『清浄島』川﨑秋子

 双葉社 20221031


「恨みたきゃ恨め、憎みたきゃ憎め。なんなら呪ってくれてもいい。それで救えるものがあるのなら──。」


呪いとも風土病とも言われる死病があった礼文島に、病の感染経路を調べ、予防のための啓発を行うため、単身送り込まれた若い研究員。彼の目に映る病の実態と島の人々の暮らしを描く。


 


恐ろしい病、その実態を調べるためにa


「日々忙しく家を切り盛りしている女性たちに、皿洗いに使う水は全て沸かしてからにしろと言って、どれだけ実行してもらえるだろう。」


「屋外で汗水たらして仕事をし、疲れて水を欲している身体に、目の前の石清水に絶対に口をつけるなという権利は誰にあるのだろう。」

-p. 51


「恨みたきゃ恨め、憎みたきゃ憎め。なんなら呪ってくれてもいい。それで救えるものがあるのなら、俺一人ぐらい、名前が不名誉に刻まれることぐらい、何としたもんか。」

-p. 240



「思わぬことが原因で病がもたらされることもあれば、ひとつひとつ心掛けて守ってきたことが思わぬ災厄から人を守ることもある。何が良くて、何が悪かったのか。年月を経てからしか評価できないものもある。渦中にいるうちは、ただできることをしておくのみだ。」

-p. 317


「同じ病に罹ったとして、その危機に直面したとして、それに対する感情はそれぞれで、間違いなくその人のものだ。」

「対策だ予防だと一律にものごとを押し付ける立場であるからこそ、我々はそれを忘れちゃいけない。」

-p. 359


『我々人間は、悔いて、後悔して、罪を背負って、努力するからこそ未来に選択肢を増やすことができる。あなた方を見ていると、そう思えた。それが、当時の私には救いになったのです。』

-p. 379


 


#絞め殺しの樹

#介護D

ですっかり魅力された河﨑秋子先生の作品、


ある日突然「妊婦みてえに」腹が膨れて迫り出し、やがて黄疸が出て死に至る。


この恐ろしい疫病の明らかになっていない部分を解明し、立ち向かおうとする主人公は、社会のため、地域の人々のためにと奮闘するが、住民の反応は必ずしも協力的、好意的ではなく、白眼視され、時にはあからさまな悪意をぶつけられたりもする。


また、近隣住民と交流を重ねて、その暮らしや心情に近づき、寄り添うことで、より深く煩悶するようになる場面もあり、心が痛んだ。


ひと昔までは「治らない」「助からない」と言われた病気を防ぐ薬や治す薬が現代にはたくさんあって、私たちの多くは赤ちゃんの頃からたくさんのワクチンを受けて育って来たと思う。


そのためなのか、新型コロナの世界的感染が問題になった時も、すぐにワクチンや特効薬できるのではないか、そうすればたちまち収束するのではないか、という見方も(報道も)あったのではないだろうか。


けれど例えば結核などの病気も、この物語で取り上げられているエキノコックス症という病気も、実は過去のものではないという。疫病と人類の闘いは果てしなく続くもの、疫病は根絶させるものではなく、共存していくしかないものだということを、作品を通して教えられた気がしている。


研究機関や研究者で病を解明したり、薬を作ったりする方たちは偉大だが、結局のところ社会に生きている私たちひとりひとりが、病気と予防に関する正しい知識を身に付け、各々がこまめに手を洗う、手指消毒をする、生水を飲まない、野菜は良く洗って火を通すなどの日々の積み重ねで、自分の身を守らないといけないのだと実感した。


エキノコックスといえば北海道、そしてキツネだと勝手に思い込んでいたが、人の移動も物流もさかんなこの時代に、そのような認識でいてはいけない。主婦は家族の食事を用意する身、もっと勉強しないといけないと思った。