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光る君へ(第十話)& 今週の西国巡礼...【善峯寺】参拝と桂昌院への想い♪
いやはや...めちゃめちゃ面白かった!!
とにかく...面白かった!!!
今回は、【寛和の変】の全貌が...これでもかっちゅうくらい、フルに描かれておりました。満足度が非常に高い一話となりました。
うむ...凄いよ、これは...。
【ガンダム】で言うならば...ザビ家によるジオン・ダイクン排除のクーデターですな(笑)...。本当に腹黒い...。九門を閉ざすってのは、我々幕末マニアからしても、グッと来るクーデター・ワードな訳ですよ...。人員の配置、警備態勢、事後の計画...完璧です...。
嵌められたのは...我が公...花山帝...。何ともトホホな展開でございます...。
当ブログでも折に触れ語って参りましたが...我々西国三十三所巡礼公認先達にとって、花山帝は【始祖の先達】!絶対的な存在なのであります。二心は抱けぬ様、プログラムされております。それだけに、このシーンを見るのは辛かった。
何と申しますか...
史実に照らし合わせて考えるならば...
花山天皇は奇行の目立つ、煩悩の塊の様な帝。それは理解しているんですけどね。出家後も、良い評判ばかりが残っている訳ではない。現代的感覚からすれば、やはり【うつけ者】の部類にカテゴライズされてもしゃーない人間なのです。
でも...
でも...
割り切れん!!!
事もあろうに...
心的ダメージを負った帝を廃嫡するなど...
尊王攘夷の志から言わせて貰えば...
許し難い!!!
『この罰当たりどもめっ!!逆賊・藤原兼家一門を根絶やしにせよっ!!朝敵討伐じゃ!!』
...と、かねての私なら、叫んでおったかも知れません(笑)。
クーデターって、こんなもんなんですけどね...。
この一挙は、描かれていた通り...寛和二年六月二十三日の明け方に決行されました。天皇は藤原道兼の勧めに従い、内裏を出て山科の元慶寺に向かいました。それを確認した兼家は清涼殿の三種の神器を皇太子の居る御殿へと移送。内裏の諸門を閉ざしたのです。諸門封鎖はクーデターの鉄則。幕末でもしばしば登場します。
藤原義懐も事態を知って愕然とするのですが、ドラマで描かれていた通り...既に花山帝は元慶寺において出家を済ませた後でした。関白・藤原頼忠も摂関の地位を剥奪され、失脚してしまいます。懐仁親王が一条天皇として即位。その外祖父にあたる藤原兼家は摂政に就任しました。これがクーデターの全貌です。
この兼家の摂政就任は、それまでの慣例を破ってのもので、右大臣を辞任して摂政専任となる先例となります。大臣と摂関を分離した...摂関政治の先駆けと言える事件でした。
親父(兼家)がデギン・ザビならば...
さながら貴様(道長)は、ギレン・ザビだ...。狸め...正体を見せるが良い!!!
哀れなるかな...我が公...。道兼が最悪のジョーカーである事を、何故に見抜けなんだか...。まあ...そのご無念は、我ら武士(もののふ)が、もうちょっと後になって晴らしてやりますので...暫しご辛抱を!!
興味深かったのは、やはり晴明の動きですね...。野村萬斎以来...【呪術廻戦】で言えば五条悟的な...美青年超能力者として描かれる事の多い晴明...。その人気キャラを、ここまで俗っぽく描いてみせたのは...初めてじゃ無いかな?いや、この方がリアル。私は好きですね...この描き方。
ただ、晴明LOVERSのお姉様方からは...非難轟々でしょうな...。まるで平安京のラスプーチン(笑)。花山帝の動きを察知しながら...式神を飛ばそうともしなかった姿は...実に生々しく、逆にリアルでした。
花山帝が嵌められたのは、紛れもない事実でしょう。悔しかったと思います。19歳で、天皇の座から引き摺り下ろされたのですから...相当に怒り狂った筈です。
なので...
私は元慶寺に参拝する時、必ず花山帝の無念の想いを想起しながらお勤め致します。それを鎮めるイメージで諷経するのです。
番組末の【光る君へ紀行】でも触れられておりましたが、元慶寺は我々西国巡礼先達にとっては特別な場所。聖地中の聖地です。年に一度は必ず参拝します。ここで剃髪され、帝は退位なされたのですから...。このお寺無くして西国巡礼復興は無く...西国霊場無くして、日本の御朱印文化も誕生しなかった。
ですので元慶寺は札所では無く、番外札所...特別な聖地として扱われております。
【紀行】で取り上げられていたもう一つの聖地、中山寺に関しましては過去記事がありますので、興味のある方は最下部のリンクからご一読下さい。
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で、まひろ(笑)。
大きく動く歴史の中で、道長とのファンタジーが展開して行きます。
毎度の事ながら...吉高由里子の美しさに圧倒されます(笑)。申し訳ないが、世のエロジジイ同様...鼻の下を伸ばしながら、見とれておりました。
何て言うのかな...
彼女って、不思議な魅力がある訳なんですよ...。口調はちょっと幼さが残る...舌ったらずな喋り方。これが苦手だと言う人も多いかも知れませんね。ですが、ビジュアルは知性的な顔立ち...。そのギャップが、何とも言えないエロスを放出する。
綺麗なラブシーンでしたね。唇を重ねる柄本佑が羨ましかった事(笑)!!抱かれている時の吉高氏の表情は...NHKでは限界では無いかと思える程...恍惚としていやらしかった。フェチ心を刺激する...危ういフェロモンがプンプン漂っておりました。
うん、実にリアルだった!!👏
事後のアンニュイな表情も、吉高氏のキャリアの為せる業ですな。とても艶っぽい表情でした。
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何のこっちゃ(笑)?
まあ、そんな感じ。
お父ちゃんは、妾の看病に大わらわ(笑)。それを許すまひろとの会話も面白かった。彼だって...同じ藤原氏なんですけどね...。可哀想に、リストラされて...貧乏に逆戻りとなります...。
うおっ!道長のもう一人の妻...明子登場(笑)!!冷泉家の始祖様ですな。
演じるのは...
瀧内公美。えらいベッピンさんでございました。今まで存じ上げませんでしたが、各賞を受賞して来た実績ある女優さんなのですね。これからが楽しみです。
正妻である倫子(黒木華)がホンワカした女性であるのに対し、スネ傷者の家系の彼女は...相当ダークな存在として定着しそう(笑)。二人のバトルも見ものですね。
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そんなこんな(笑)。
私としては、今後の花山法皇の描かれ方が気になります。
比叡山...書写山...那智...
修行される姿も描かれるんやろか...。
次週に期待する!!!
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では、恒例となりました...今週の巡礼レポもついでに(笑)...。一応、花山帝つながりではありますので...西国三十三所に興味のある方は、おひまならご一読を♪
...ってな訳で...
西国三十三所第二十番札所・西山(にしやま)善峯寺(よしみねでら)と、二十二番札所総持寺(そうじじ)に行って参りました。
昨日(土曜日)の参拝ですね。1日遅れですが、ご報告しておきましょう。
まあ...とにかく寒かった!!
上の写真はバス停前から見た参道ですけどね...。この時点で、雪が降っておりました。自家用車ならここから先の大駐車場まで上がって行けるのですが、阪急バスやバスツアーのお客さんは、赤い小橋を渡って画面右上に続く九十九折の坂道を上がって行くしかありません。(地味にきつい...笑)
高低差...20mくらいかな...。ヘアピン・カーブ状の折り返しは5回です。
阪急バスで行かれる場合は、帰りの便の時間は必ずチェックしておきましょう!一時間に一本しかありませんからね...この寒さの中、一時間待ち続けるのは辛い!!わたしゃ、今日は観光無しですから...勤行が終わり次第、御朱印貰って即撤退の予定。
坂道をRED WNGで蹴り上げながら、一気に境内を目指します♪
山門到着!
雪が激しくなって来ました...。
門の脇に拝観受付がありますので、拝観料を支払います。宗派は天台宗ですね。私にとっては自宗派のお寺さんですので、ホーム感があります。
今日はちょっと趣向を変え、この寺の中興の祖(?)...と、言えるかも知れませんね...五代将軍・徳川綱吉の母...桂昌院の物語をご紹介致しましょう。
先ずは、境内MAPから...
デカいでしょ(笑)?
ここまでデカくしたのが、桂昌院さんですので...彼女の存在無しにこのお寺は語れんのです。
それにしても山上の伽藍にしては、かなり巨大。西山(にしやま)と言う言葉が表す通り、京都の西方に広がる山岳地帯にこのお寺はあります。
イメージしにくいですよね(笑)...。
ロケーションは、こうです。
右上に見えているのは、琵琶湖(南湖)の下の方...盲腸の部分ですね(笑)。赤い点が善峯寺になります。下(南)に天王山があるってなロケーションですね。新幹線で東京から新大阪を目指す時の山崎が下。北の方には嵐山が見えてますよね。要は京都御所の遥か南西に位置し、裏鬼門を守っていると言うロケーション。
元々、京都の西陣育ちであった桂昌院(お玉)が深く帰依していたお寺さんだったのですよ。
秋には、紅葉が...
そして春には...
桜が咲き乱れます♪
更に...
これも有名ですね。
遊龍の松。五葉松で樹齢は600年以上。全長37mに及ぶ国の天然記念物です。幹が地を這うように伸び、臥龍が遊んでいる様に見えることから【遊龍】と命名されました。
雅でしょ(笑)?
女性らしさがそこはかとなく漂う...可愛らしいお寺さんでもあるのです。流石は桂昌院ゆかりのお寺さんですね。(今回私は本堂以外立ち寄りませんが...笑)
その桂昌院...
長谷寺(奈良・八番札所)に残る晩年の肖像画です。大層な美人だったと言われております。この人物の出自をめぐる噂は、いくつもあります。御湯殿女中の出身とか、大根売りの娘とか、豊臣ゆかりの食い詰め浪人の娘だったとか...。でも、定番は【八百屋の娘】ってやつですよね(笑)。実父は京都堀川通西藪屋町の八百屋仁左衛門...って言う、あれです。
でも、大奥って...そう簡単には入れないんですよ。身元調査は厳重ですし、その上人脈があってようやく入城が許可されます。コネが無いと入れないんですよね。
当初【お玉】と呼ばれていた桂昌院は、寛永十六年年(1639年)に部屋子として仕え始めました。そして【秋野】という名が与えられ、有名な春日局の指導を受けて殿中作法を身に付けます。で、将軍付き御中臈(ちゅうろう)に抜擢。
中臈とは将軍や御台所の身辺の世話をする役職。定員は8名ですので、めちゃめちゃ狭き門であったとお考え下さい。家格や容姿の良さが問われ、この中から側室になる者が選ばれます。
中臈デビューに向けての登竜門はこんな感じ(笑)。綺麗な振袖を着させて、江戸城内の庭を歩かせます。後ろで目を光らせているのは、上司である【御年寄】です。大奥を統括しているお局様(笑)。権力闘争のパワーが働いておりますからね...派閥ごとに必死の戦略で将軍にアピールする訳です。究極のミスコンと言えなくも無い...。
桂昌院のビジュアルは、学術的にもある程度はっきりしています。昭和三十年代に徳川家の墓地が改装される際、人類学者の鈴木尚博士が彼女の遺骨を検証しました。そのレポートによると、血液型はA型。四肢骨から推定される身長は146.8cm。江戸時代の人としては、やや大柄ですね。頭骨から推定されるビジュアルは、庶民的な丸顔で下顔部が狭い。鼻の秀でた美人であったと想定されるらしい...。
こんな感じかな(笑)?
晴れて家光に見初められた彼女は、正保三年(1646年)1月、家光の四男...徳松を産む事になります。聖母様ですな(笑)。
まあ...将軍と寝所を共にするだけでは、まだ【側室】とは呼んで貰えない訳で...身籠って...ほんでもって、誕生するのが男か女かも大問題な訳で...更には息子が成長して世継ぎ...つまり将軍にならなければ本当の側室とは認められん訳です。ラッキーが幾つも重なって...彼女は江戸城のトップへと上り詰めて行くのです。綱吉の異母兄が早逝したり、四代将軍家綱がタイムリーに逝去したりと...色々あって息子が将軍になった(笑)。
彼女自身、その運の強さを自覚していたと思うんですよね。家格が低かった為、恐らくは他の大奥のメンバーの猛烈な嫉妬を買っただろうし、だから散々な噂を撒き散らされた...。最近のSNSじゃありませんが、ある事ない事...吹聴されたと思うんですよ。彼女が仏教に深く帰依することになった要因の一つに...そのギスギスした【女の牢獄】の人間関係もあったんじゃ無いですかね...。
将軍に妙な【おねだり】をしない様...ベッドインの後も、他の女中が側で聞き耳を立てておりましたからね...。信じられます?愛し合っている最中も、別の女に監視されているのですよ!ほんと...普通の神経なら、頭がおかしくなりそうな環境です...。
そんなしがらみの中で生き抜く為には...やはり仏様にすがるしか無かったんじゃ無いかな?
東京の護国寺は、彼女の発願で建立された寺院ですし、京都の智積院金堂、南禅寺や金蔵寺、清涼寺、真如堂の再建も、彼女によってもたらされました。そして、善峯寺も。
実際の所は分かりません。どんなラブストーリーが展開されたのか...どんな親子関係だったのか...当事者のみぞ知る(笑)。
将軍となった息子は【生類憐みの令】を発し...そんな息子ともども暗愚な親子と揶揄されましたが、私はそれだけでは無かったと思います。特に仏教に関して言えば、この親子の功績大なりと言えるでしょう。
我々日本人のペットに対する愛情...家族の一員としてそれを捉え、大切に労る習慣は【生類憐みの令】によって芽生えました。今でこそ、やれ『韓国人は犬を食うから野蛮だ!』などと見下す発言をする人も居ますが...我々日本人も江戸前期には犬を普通に食っておりました。それを止めさせたのが...
綱吉その人なのです!【犬くぼう】と馬鹿にされながら...犬食の悪癖を断ち切ったその原点には...
桂昌院から引き継いだ、仏教的優しさがあったんだと...私は思うんですよね...。
コチコチの右翼...水戸光圀なんかからすれば、さぞかし頼りない優男に見えたのでしょうが、それはそれで良い...。彼と、彼の母は少なくとも仏教を大切にしました。ここらが水戸藩との大きな違いです。仏教排斥のメインストリームとなった神道派の水戸と...同じ徳川でも全く違う。
東京・護国寺の御本尊...如意輪観世音菩薩像です。元々は桂昌院の念持仏でした。
現世利益の仏様の...最強バージョンと言えるかも知れませんね。彼女はこの像を拝みながら、今生きる人たちの為に祈っておったのでしょう。
そう、桂昌院は観音様を信仰しておりました。我々観音信仰者と全く同じ。だから、当然ふるさと京都の西国札所の事はいつも気になっていた筈なんですよね...。
(善峯寺も、荒れ果てたままやと聞く...。観音さんが、気の毒や...。なんとかしたらんと...。)
...そう思ったんですよ...多分。
だから、立派な伽藍を復興し...京都を一望できるこの場所を再生した!!いや、ほんと...都を東に望む、絶景スポットでもあるのですよ...善峯寺は!
...
...
...
そんな思いも心に留めながら...
本日の勤行終了(笑)!!見ての通り...いつもの破戒僧的Rockスタイルでしたが(笑)...。
天台の寺ですんでね...。ホーム寺院(笑)。ただ、見ての通り、ガンガン吹雪いておった訳です...。手はかじかむ...凍りつく!!3月に入って、一週間も過ぎとるのに...この地獄の様な寒さは尋常じゃ無かった!!!
【ザ・修行】ですわ(笑)。
流石に、いつもの様に法華経四品、伝教大師のお言葉三品を暗誦っちゅう訳には行きませんでした...。それでも普門品はフルで...山家学生式、般若心経、ご真言...etc...30分ほど直立不動で唱えさせて貰いました。
(桂昌院さんにも、届いとるかな...笑?)
先達さんやら、ツアーのお客さんもチラホラ見受けられましたが、この寒空の中...ここまでやる奴は居らんのです!!!
いやはや...ヒートテック極暖...ロンT...デニムシャツ...Schottライダース...長袖四重でトライして良かった(笑)。下もヒートテック履いてましたから、何とか耐えられました。そして今日も我が【観音足】... RED WING 9875 がええ仕事してくれました。大感謝であります!
良い参拝でした。
手は感覚が無くなってましたね...。
参拝の後は、速攻こいつを装着(笑)!!!これ無しでは生きて行けん!!!
そろそろ出番が少なくなるマイ・グラブですが...今年の冬も大活躍でした!Schott のレザー・グラブ!ええ光沢でしょ?ある意味、ブーツ以上に愛着があります...。なんせ...毎日身に付けますからね...こいつ...。
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で、帰路は阪急京都線で梅田に向かいますから...総持寺にも立ち寄りました。
こちらの方は...流石に書く余力が無い。また今度(笑)。関西人は【そうじじ】と聞けば...神奈川・鶴見の總持寺では無く、こっち(総持寺)が頭に浮かびます。関東の方は覚えておきましょう。
御朱印です。
うーーーむ...ここ(善峯寺)もリーチじゃ...。
総持寺も4回目。ちょっと飛ばし過ぎかな?
今週も、良い週末でした♪
南無観世音菩薩🙏
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【光る君へ紀行】で取り上げられていた、兵庫県宝塚市の中山寺についての過去記事はこちらから♪
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