」をベースに市町村誌も参考にし掲載しておりますので、地名変更により行方不明となっている場合もあり重複して紹介している神社もあるかと思いますので、ご了承ください。

またグーグルマップで神社鎮座地を確認しておりますが、マップで発見した新たな神社も載せております。その場合御祭神・由緒等は不明となっております。

 

【さ行】
●蔵王権現神社 緑区下大和田町1792
御祭神…徳川家康
創建年代不詳だが徳川二代将軍秀忠に仕えた旗本・久保氏の知行地であったことから、久保氏が家康公を勧請したのではないかといわれ、地元では「権現様」と親しまれている。昭和58年(1983)再建。

●蔵王神社 緑区中西町字中台299
御祭神…不詳(現在は安康天皇)
創建年代、由緒不詳。明治42年(1909)同字の天神社・熊野社・日王社を合祀。

●坂月サカヅキ神社 若葉区坂月町字殿地71
御祭神…月夜見命
旧村社、創立年代不詳。元は八王子権現と称していた。社殿の裏に
古墳がある。境内社に天神社(菅原道真)・疱瘡神社・疫病神・日枝神社(大山咋命)・羽黒神社(稲倉魂命)・三峯大神がある。(羽黒神社は東金街道を造るときに切通にされたため、国道126号線を挟んだ向かいの丘陵上に鎮座している)

●作草部神社 稲毛区作草部字宮後1-32-3
御祭神…高龗神・大雷神・大山祇神・・高皇産霊命・猿田毘古命・応神天皇・菅原道真・素戔嗚命・市寸島比売命
神紋…菊
旧村社。創立年代不詳、元は貴布禰大明神。慶応3年(1867)に作草部神社と奉称。明治43年(1910)熊野神社(字屋敷:伊弉諾神・伊弉冉神・事解男命)、同44年に皇産霊社(字石動:皇産霊神)・道祖神社(字町田台:猿田彦命)・子安神社(字町田台:応神天皇)・天神社(字千葉台:菅原道真)・摩利支天神社(字前畑:素戔嗚命)・疱瘡神社(字前畑:伊邪那美命)・駒形神社(字駒形:市寸島比咩命)を合祀。境内社に日枝神社(大山咋命)がある。

●寒川神社 中央区寒川町1-123
御祭神…寒川比売命・寒川比古命・天照皇大神
神紋…八咫鏡

式内社論社、旧指定村社。もとは神明社、伊勢明神といわれていたが明治元年(1872)に寒川神社と改称。現在の新田町、新宿1・2丁目、神明町、長洲1・2丁目、出洲港、港町、寒川町1・2・3丁目、末広、千葉港一帯の総鎮守。厄除神明宮として知られ、沖合航行の船舶は礼帆と称し帆を半ば下げて航行、社前を馬上で通行する者は武家、町民を問わず下馬して敬礼した。伝承から考えると神明町の神明神社から勧請されたと思われ社殿は初め大橋東左側に創建されたと伝えられる。その場所は今も神社所有地となっている。当社の奥殿には獅子頭一体が御神体として祀られている。これは昔漁師の網に掛かったもので神明社に祀ったところ船の沈没がしきりと起きるようになったので祟りであろうと現在の社殿の下に石室を作り封じて埋めたところ海上事故がなくなったという。境内神社に疱瘡社(月夜見神)・石尊社・稲荷社(保食神)・水神社・火消神社(火結神・水波之女神)・雨降神社(高龗神)・日枝神社(大山咋神)・海津見社(豊玉彦命)がある。また摂社に神明神社(神明町)、道祖神社(新田町)・白幡神社(新宿町)・厳島神社(港町)・神明諏訪神社(港町)・龍蔵神社(長洲1丁目)・海津見神社(寒川2・3丁目)・稲荷神社(出洲港)・王子神社(新田町)がある。

●猿田彦神社 花見川区武石町2-942-2付近
御祭神…猿田彦命
創建年代、由緒不詳。

●三神社 旧幕張町馬加字西ノ谷 
所在不明
御祭神…月夜見命・大山祇命・倉稲魂命
天保5年(1834)創建。

●三王神社 花見川区犢橋町1773
御祭神…不明
創建年代、由緒不詳。

●三社大神 稲毛区長沼町367 旧犢橋村長沼神明前
御祭神…大日孁命・譽田別命・天兒屋根命
旧村社。通称神明様。創建年代、由緒不詳。境内に浅間神社(木花開耶姫)・八坂神社(素戔嗚命)がある。

●三社神社 旧幕張町天戸字矢ノ内 
所在不明
御祭神…国常立命・天常立命・地常立命
正保2年(1646)疫病が流行した時、藤沢山清浄寺の上人に祈祷を請うた所、御利益があったので同3年に祀った。

●三社神社 花見川区犢橋町大塚1109
御祭神…圡神・天照皇大神・天兒屋根命・譽田別命
神紋…中央が月星の九曜
旧村社。男千木。創立年代不詳、往古圡神一社を産土神としていたが、当地域では男子が15歳になると伊勢大神宮・鎌倉八幡宮に詣でて初めて成人したとする慣習があったが、中古国乱によりままならず、両宮を勧請し土地神と併せ祀り三社神社と称した。境内社に子安神社(櫛稲田姫命)・道祖神(猿田彦命)がある。

●三社神社 緑区辺田町字宮ノ台332
御祭神…不詳
神紋…左三つ巴
旧村社。創立年代不詳。明治14年(1881)日枝神社(字取立:大山咋命)、天神社(字大角:菅原道真)を合祀。同42年(1909)市杵島姫命神社(字宮ノ台)を合祀。

●三社神社 若葉区小倉町1734-15
御祭神…経津主命・豊受比賣命・鎌倉権五郎命
昭和48年(1973)に設立。

●三代王神社 花見川区武石町字三代内1-4
御祭神…天種子命
神紋…九曜・ゐの字?
旧指定村社。武石三郎胤盛が建仁2年(1202)に明神を勧請し明神神社を創建、武石明神と呼ばれた。文安2年(1445)馬加康胤の奥方が出産の際、当社の明神が夢枕で「我は安産の守護神となり、守護すべし」と告げ、奥方はたちまち安産したという。この後、康胤の家臣・小川采女が祭司にあてられていたが康正2年(1456)東常縁に敗れ康胤が自害したときに小川采女も討ち死にした。文亀元年(1501)に社号を三代王神社と改めた。当社を含め近隣9社による「
下総三山の七年祭り」があり、祭礼では産婆役を演じる。境内社に金刀比羅神社・八坂神社・三峰神社・複数の稲荷神社・小御嶽神社・御嶽大菩薩・子安様・道祖神などがある。

●三王神社 花見川区犢橋町1773付近
御祭神…不明
創建年代、由緒不詳。

●山王神社 稲毛区山王町99-13 市川歯科医院の向い
御祭神…不明
神紋…十六花菊・左三つ巴
女千木。創立年代、由緒不詳。

●山王神社 若葉区貝塚町649付近
御祭神…不明
創立年代、由緒不詳。

●山王社跡 若葉区中田町字花立905付近
御祭神…三猿
県道浜野・四街道・長沼線沿いにある中田集会所一帯は県道が作られる前は山王社の境内であった。

●椎名神社(元熊野神社) 緑区椎名崎町字谷津633
御祭神…天之御中主命・伊邪那岐尊・速玉之男尊・熊野夫須美尊
神紋…左三つ巴・九曜
天平16年(744)勧請。元は熊野神社で明治22年(1889)に椎名大明神を合祀。平成12年(2000)に千葉東南部土地区画整理事業に伴い改修、宅地造成のために高台にあった当社は掘り下げられた。明治42年(1909)に香取社(字谷津前:石碑)・天神社(字宮ノ下)・第六天社(字池ノ入:石碑)・八坂社(字谷津前)・弁財天社(字泉谷津)・妙見社(字椎名台)を合祀。昭和46年(1971)に合祀された白幡大権現(椎名崎町510金子氏所有山林内)は源頼朝が安房より上洛の道すがら将兵の武運と住民の平穏を希うため創始という。

●七社神社 若葉区中野町 県道131号沿い 
八幡神社に合祀
御祭神…不明
千葉中開祖神の七社神社で通称「しっちゃさま」。元は緑区下大和田町から本町へ入る字佐屋戸(さやと)に鞘堂を建て道祖神や庚神塔を祀ったのが起こりで、後に現在地に移動。奥殿は立派であったため本成寺に移転し三十番社の堂宇にしたという。

●七天王塚 千葉
大医学部敷地内及び周辺
御祭神…牛頭天王とも平将門の七騎武者とも
千葉大医学部付近に点在している七カ所の塚のことで、七騎武者を祀ると言われており俗称・七天王塚と呼んでいる。七騎武者とは将門と6人の影武者とする説、将門とその兄弟6人とする説、将門の協力者である興与王・藤原玄茂・藤原玄明・多治経明・坂上遂高、及び彼の弟将頼、同将武の7人とする3説がある。本来は妙見菩薩の源流である北斗七星の威力をもって城の守護とする為の術であったと考えられていた。しかし平成14年(2002)に5つの塚の中央が前方後円墳であることが判明。他の塚は陪塚である可能性が高い。

●持統大神 花見川区検見川町5-2208付近
御祭神…合戦で亡くなった武士
昭和15年(1940)に祠を建立。昔検見川台地にて合戦が有り(小田原北条氏と安房里見氏との合戦ではないかといわれている)亡くなった双方の武士の亡骸をここに埋葬したため、付近より一段高い土地となったという。昭和になり近隣の人々が相次いで奇病にかかり、易者や祈祷師にみてもらったところ、この武士達の霊魂の祟りによるもので無縁仏を供養すれば快癒するとのことだった。そこで人々が協力し石祠を建立、回向したところ災いはなくなったという。いまでも土地の人々によって供養されている。


●十二社神社(現権現神社) 花見川区天戸町字ナギ568
御祭神…天神7代地神5代合神
創立年代不詳、当村開村時に社殿を東方字梛に創建したという。一説には往古より創祀されていたが明応年間(1492~1501)福寿院建立の際、この地に改祭遷座という。文久2年(1862)に再建という。

●十二社神社 花見川区畑町字陣屋1294-1付近
御祭神…大己貴命
神社庁未包括神社。創建年代、由緒不詳。古老の口碑に「医王山長林寺の本尊・十二面薬師を祀りたるものなり」と伝える。

●正八幡大神 若葉区殿台町字相野口299
御祭神…譽田別命
神紋…左三つ巴
旧村社。明治42年(1909)同所宇佐八幡大神(息長帯比咩命)、大正2年(1913)に同所天神社(菅原道眞)・稲荷神社(宇賀魂命)を合祀。境内社に応神天皇・疱瘡神・三峯神社がある。

●大宮白幡神社 若葉区下田町字宮ノ後713
御祭神…大宮比賣命・誉田別命
大宮白幡神社の項を参照。

●白幡大神 稲毛区萩台町字宮前128
御祭神…譽田別命
旧村社。大正3年(1914)妙見神社(字小山238:天御中主命)、諏訪神社(字庚神塚302:武御名方命)を合祀。境内に道祖神がある。

●白旗神社 中央区白旗2-6
御祭神…不明
神紋…左三つ巴
創建年代、由緒不詳。境内に道祖神がある。

●白幡神社 中央区新宿1-19
御祭神…誉田別命・息長足姫命
神紋…丸に笹竜胆・右三つ巴
昔は結城稲荷と呼ばれていた稲荷社の鎮座地で源頼朝が千葉城の城主・千葉常胤に味方するように求めた際、結城稲荷の境内に源氏の白旗をたてて奉納した。以来白旗大明神と称し明治になって白幡神社と改称。境内から古文時代の直刀が出土しており当社は古墳上かその傍に祀られたものと思われる。境内に琴平神社(大穴持神)・八雲神社(須佐之男神)・天満天神(菅原道真)・稲荷社(保食神)・疱瘡守護神(月夜見神)がある。

●白幡神社 緑区刈田子町字勝負谷399
御祭神…不詳(現在は日本武尊・源頼朝・源頼家)
神紋…左三つ巴・違い鉾?
創立年代、由緒不詳。源頼朝が安房から上洛する途中、当社にて戦勝祈願したという。平成7年(1995)に千葉東南部土地区画整理事業に伴い改修。明治43年(1911)に神明社(字立ノ台)・白山社(字立ノ台)・聖真子社(字立ノ台)・天神社(字勝負谷)・日宮社(字刈田子前)を合祀。境内に伊都伎島神社・疱瘡神・稲荷大明神(2基)・八幡宮がある。

●白幡神社跡 若葉区上泉町字白幡後414-1 八幡神社に合祀
御祭神…息長足姫命
女城の鬼門の方角に作られた神社で、女城の守護神であった。明治41年(1908)八幡神社に合祀された。

●白幡神社 若葉区旦谷町字新林215
御祭神…譽田別命
旧村社。創立年代不詳、明治42年(1909)日枝神社(字新林:大山咋命)・天神社(字出戸:菅原道眞)を合祀。境内社に稲荷神社・疱瘡神社・道祖神社・日枝神社・天神社・三峰神社がある。

●神明社 中央区亥鼻1-6-2
御祭神…天照皇大神
神紋…左三つ巴
亥鼻城の守護神。千葉家三代忠常の時に鎮座、八代常胤が社殿を修築と言い伝えられているが「神社明細帳」によると文明元年(1469)勧請という。

●神明神社 中央区大森町字山王前115
御祭神…天照大神
神紋…左三つ巴
旧村社。創立年代、由緒不詳。境内社に須賀社・愛宕社(石祠)・三峯社(石祠)がある。明治43年(1910)日枝神社(字山王前:大山祇命)を合祀。

●神明神社 中央区神明町12
御祭神…天照大神
神紋…左三つ巴
女千木。創建年代不詳。古くは結城の神明として千葉の守護神の一つとされ千葉氏に尊崇を受けていた。御神木は樹齢900年と推定されている。寒川神社の本宮ともいわれている。

●神明神社 中央区村田町字神明118
御祭神…天照皇大神・大日孁貴命・豊受皇太神・月夜見命
神紋…左三つ巴
女千木。旧村社。創建由緒には三つの伝承がある。①日本武尊東征の際、現市原市八幡の飯香岡八幡宮で御飯をいただき「東日光神籏然たり」という場所に該当するという説、②源頼朝が飯香岡八幡宮に立ち寄った際、葭篠の繁茂する藪の篠を刈取り弓矢を作らせ、その藪を篠岬と命名したので村田の篠崎姓はこれによるという。また岸辺を歩きながら東方を見ると立ててあった青龍の旗が勢威を振起するかのようにはためいていたという。そこで治承4年(1180)9月9日に当地に神明神社を勧請したというもの、③は永禄年中(1558~70)に大暴風雨があり、高潮が村田川へ押しあがり村内の家屋は全流失したが神社だけ忽然と残ったという。村人が理由を神主に聞くと「神明なり」と答えたので、村社として勧請したものだという説があるが③は疑わしいという。現在の社殿は嘉永元年(1848)に建立されたもの。境内末社に稲荷大明神(妙徳稲荷)・子安社・痘神(少名彦名命)・道祖神が有る。また名主を務めた篠崎家が奉祀していた水天神・弁財天がある。

●神明神社 花見川区横戸町926 旧犢橋村上横戸字上ノ台
御祭神…天照皇大神・素戔嗚命・大己貴命
神紋…左三つ巴
男千木。旧村社。創立年代、由緒不詳。境内社に琴平神社・浅間神社・八幡神社・天神宮・金刀比羅神社(金山彦命・金山姫命・大己貴命)がある。

●神明神社 緑区小金沢町字宮ノ前187
御祭神…不詳(現在は天照大神)
創立年代、由緒不詳。平成12年(2000)に千葉東南部土地区画整理事業に伴い改修、宅地造成のために高台にあった当社は10メートルほど掘り下げられた。明治43年(1910)に日宮社(字鹿島田)・熊野社(字村ノ内)を合祀。

●神明社 若葉区源町395 旧寺山町殿内街道
御祭神…天照皇大神
旧村社。創立年代不詳。当地に住していた人々が伊勢より分霊を勧請。天保4年(1833)再建。明治36年(1903)に神明神社(旧都賀山西寺山字殿内街道)を合祀。境内に天神社(菅公)・八坂神社(素戔嗚命)がある。昭和52年(1977)に社殿修繕等の費用捻出のため社地を一部売却。

●水神社 花見川区柏井町字宮付1360
御祭神…罔象女命(饒速日命とも)
神紋…九曜・左三つ巴
旧村社。延文年間(1356~60)千葉氏家臣・甚太夫の創建と伝えられ、明治初年(1868)までは川口孫右衛門家の社であった。境内に子安宮・古峯神社がある。本殿は墳丘上にあり、社殿の背後の直線上にも墳丘がある。周囲には双子塚古墳や高台南古墳があることから当社及び背後の墳丘も古墳ではないかと思われ、当社は社伝よりも創立がとても古く、古代の祭祀形態の神社の一つであると推察される。

●水神宮 花見川区長作町2295
御祭神…水速咩命
神紋…右三つ巴
創建年代不詳、安永2年(1773)に再建。長作の諏訪神社に合祀されたという社と思われるが、後年に再奉斎したか。

●水神社 旧検見川町畑字井ノ下 所在不明
御祭神…不詳
創建年代、由緒不詳。

●水神社 若葉区谷当町字堀之内153 所在不明
御祭神…不明
創建年代、由緒不詳。

●諏訪神社 旧中央区生実町字大明神前2089 生實神社に合祀
御祭神…健御名方命
創建由緒不詳、浜野の諏訪神社と同じ勧請という説がある。「だんまり神様」との俗称があり、これは生実が南北に分村したころ、南生実八剱神社の神輿渡御の年番が北生実である年に南生実が前年に続いて神輿を出した事から北生実衆が当社で待ち伏せし乱暴を働いた為、神輿巡行は隔年となり当社前を無言で通過することになったという。明治43年(1910)に生實神社に合祀。

●諏訪神社 中央区浜野町445 旧生実浜野村大坪
御祭神…健御名方命・八坂賣命
旧村社。大永元年(1521)、信濃国埴科郡坂木城主・村上周防守義清が上総国市原郡養老荘に領主として赴く際、信濃の上・下諏訪神社を奉仕するため重臣・神官を遣わした。一行が帰途浜野に止宿したところ、村人がこれを奇縁とし諏訪神社を浜野に勧請、社殿を建て奉安し崇拝したと伝えられる。元禄13年(1700)に再建、延享4年(1747)に本殿新築、寛政2年(1790)に本殿、拝殿を修復。天保11年(1840)にも本殿、拝殿を修復。明治16年(1883)に落雷により倒壊、その後再建。以前は神事として「かんだおらん」という特殊な火祭りが行われていた。境内末社に白山神社(伊弉册命)・疱瘡神(小彦名命)・古峰神社(日本武尊)・稲荷社(倉稲魂命)がある。白山神社は歯痛を治すといわれ願主はハブラシを奉納する。疱瘡神は疫癘を治し鳥獣の災をなくし、穀物豊穣を司るとされている。また別名・区之能神(くしのがみ)と称し造酒を司る神ともいわれる。

●下諏訪神社 中央区浜野町691 旧浜野村字諏訪腰
御祭神…八坂刀売命・建御名方命
勧請の由来は同じく浜野町に鎮座する諏訪神社と同じで大永元年(1521)信濃国埴科郡坂木城主・村上国防守義清が上総国市原郡養老荘に領主として赴く際、信濃の上下諏訪神社を奉仕するため重臣・神官を遣わした。一行が帰途浜野に止宿したところ、村人がこれを奇縁とし諏訪神社を浜野に勧請、社殿を建て奉安し崇拝したと伝えられる。地名から見ると当初、上下諏訪神社は当地「字諏訪の腰」に祀られ、上諏訪神社だけ「字大坪」の方へ遷座したと推定されている。境内末社に第六天神社(不詳)、八坂神社(素戔嗚命)がある。第六天神社の両神は葛・藤・麻・栲から布を織り始めた神といわれるため、境内の草木を損なうことを固く戒めてきた。

●諏訪神明神社 中央区港町17
御祭神…健美名方主命・天照大神
創建年代、由緒不詳。港町自治会館の裏手に鎮座。境内に海津見神社(豊玉彦命)・稲荷社(保食神)がある。

●諏訪神社 中央区都町571 旧都村辺田字町田通
御祭神…建御名方命・市杵島比賣命・大名持命・保食神・菅原道真
創立年代不詳、一説には宝暦6年(1756)とも。明治26年(1893)に火災で社殿が類焼、同41年(1908)に再建。明治43年(1910)に近隣の厳島神社(字弁財天:市杵嶋比賣命)・日枝神社(字下内山王:大山咋命)・八幡神社(字町田通:誉田別命)・天神社(字天神台:菅公)・阿夫利神社(大山祇命)・疱瘡神社(大汝持命・少名彦命)・稲荷神社(保食命)・御霊神社(字向台)を合祀。境内社に阿夫利神社・稲荷神社がある(「千葉県千葉郡誌」では境内社に子安神社(磐長比賣命)・五社神社(天照大御神命・埴安姫命・倉稲魂命・大己貴命・少名彦命)・雷神社(別雷命)となっている)。

●諏訪神社 花見川区長作町779 旧幕張町長作字諏訪辺
御祭神…健御名方命・下照姫命・健御賀豆智命・伊波比主命・天子八根命・比売命他4柱
旧村社。詳細に関しては旧神官宅出火により焼失し不明だが、古老によれば寛永5年(1628)創建(再建?)と伝える。天保7年(1836)本殿再建。延暦年中(782~876)坂上田村麻呂が東夷出征の際、信濃惣社上下諏訪に平定を祈願、鎮定の帰途上下惣社を当所に遷地されたという。明治44年(1911)近接の日枝神社(字南谷津:日本武尊)・道祖神社(字本郷:猿田彦命)を、大正元年(1912)に春日神社(字関有富)・道祖神社(字吾保:猿田彦命)、三嶋神社(字三島前:大山咋命)・水神社(字坊辺田:水速咩命)・稲荷神社(字前原:倉稲魂命)・十二社神社(字前原:天神七代地神五代)・第六天神社(字前原:素戔嗚命)・天津神社(字本郷:天御中主命)・水神社(字本郷:水速咩命)・水神社(字諏訪辺:水速咩命)を合祀。境内社に子安観音がある(「千葉県千葉郡誌」では疱瘡社(素戔嗚命)となっている)。2月11日の射的式は昔は猪鹿の頭を供えて的にした。

●緑岡諏訪神社 花見川区長作台2-33
御祭神…不明
創建年代、由緒不詳。

●諏訪神社 若葉区中野町2214
御祭神…建御名方命・八坂刀売命
中野町鎌田の産土神。創建年代不詳、桃山時代末期に長野県諏訪郡中洲村の上諏訪神社と同県下諏訪町の下諏訪神社の2社を遷し祀る。平成12年(2000)に本殿を改築。

●諏訪神社 若葉区都町1-51-12
御祭神…建御名方命・市杵島比賣命・菅原道眞・大名持命・保食命
旧村社。創立年代不詳、明治26年(1893)類焼、同41年(1908)再建。同43年(1910)に同所厳島神社・日枝神社・八幡神社・天神社・阿夫利神社・疱瘡神社・稲荷神社・御霊神社を合祀。

●石尊神社 中央区登戸5-13-11
御祭神…堀田相模守・青木安太郎・白藤左衛門
創立年代。当社は穴川神社の前身であった石尊神社の末社。安永7年(1778)宮野木の能勢家に生まれた田村吉右衛門が文政7年(1824)領主・堀田相模守に千葉町・登戸村・寒川村・黒砂村と草刈り場であった穴川野の開墾を願い出て土地を整備。植林から井戸掘りまで行い移住者を保護し土地の発展に努めた。そして開発に尽力してくれた青木安太郎と手代・白藤左衛門を左右に領主・堀田相模守正睦公を祀り「福寿石尊」と崇めて穴川鎮守とした。吉右衛門が弘化4年(1847)に亡くなった為当地に末社を作り、その隣に吉右衛門の墓を建立。2018年現在も創建当時のまま社地の隣りに墓所がある。

●浅間神社 稲毛区稲毛1-15-10 旧検見川町字稲毛大山
御祭神…猿田彦命・木花咲耶姫命・瓊々杵尊・大山祇命・天照皇太神・素戔嗚命・伊弉諾命・伊弉册命
旧村社。大同3年(808)に小中台のシロヤマに富士浅間神社の分霊を勧請、のちに稲毛に移されたという。治承4年(1180)千田判官親正を追討したとき東六郎胤頼が当社へ参詣、同年9月に源頼朝が参詣したという。文治3年(1187)に盛り土をし海上に富士山を仰げるようにしたという。明治21年(1888)小室神社(伊弉諾尊・伊弉册尊)を合祀。明治42年(1909)に字川岸の山王社・八坂神社(須佐之男命)・神明社を合祀。境内神社に稲荷神社(大宮姫命)・厳島神社(市杵島姫命)・大宮神社(大山祇命)・小御嶽神社(磐長姫)・若宮社(彦火火出見尊)・香取社(経津主命)が有る。当神社の神はコハダに乗ってやってきて当地を開拓したという言い伝えがあり、住民はコハダを食べない風習があったという。

●浅間神社 稲毛区黒砂3-9-13
御祭神…木花之開耶比賣命
旧村社。文化12年(1815)夏、浅間大菩薩を遷宮。文久元年(1861)に社殿を再建、明治44年(1911)天神社(字稲毛台:菅原道眞)・道祖神社(字道祖神:八衢比古命・八衢比賣命)を合祀。境内に御室浅間社(磐長比賣命)・疱瘡守護神(月夜見神)・三峰社・琴平神社(大国主命・金山彦命)がある。平将門の落ち武者の子孫が創建したという。

●浅間神社 中央区大巌寺町180大巌寺幼稚園裏の杜
御祭神…木花開耶比賣命
創建年代、由緒不詳。古墳上に鎮座という。

●浅間神社 花見川区幕張町2-1402-1付近
御祭神…不明
創建年代不詳、元は大宮大明神の境内社。現在大宮神社は何処かに合祀されたたか跡地には鳥居と、その傍らに「磐長姫命」の石碑が残るのみとなっている。

●千手観音堂 緑区大金澤町718 旧字内出
御祭神…千手観音
かつては金城寺の境外仏堂。行基作の仏像が安置されていたが、大正4年(1915)の火災により焼失。昭和33年(1958)に再建し、新たに千手観音像を安置。

●曾我野陣屋址 中央区蘇我3-24-32 敷地内
御祭神…不明
創建年代、由緒不詳。蘇我比咩神社に合祀された社だと思われる。

●蘇我比咩神社 中央区蘇我町2-2-7 旧蘇我町曾我野字東側
御祭神…蘇我比咩大神
神紋…五七桐
男千木。式内社比定社、旧郷社。中世以降は春日大明神と呼ばれた千葉荘の鎮守。天正19年(1591)から徳川家康が当社の春日大明神に10石寄進している。社伝では日本武尊の東征の際、妃・弟橘姫が入水して海神を鎮めることができたが落命し御遺体が当地の浜に流れ着いた。里人が介抱したところ蘇生され「我れ蘇れり」と宣り給わったことから当地を蘇我の里と称したという。この他、弟橘姫入水の際、蘇我大臣の娘と都から同行してきた他の3人の姫も海中に身を投げ、蘇我大臣の娘は蘇我の海岸に打ち上げられ、他の3人も姉崎、五井、八幡の海岸に打ち上げられ里人の看護により回復、都へ戻れたという。その後応神天皇の時に当地の国造として蘇我一族が派遣され、蘇我比咩を祀ったのが当社の創祀ともいう。また一説には弘文天皇の御宇、壬申の乱で蘇我赤兄が当地に配流された際、祖神を祭り、のちに里人が赤兄やその妻子を祀ったのが始まりともいわれる。古い地名の「曽我野」から考えると当地は蘇我氏の部民が居住していたか、蘇我氏の出自の豪族が統治していたかの理由で氏神を祀ったことが始まりと考えられている。付近には生実に古墳群がある。文化9年(1812)に火災で社殿や寺宝が焼失。明治42年(1909)神明社(旧曾我野村字西側35:天照皇大神)・八幡社(旧曾我野村字矢畑1318:応神天皇)・御霊神社(旧曾我野村字東側122:不詳)を合祀。境内に大三輪神社(旧今井村字白籏の八幡社の境内社)・大山阿夫利神社・稲荷神社(元神明社の境内社:稲荷大明神、千代春稲荷・宇賀御魂)・浅間神社(石碑)・手置帆負命(石碑)がある。私見だが日本武尊東征時には当地はまだ海の底で在り、当初は別の地に鎮座していたものと思われる。

●蘇波鷹神社 旧都村貝塚
御祭神…大山津美命
創建年代不詳。千葉氏5守護神のひとつ。同町内の第六天神社に合祀。境内社に道祖神社があった。

●薗生神社(本殿) 稲毛区園生町624 旧都賀村園生字古屋敷
御祭神…天御中主命(現在は薗生大神(仮))
旧村社。創建年代、由緒不詳。元は春日神社(武甕槌大神・経津主大神・天児屋根大神・比売大神)であったと伝わるが、元々は千葉氏に崇敬された妙見社であったと考えられ、社殿も北辰を拝する方角で造られている。明治41年(1908)に七社大神(字西海道:国之常立大神・国之狭土大神・豊斟渟大神・埿土煮大神・沙土煮大神・大戸之道大神・大苫辺大神・面足大神・惶根大神・伊弉諾大神・伊弉册大神)、日枝神社(大山祇大神)を合祀。同町の金蔵院(園生町694)の隣りにある薗生神社が拝殿で城跡に鎮座。当神社は古墳上にあり旧地名は古屋敷であることから千葉一族に関わる墓とも考えられる。境内社に子易神社・三峰神社・稲荷神社がある。