世界「最終」戦争論 | BOOKROOM

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本と本屋が大好きな私の、おすすめする本です。

「世界『最終』戦争論」

         (内田樹  姜尚中   集英社新書)


有名な作家が、

友人や家族、恋愛相手とかわした手紙が

死後、出版されて公開されることがありますが

私はそれに、うっすらと違和感があります。


作家の作品を理解するために

内面や私生活を知ることは

有効だったり、必要だったりするのかもしれない。

でも、特定のある人に綴ったものを

未知の多数の人に公開されることなど、

書いた本人は前提としていないのではないか。

でも、作家と呼ばれる人たちは

どんな場面においても、「いつか誰かに見られる」

という意識があって、

ほんとうの意味での「私的な告白」というのは

そもそも存在しないのだろうか、と思ったり。


私自身は、誰かと二人で、

サシで会話して聞いた個人的な内容は

ほかの人には話さない、という姿勢で生活したいのです。

手紙も、メールも。

相手は、私だから話してくれているという意識があります。

と同時に、私も、

その人だからこそ話したいことを話している。

だから、「ふたりの会話だけど公開」という

ネット的なものには、手を出せません。


また、同じ仕事を続けていると

「話す内容や、段取りが同じ」という

手擦れした言葉を発しがちになりますが

私はそれも苦手です。

それは、目の前に相手に対して

失礼な気がするからです

・・・といつも思っていたので、


この本。

二人の語る言葉の、深さと切れ味に圧倒される一冊ですが

その中のこの箇所は、すごく納得したのです。


    「他の相手にもこれまでしてきた話」を繰り返す、

     というのは

    「僕の目の前にいるのがあなたじゃなくても、

     他の人でも、僕の話すことは変わらない。

    (ということは、あなたは「誰でもいい人間」だということ)」

     という暗黙のメッセージを発信することになる


と同時に、以前読んだ小島慶子さんのエッセイの


    言葉は、受けとる人のもの。

    受け手の渇きが、平凡な言葉に力を与える。

    私がふと放った言葉が

    誰かの渇きに届くことがあるかもしれない。


というフレーズにも、とても共感できます。

十数年ぶりに会った人に

「あのときの、あの言葉を覚えています」と言われても

私自身は、全く覚えていなかったりする。


そして、悲しいことに

話の通じない相手に、通じるものだと思って話し続けると

人は壊れてしまう、ということも

仕事を通じて知っています。


発する言葉の、気持ちのサジ加減が

最近は変わってきました。

丁寧に選ぶ言葉の思い入れと、

自由に放つ言葉の楽しさ。

そして、心から信頼している人と話すときは

最高のリラックスと最高の緊張(のような高揚)を

同時に味わうものだと思っています。