競馬ブック こちら美浦編集局

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  いまどき珍しく電波が届かなかった苗場山山頂。月曜日に一晩過ごしたのですが、下界の情報が遮断された中、どうしても気になったのが天皇賞予定馬の動向でした。特に今回、状況次第では既に準備済みの『トレセン通信』や、コンビニプリントGⅠ特集号の原稿を大幅に修正する必要が出てくるため、何となく落ち着きません。結局、夜中に小屋の中で布団を被り、スマホでちょこちょこと準備を始めていた『トレセン通信』の予備原稿。今週の業務も山を越えた土曜の夕方、せっかくなので後半を書き足してみました。ただ、当初想定していた『トレセン通信』の差し替えではなくなったため、途中から〝山紀行〟へと大きく舵を切っております。

 

                                 『乱菊の翌日』

 フィエールマンとは「気高く、勇ましく」を意味する音楽用語だそうです。ただ、あの走りを音楽用語で表現するのなら、道中は完ぺきな〝アンダンテ(歩くように)〟。そして、ゴールに向けて一気にテンポアップする、そんな走りでキャリア3戦の伏兵が栄冠を掴み取った菊花賞でした。

  それにしても1000m毎の時計は、前半が62秒7、中盤が64秒2、後半が59秒2ですから、レース史上稀にみる中弛みのペース。結果、ラスト2ハロン目には10秒台のラップも刻まれています。フィエールマンは、この速い上がりのレースを3F33秒9の末脚で差し切りました。

 距離経験が1800mまでの同馬にとって、究極の切れ味勝負になったことが一番の勝因と言えるかもしれません。また、この流れで外を回っては無理と、冷静にエタリオウの内を突いたルメール騎手の好騎乗も光りました。

 ちなみにフィエールマンは7番人気、2着のエタリオウこそ2番人気でしたが、3着のユーキャンスマイルも10番人気という人気薄で、3連単は実に10万馬券。平成最後の菊花賞は、乱菊模様に染まってその幕を閉じたのです。

 

 さて、乱菊の余韻醒めやらぬ翌朝、私は新潟と長野の県境にある苗場山に向かいました。湯沢の登山口から歩くと、まず、本峰の前に辿り着くのが前衛の神楽ヶ峰(2030m)です。3時間半で稼いだ標高は800mと、ここまではノンビリの行程。その神楽ヶ峰を過ぎると目の前に大きな空間が広がり、ドーンと苗場山の本体が姿を現します。視界が大きく開けるのは登山道がそこからいったん150mほど下るからで、下り切ってからまた270m登り返したところが山頂です。

 

 苗場山は山上に湿原が広がる楽園のような山ですが、ここからの眺めるとまるで堅牢な要塞。その要塞の壁に張り付くように道が確認できます。山頂へ続くその急登を見て「よしっ」と気合が入るのは健脚の登山者だけ。勿論、私は違います。心が半ば折れました……。

 

 心が折れながらも150mを下り切ってひと息入れ、最後の直登に取りつきました。ここまで家内と並んでのんびり歩いてきたのですが、この急登ではそれぞれ自分のペース。特に申し合わせた訳ではありませんが、長年、夫婦で山を歩いていると、そのあたりは暗黙の了解になるのです。

 

 いつも通り、前を行く家内の姿はあっという間に小さくなり、やがて視界から消えました。おそるべき上がりの脚、いや、登りの足。やはり昨日の今日ですから菊花賞を思い出さずにはいられません。あれこそフィエールマン級の足……。

 

 この直登で力を使い果たし、半ば倒れ込むように到着した2145mの山頂。そこには家内が涼しげな顔で立っておりました。「仕事が忙しかったんだから仕方ないよ」と、周囲に聞こえるように私に声を掛けたのは家内の心遣いでしょう。そばにいた人たちは、精根尽き果てた私の姿を見ても「たまたま仕事が忙しく調整不足だったのだな」、そう思ってくれたかも知れません。本当は違います……。

 それにしても、登山口からずっと余裕のペースで歩きながら、最後は驚異の上がりであっさり突き放された自分。その姿は、菊花賞で健闘むなしく敗れた馬そのものではないですか。残念ながら勝負に絡めなかった馬たちも、みんな力尽きるまで精一杯頑張ったのであろう……。

  乱菊の翌日、よれよれになりながらそんな思いが頭をよぎったのでした。

 

乱菊や わが山行の しづかなる