私は、場面緘黙症でした。
今では、場面緘黙症のお子さんをおもちのお母さん達に
『本当に場面緘黙症だったんですか!?』
と聞かれます。
場面緘黙症親の会を開催したいた頃は、まるで緘黙症だった感じが見られない私の姿に希望を感じて下さるお母さんもいらっしゃいました。
『うちの子もaikoさんみたいになれるかも!』と言って帰っていかれる方もいました。
場面緘黙症で学校では一言も話せなかった私がこうやって話せるようになれました。
人前では、問題なく日常生活をおくれるようになりました。
ですが話せるようになってからも大変な困難に悩まされ、実は今でも残っている緘黙基質と向き合っています。
話せるようになったからそれで終わりではありませんでした。
話せなかった頃にたまりにたまった感情たちと向き合っていくことをしなければ、私自身は本当の意味で緘黙症から解き放たれることはないのだなと感じています。
あの時にこうしていたら、とかこんなサポートを受けていたらと思うことが山のようにあります。
それを伝えていきたいと思いました。
私のしてほしかったサポートが全ての答えではありませんが、いろんな緘黙症当事者の方のお話を聞いたり、思いを聞いたりしていると共通するテーマがあることを感じさせられます。
緘黙時代頃の私の写真を公開します。
これは、ディズニーランドへ行ってすごく楽しいはずなのにカメラを向けられるとこんな表情になってしまうという。
きっと学校でもこんな表情をしていたんだと思います。
でも表情が出てません。
この写真を見せたら、緘黙症のお子さんをもつお母さんたちの中には、緘黙症っぽいと言って下さる方もいました。
ゆいつ緘黙症だった証拠の写真かなと思ってます。
実は、この時もスモールステップをふんでいる最中だったんですね。
学校以外だと自分を出すことができるとおもった私は、誰も知り合いがいない、ちびっ子ディズニーランドツアーに参加していました。
知ってる子なんて1人もいませんでした。
知らない子の中で友達をつくるスキルを安心、安全だと自分が思える場所で学んだのです。
その学びが成功して次へのステップをふんでいき、今の私があります。
最終的には、小学5年生の時に1人で飛行機にのりバスに乗り換えて、タクシーで県外のお泊まり合宿へ1週間行くということまで、できるようになりました。
これだけ聞くと順調だと思われますよね。
渦中は大変なこともたくさんありました。
たくさんの人との関わりで話すスキルを学びましたが、人に自分の思いを伝えることができなかった私は、今まで随分と人間関係でふりまわされたし、ひどい目にもあってきたし、常にゴタゴタしたことに巻き込まれまくってきました。
そのたびに傷つき、どうしたらいいのか分からずにいました。
実は、ディズニーランドでも飛行機に乗って県外へ行った時も嫌な思いしました。
でも嫌なことを嫌とか、やめてとか言うことができなくて合わせるしか対応能力がありませんでした。
それは、大人になってからもずっと続いたもんだから、人から共依存されたり、闇の深い人に関わったり、自分も一緒におちていったりと大変な時期がありました。
自分のおちていき方がすごかったです。
これはまた改めて記事にしますが、壮絶な体験をしました。
そしてそれは、今でも続いていて今まで抑えていた感情が出てくるという経験をしています。
緘黙症になると集団生活の場で強制的に感情が出せなくなります。
そのせいで、喜び、悲しみ、怒りなどの感情が出せないまま大人になってしまいました。
その感情を出していくという作業をしているのが今です。
私が最後まで出なかった感情が怒りの感情でした。
今、その怒りの感情が大爆発しています。
理性では、こうしたら上手くいくと分かってますが、怒りを抑えたくないんです。
これってもう、無理矢理おさえることをしない方がいいのかもしれない。
ついに、私が今まで人と関わる為にニコニコと合わせてしまう、いい子仮面がメキメキと音をたてて崩れていきました。
『絶対に許さない!!!』
という感情です。
自分でも怖いー!と思うんですが
それくらい、ためてきていました。
どんな酷いことを言われても、私が我慢していれば周りは平和ですむと思い込んでいたので、嫌なことを言われても勝手に感情を感じなくしていたのです。
もう人と合わせない!
自分らしく生きていく!
と決めてから、だんだんと自分の本心に気づいてきました。
本当は、心が張り裂けそうなほど傷ついていたのに周りに合わせてきたということを。
そうしないと生きてこれなかったということを。
気づいたら後戻りできません。
怒りの感情に寄り添ってあげないといけないと思っています。
抑えてはいけないと思うのです。
抑えたらまた元に戻ってしまうから。
あの、いい子仮面の自分には2度と戻りたくありません。
周りは、いい子の私が本当の私だと思っています。
それは、緘黙症だった私が生きていく為に一生懸命作り上げてしまった別人格です。
私は今まで違う人格を演じてきていました。
何事もなかったかのように話すし、笑ってるけど、心の中は満たされない思いでいっぱいでした。
演じていた時に受けたセッションでカードリーディングをしてもらったんですけど、その時に出たカードがこれです。
『あなたは、誰ですか?』
というカード。
その時は意味が分からなかったけど今はよく分かります。
今、ようやくこの歳になって本当の自分を取り戻しています。
緘黙症だった子供の頃にしておきたかったこと。
たくさんの感情を安心できる親の前で出すことです。
私にとって両親は、安心できる存在ではなかったです。
理解者ではありませんでした。
だから1人でこのよく分からない状況を処理していくしかなかったのです。
その為に出来上がってしまった、ニコニコ仮面でいい人の嘘な自分。
自分は、何が好きなのか?
どんな人なのか?
まったく本当の自分を知らないまま大人になってしまいました。
自分の経験からお母さんの前で素直にいろんな感情を出せている子を見ると安心しました。
でも、親の前でも感情が出せていない子を見ると自分と重なり大丈夫かな?と心配になりました。
これは、緘黙症に限ったことではないんですが、特に緘黙症だと感情の出す場所がないと、今はよくても将来、私のようになってしまうことになりかねないと感じています。
なので、場面緘黙症のお子さんには楽しい、悲しい、怒りたいという感情をお母さんの前だけでもしっかり感じていってもらいたいというのが、当事者としての思いです。
今からでも間に合うので、お子さんの感情に寄り添ってあげてほしいと思います。
反抗期って大切だなと感じてます。
私は、反抗期がない子供でした。
うちの息子も感情を出すことが下手くそです。
それでも最近、反抗期らしきものがきているので安心してます。
支援級では、しんどくなったり、帰りたくないという思いを、自分なりに表現できてます。
表情できてる!と嬉しくなる私です。
私が怒りの感情を向けているのは身内に対してです。
もうね、止まらないのですよ。
今まで本当に本当に自分の心を殺してまで演じて合わせてきたのだから。
今度は、お前たちが合わせる番だ!!!
とさえ思ってます。
そういうこともね、冷静に伝えようと思ったらできます。
でも、今はしたくないんですね。
今は、しっかりと自分の怒りの気持ちに寄り添ってあげたいんです。
きっと言葉で言えば伝わります。
でも、感じてこなかった怒りの感情をもっと感じたいのだと思います。
こういう過度になっている時カウンセリングが必要になってくるので、受けに行く予定にしてます。
1人で戦っていてもしんどくなるので、信頼できる方に話を聞いてもらい、怒りを感じながらでも心を落ち着けていく作業もしなければいけないと思ってます。
私の心の声がこう叫んでます。
『これ以上、我慢しないで!全部出しきって』
って。
この心の声にそむくことは、絶対にできないと思ってます。
今、本当の自分の気持ちに寄り添っていかなければ、本来の自分を取り戻せないと感じるからです。
怒りの感情を感じることは、かなりきついです。
辛いです。
だから一番最後に出てきた感情なのかもしれません。
怒りってパワーがいります。
私の中では、泣くより笑うより力を使うことです。
人生の中で、怒ってきたこともたくさんあったけど、本当に怒りたい時に怒れませんでした。
怒ってもまるで伝わらなかったのもありますが。
最後のとりでのような気がしているので頑張って自分に寄り添ってあげようと思います。