横山義行騎手インタビュー | 競馬ブック こちら美浦編集局

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 競馬ブック美浦編集部の山下です。 

 

 先日、横山義行騎手の今年いっぱいでの引退が発表され、弊社公式ツイッターにもかつてないほどの反応がありました。何せ落馬負傷した2015年1月から情報らしい情報がほとんどなかった中での今回の引退。競馬ファン、特に障害ファンにおいてはびっくりされた方も多かったのではないでしょうか。そこで今回は横山義行騎手の近況とともに、落馬事故後の経緯、来年競馬学校に入学するご子息(横山琉人くん)のことなど色々聞いてきました。

-早速ですが、2015年1月11日に落馬されてからの経過をお聞かせ願えますか

 頚髄損傷でした。頚椎は骨ですが、頚髄は神経ですね。落馬事故の次の日に意識が戻りました。船橋の病院に1週間、その後つくばの病院に転院するんですが、その当時のことはよく覚えていないんですよ。今思うと脳にもダメージがかなりあったようなんですよね。初めは全身が動かなくて……。これまでにも骨折や脱臼というのは経験していましたが、「あれ?これは今までと違うな」と思って。首をやったんだよと、言われてもそういうのはなかったんで。で、ネット調べて「これはまずい」と。だからその時点で「復帰が難しいんじゃないか」と思いましたね。実は結構早い時点で厳しいんじゃないかと自分では思っていました。一方で医者からは「うまくいけば馬にも乗れるかもしれない」ということはおっしゃっていただいたんですけどね。

 

-そこからリハビリが始まるわけですか

 そうですね。リハビリを始めてから半年は本当に順調でした。順調に回復して、これなら復帰できると思っていたんですけど、そこまででしたね。半年を過ぎてからは思うように良くなってきませんでした。半年ぐらいで歩けるように……。まあ、それでも足に力が入らないような状態でしたけど。一番はやはり右手ですね。今でも麻痺が残ってしまっていて、普段の生活でも左手を中心に生活するようになりました。今でも車を運転することはできますし、病院なんかでも自分のことは自分でやれるほどでしたが。落馬事故から1年経って「ああ、これは無理だな」と思いました。

 

-当時の心境は

 やばい、これからどうしようっていう。怪我をした次の年から調教師試験を受けることにしました。それで勉強を始めた訳ですが、これが大変で。もともと勉強が好きではなかったですし、何せ読めない漢字がいっぱいありましたよ。字を書くことも遅くなりましたから、そのあたりはテーピングで巻いて、太いペンを使うようにしたりと工夫しました。調教師試験は2回しか受けないと決めていました。というのも3年間騎乗がないとジョッキーの免許が失効してしまうので、その間だけと決めていました。結局受からずでしたが、うーん。何年も受からないひとがいることを思えばハッキリ言って甘いというのは分かっていましたけどね。ただ、馬に乗れれば助手さんなど他の道がありますけど、自分にはなかったですからね。何ができるんだろうって考えて。最終学歴も中学卒業になるわけですし。それでも競馬に関わることがしたいなと。それで競馬会に相談してJRAファシリティーズにお世話になることになりました。

「ゴーカイの時こんな短い鐙で乗ってたんだ。一番乗れてた時期だね」と横山義騎手

 

-来春、競馬学校にご子息が入学されますね。

 子供は3人いるんですけども、次男は競馬に興味を持ってくれまして。長男なんかは全然興味持ちませんでしたけどね。面白いもので次男は早くから馬に乗りたいと言っていましたね。それで小学校5年生から美浦トレセンの乗馬苑に入れました。本人はすごく楽しいみたいで、やめるというようなことは今までに一度も言ったことがありません。競馬もよく見ています。ただ、それぐらいじゃないとやっていけない世界ですからね。甘くありませんから。まだ分かっていない部分も多いと思います。今後怪我などあって、どう心境が変わってくるかでしょう。

 

-親御さんとしては複雑な気持ちもありますか

 まあそうですね。でも自分と同じ職業を選ぼうと思ってくれたことは親としては嬉しいですよ。さんざん自分の怪我を見ているはずなのに何度も病院にきているはずなのに騎手になりたいと言うんですからね。「お前こうなってもいいのか」と聞いたら『俺はそうなってもいい』と。こいつは本当にバカだなと、その時思いましたね。そこまで言うんだったら応援してあげたいなと。中山大障害も勝ちたいと言っていますからね。こんなやつは、なかなかいませんよ。

 

-応援にも来られていたのでは

 メルシーエイタイムで中山GJを勝った時は見ていると思います。ただ、この世界は馬との巡り合わせですからね。石神もオジュウチョウサンと出会って成長したと思いますし、そういうところが面白いと思う一方で厳しいところでもありますからね。レースを使える馬に上位の騎手から埋まっていくようなシステムに変わりましたし、昔とは違いますから。減量騎手を乗せる流れも出てきてはいますけどね。競馬学校に入ってジョッキーという職業の認識も変わるかもしれません。

 

-障害ファンからの勝手な期待では、同期に西谷騎手のご子息(西谷凜くん)がいるというのも大きなトピックです。

 3人で障害乗るんですかね。僕もいれば最高だったんでしょうけど。その時には復帰しようかな笑。僕もその時がくるのが楽しみですよ。まずは競馬学校を無事に卒業することを期待して、僕も第二の人生を歩んでいきたいと思っています。

 

 

インタビューして

 お話させてもらうようになったのは美浦にくるようになってからですが、栗東でも障害馬の調教騎乗で見かけることがありました。とにかく特徴的だったのは足が長いこと。遠目にもスタイルの良さは一目で分かるほどでした。クールで冷静。カッコイイ。それが私の横山義騎手の印象でした。一方でお話をさせて頂くと、気さくで柔和で細かいことも丁寧に説明して頂いたことをよく覚えています。今回、大変な怪我の内容だったにも関わらず、時に冗談を交えながら明るくインタビューをさせて頂きました。『前を向いて歩いている--』。それが分かっただけでも、いちファンとしては救われる思いでした。

 間違いなく「西の西谷、東の横山義」と言われた時代があり、某調教師さんは「義行は障害界の武豊」と評すほど。それほどのジョッキーがいたということを私も、そして競馬ファンの多くが決して忘れることはないと思います。横山義行騎手へのお疲れ様という言葉と、感謝の気持ちを、このブログをご覧になった方と共有できれば幸いです。