「ビット・プレイヤー」(グレッグ・イーガン:ハヤカワ文庫SF)
個人的には「順列都市」がマイ・ベストなグレッグ・イーガンの短編集。
内容的には様々なテーマを扱っているのだが、構成が見事で、近未来から始まってミレニアム(千年紀)を何ヶ月かの如き感覚で過ごす遠未来までを加速度的に感じさせる作品配列が見事でした。
イーガンは長編「ゼンデギ」では近未来を扱っていたのですが、その後の「シルトの梯子」「白熱光」以降はあまりに遠い未来が舞台で、現代とはかけ離れた世界での物語が「とっつきにくいんじゃないかな?」と読んでいない現在。
しかし、本作の最後の「鰐乗り」「孤児惑星」の二作が、最近のイーガンの遠未来を描く作品群に通じる世界設定の作品ぽくて、それら最近のイーガンの長編を読む心構えや理解に通じる点があったのが有難かったかな。
「七色覚」
本作の中では一番、現代に違い舞台設定かな?と思う作品。
人間の感覚を変化させる話で、本作は人間の色覚を変えるインプラントを入れた人間に世の中がどう見えてくるか?って話をリアルに描く。
ある意味、人間の中に突然出現した「ニュータイプ」な人種たちが、最初は少数派だけど次第に集まっていって自分達の能力を有効に効果的に使い始める感じかな。
最初の世代はその違和感と世間とのギャップに色々苦労するのだろうが、次の世代で「生まれながらにその能力を持っている」人たちが出現して次第に世界の中心となっていった場合に、世の中のダイナミックな変革が生まれる気がする。
色覚を変えた人向けのTV放送や広告などが生まれ、それを見るためにさらにインプラントする人が増えていって、って流れになっていって。
ある意味のサイボーグやナノテクノロジーによる人体改変に通じるテーマなのかも。
「不気味の谷」
本短編集の中では一番ハマらなかったかな?
作品のテーマとしては好きなネタなはずなんだけど、おそらく切り口が好みに合わなかったのかも。
死んだ人間の人格と記憶をデータ化したものをアンドロイドにコピーするもの。人格と人権の問題を中心に、果たしてその存在をどう扱うべきか?は非常に難しい問題だと思う。
「ゼンデギ」でも出てきた「サイドローディング」技術が語られる。
関係ないが、本作では脚本家の人格をコピーしてるのだが、その人物の「コピー」が作った作品は果たしてその人物自身が作ったもの、として認めて良いのかどうかな?このあたりはコピーの人格に人権を認めるのかどうか?って点とも絡んでくる気がするな。
ただし、以前から言ってるようにこれは「コピー」でしかなくて、人間の延命では無いって点を考えないとダメだよな。
「ビット・プレイヤー」
突拍子もない物理法則の世界に放り込まれた出だしから、どことなく小林泰三の「天獄と地国」的なものを想像して読み続けたのだが、実はそこは「ゲームの世界」だったと。
ゲーム世界における人工知能によるNPCの脇役(ビット・プレイヤー)を主人公として、その人工知能の主人公が自分の置かれた状況をどう考えるか?を主人公の視点から描いているのが非常に面白い。
イーガンと言えば、コンピューター世界の中に一つの仮想世界を作って、その中に人工知能の生命を作るとかのパターンが幾つかの作品で見られるのだが、その殆どは「その世界を作った人間」側の視点から描かれる。
本作の場合はその逆の視点なのが面白いな。
そして、仮想世界での自己の存在の問題だけでなく、仮想世界そのものの中で独特の方法で道具や装置を作って仮想世界環境を改変していこうとする姿が非常に興味深い。
「失われた大陸」
基本的にはタイムトラベル物ではあるのだが、描かれている内容は移民問題的な雰囲気が色濃いか。
タイムトラベル先で安寧の土地に住まえるのか?と言うと、いきなり強制収容所みたいな場所に閉じ込められて来る日も来る日もフェンスの中での生活と、時折の面接で次の段階に進めるかどうか?
これはタイムトラベルよりも平行世界への移動としても描ける内容かな?と思いつつ。
「鰐乗り」
ここからいきなり、遥かな未来を描く作品になる。本作の「鰐乗り」と「孤児惑星」はストーリーに繋がりは無いが、遥かな未来を舞台に電子化した人類の様子を描くって世界設定だと感じられる。
本作では、電子化した人類が銀河系の「融合世界」に広がっているのだが、その中に外部との接触を一切断っている空間「孤高世界」がある事に興味を持った夫婦が、その謎を解こうと幾千年もの年月を費やしていく話。
この中で興味深いのは、電子化されても光速を超える物理法則は無いので、千光年もの先に行くにはデータが千年もかかるわけで、その千年(ミレニアム)を一瞬の如く描く感覚が非常に面白い。
移動している何百年何千年もの間に新たな発見や技術開発もあるかも知れないのだが、主人公らが興味を抱いた孤高世界の中の様子に関しては何も分からないまま。
あと、この夫婦が何万年も生き続けているのだけど、そこで「生きることに飽きてしまった」的な感覚に陥っていること。永遠の命に近いものを手に入れられれば、好きなだけ生きていけるのだろうが、それが逆に倦怠を生む要因になるのか。
ただ、この物語で描かれる未来の人間の様相は、データ化されたって点を考えると人間のデータ化によって何光年も先に行けるってのは、単に「自分のデータを何光年も先に送信する」だけであり、受信された側で再びデータ人間化するって事を考えたら、やはりこれは「永遠の命」ではなく記憶の断絶と、コピーされた人間を作る行為でしか無いよな。
まあそれを考えると肉体からデータに移行した時点で、人間そのものの延命ではなく「人間のデータを移植されたコピー」でしか無いわけで。その辺りは遥か昔に通り過ぎた世界の話ではあるけど(^_^;)
「孤児惑星」
これもまた、知的生命体がデータ化された社会で、恒星の周りを周回しないで宇宙空間を単独で移動する孤児惑星の様相を描く、そしてそこに住む知的生命体とのコンタクトを描くファースト・コンタクト物とも言える作品。
これは「鰐乗り」とは全く違ったテーマのSFなのだが、これは同じグレッグ・イーガンの作品でも短編の「ワンの絨毯」を思い出す感覚があったなぁ。
この惑星が持っているエネルギー循環の謎、その解明を進めると同時に惑星に住む異星人とのコンタクトも非常に面白い。異星人たちと似た姿になって接触していくのは「われらはレギオン」の中の接触方法を思い出す部分があったな。
さて、グレッグ・イーガンはディアスポラ以降の長編では、「ゼンデギ」を除いてかなり遠い未来を舞台にしている作品ばかりで、あらすじを読んでも「果たして理解出来るのかな?」とか「面白いと感じられるのかな?」と思ってきたのだが、おそらくそれらと時代が通じると思われる最後の短編2編「鰐乗り」と「孤児惑星」を読んだ後では、「シルトの梯子」や「白熱光」も読めるかもしれないな、と少しだけ自信が付きました(^_^;)
今後、出来ればそれら作品も含めて(特に難敵な「クロックワーク・ロケット」から始まる三部作も)グレッグ・イーガン作品をなんとかコンプリートしたいなと思いました。