『もうレシピ本はいらない──人生を救う最強の食卓』
稲垣えみ子
マガジンハウス 2017年9月7日
「美味しいものはもしかして、どこかにあるものなんじゃなくて、すでに自分の中にあるものなんじゃないか」
「アフロで無職で独身」稲垣えみ子52歳の食生活は一汁一菜。シンプルでワンパターン、でも日々の食事はそれで充分。
⋆
・豪華なもの、美味しすぎるものは飽きる。だからこそ「毎日違うものを食べたい」と思う。
・家族の食事を作る人が毎日美味しすぎるものを頑張って作り続けているからこそ、「毎日違うものを食べなくてはいけない」ような事態になっているのではないか。
・料理は生きるために必要なこと、もともとは老若男女問わず、誰にでも、それなりにできるはずのもの。それがいつしかどんどん複雑になり、食べることは「生きるための手段」という本来の姿から遠ざかり、際限のない娯楽、競争、苦しみとなった。そんな今、私たちに必要なのは、「食の断捨離」だ。
・大根、タマネギ、長ネギ、キャベツ、白菜などを干して干し野菜を作ってみよう。
・フランスの女性はほとんどが仕事を持っているので、「週末に野菜スープを鍋いっぱいに作り」「平日の夕食はほぼ毎日、野菜スープを食べる」。
・野菜でも魚でも、旬のものは安く買うことができる。価格を意識して買い物すれば、旬のものを美味しく食べることができる。
・巷で話題の「美味しい」情報に左右されず、何が美味しいかは自分で決めればよい。食べる楽しみは自由で無限である。
・糠漬けを常食していると手が糠臭くなるが、腸が綺麗になる。
・糠床のお世話は同居人がペットのお世話だと思うべし。出来上がりがどんな味になるか想像できないところがまた楽しみ。大抵のものは糠漬けにして美味しく食べられる。
・糠漬けはそのまま食べて美味しいだけでなく、料理の材料としても使える。
・人生には「ハレ」と「ケ」の両方が必要。「ハレ」の日の特別な料理の「驚きの美味しさ」はプロに任せ、家庭では家庭の味を。
・素人は「味がピタリと決まる」を追求しなくてよい。追求すべきはその日の自分の食べたい味を自分の手で作り出すこと。
・「お母さん手作りの食卓」と「宅配」、世の中にはこの二者択一しかないわけではない。各人が「自分で食べるものを自分で作る」という道がある。
・料理は自由への扉、だから男も、女も、子供も誰もが料理をすべきなのである。自分で料理をする力を失ってはいけない。それは自らの自由を投げ捨てる行為である。
⋆
私は主婦として家族の食事を準備する立場でもあり、食いしん坊でもあるため、日々の家事に占める料理の比重はやや高め。
だけど昨今、材料費、光熱費が共に上昇していることもあり、少し光熱費の節約になるかと思い、副菜と汁物は1日おきに作る試みを始めた(メインは毎日作る)が、副菜とお汁って2日連続同じでも、何の問題もないのね…
毎日、毎食違うものを食卓に並べなくてはならないと思い込んでいたので、ちょっと拍子抜けした。
英国、イタリア、ドイツに住む人などから、
「英国では普段の食事は至ってシンプル」
「イタリアの家庭では、変わったものを作るより毎日トマトソースを作る方が喜ばれる」
「ドイツでは普段、温かい食事は1日1食だけ」
と聞いていたが、この本にあるように、毎日毎週別のものを食べなくてはいけないなんてことはないのだと改めて感じた。
普段はもっとシンプルに、そして特別な日はちょっとお金や時間をかけて普段と違ったものを作る、もしくは食べに行く、我が家でもそんなふうにしたい。
我が家には食べ盛り、育ち盛りの子供たちがいるので、筆者の食生活を丸ごと真似することはできないが、紹介されていた筆者曰く「地味」はとても美味しそうで身体にも優しそうだ。
#家事は大変って気付きましたか ?
の感想にも書いたが、女性の社会進出を進めようとするのなら、家事、育児にまつわる「やらない仕事」の洗い出しは絶対に必要だと思う。