「悪霊」は幾多の命を対価に更なる混乱を呼び起こす。そして正反対の「生」の出来事が起こった時、破滅と終焉をもたらす1人の血が流される!
◇悪霊・下◇ -Бесы-
フョードル・ドストエフスキー 江川卓 訳
ドストエフスキーは、組織の結束を図るため転向者を殺害した“ネチャーエフ事件”を素材に、組織を背後で動かす悪魔的超人スタヴローギンを創造した。悪徳と虚無の中にしか生きられずついには自ら命を絶つスタヴローギンは、世界文学が生んだ最も深刻な人間像であり“ロシア的”なものの悲劇性を結晶させた本書は、ドストエフスキーの思想的文学的探求の頂点に位置する大作である。
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「悪霊・下」です(・∀・)
読む間は永遠かと思われましたがいつかは終わりが来るものでやっと読み終えました。
しかし読んだ甲斐はあったというもので下巻からは祭りの混乱、火事、強盗殺人と立て続けに起こります。主催者レンプケが祭りの大失敗を被ることである意味1番の巻き添え型被害者ですが怒れる市民たちの怒りを1番ぶちまけられるのはやはり「善良な市民」タイプの上流階級だよな……と思ったり。しかしまさかこんなに人が死ぬなんて……リーザ、めっちゃ悲惨……
密告の恐れがあると殺されたシャーノフの、その直前に妻の帰還と出産を迎える場面、
死ぬ直前になって愛を知り、生きる喜びを訴えるステパン氏の死や破壊を隣り合わせにして真反対の、生の事柄に直面するところが興味深いと思いました。シャーノフもステパンも結局死の事柄には勝てませんでしたが、敵わずとも人間や世界はこの喜びに対抗し、屈する術は持たないと訴えているようにも見えます。
「スタヴローギンの告白」にでもある「革命」の裏に佇み潜むスタヴローギンは「イワン皇太子」なろうとしても名前を騙る「僭称者」にしかなれず、どんな時でも悪徳で作られた「偽物」であることを自覚するしかなかった彼は自殺を選ぶ時初めて「本物」になる……複雑なキャラだな……こういうキャラって下手すると薄っぺらくなるけどドストエフスキーは緻密な描写で無駄が無くて「流石だな……」と思います。
「悪霊」でした(・∀・)/
次は最後のスタニスワフ・レムだったのですがこんな重いのを2作も続けたら心が持たないのでちょっと溜まってる川上弘美と多和田葉子をじゃんじゃか読もうと思います (*^o^*)/