子供が無言になって、目を潤ませて、静かに涙を流し始めるまで。
私はただ「なんで」という気持ちで、何もできずに見ているしかできませんでした。
でも薄々気付いていました。
午後から仕事があるからお昼ご飯一緒に食べたら一回さよならして夕方に迎えに行く。
それが子供にとってどれだけ寂しいか。
ちょっとがんばれば解決できることを楽な方へ流されて子供に我慢させて泣かせてしまった自分を恥ずかしく思いました。
ごめんな
と抱きしめた自分の目頭が熱くなるのを感じました。

本当に出勤するわけでもなかったので、午後の予定は変更して子供と買い物したりお散歩したりしました。
子供の泣く姿を見ると愛しくて、子供の笑う姿を見ると悲しくなります。
これがきっと子を思う親の気持ちです。
結局は自分のために皆つながっている。
だから、自分から繋がって、離れていく。

三月は別れの季節。
次々と訪れる大切だった人たちとの別れは、笑顔で見送りつつも、精神的にこたえます。
あの頃は良かったなんて、こんな想いをするなら感情を殺して仕事が出来ていればとすら思えます。

漫画『ベルセルク』でグリフィスの野望を惑わせた親友ガッツ。
「お前といるときだけオレはオレじゃなくなる」
的なことをグリフィスは言って、仲間全てを悪魔の餌として捧げ、野望の階段を登ります。
そこまでの幸せな流れとそれからの残忍な流れが秀逸で映画化もされました。

あなたはグリフィス派ですか?ガッツ派ですか?

私はきっと、グリフィスに憧れるガッツです。



「さよなら」一度だけつぶやいて続きは心の中にしまっておくの。
「あなたがここに帰ってきますように」
(fish by back number)




気付けなかった君の孤独は見えない傷として確実に降り積もっていった。
ある日とるに足らない衝撃で全てはあっけなく砕けてしまうほどに。
ずっと立ち尽くしていた。
君がもし戻ってきたとき一人じゃないように。
それだけが今僕に出来た優しさだった。

(小高芳太朗『割れたガラスはもう元に戻らない』)

とても優秀なスタッフが一人、昨日で退職しました。
家庭の事情でしたが、辞めると切り出すまで悩み尽くしていたことに私は気付いていませんでした。

「最後の店長がきくぽん店長で良かったです。」
と言ってくれました。
私はいつも、一生懸命がんばってくれる彼女に甘えて、「任せる」という形で放置して、別な仕事をしていました。
だから
「もっと出来たことがあったのでは?
一緒に働き続ける世界線もあったのでは?」
と思えてなりません。
でも、私にはその道が見えません。

これからの私に出来ること。
変わらずに走り続けること。
それが昨日の私で居続けることであり、最高の別れだと考えています。