西国三十三所 第二十四番札所 中山寺 〜【祈りのバトン】が眠り続けた西国巡礼屈指の聖地 〜 | MarlboroTigerの【Reload the 明治維新】

西国三十三所 第二十四番札所 中山寺 〜【祈りのバトン】が眠り続けた西国巡礼屈指の聖地 〜

 

中山寺です。兵庫県宝塚市を代表する、霊験新たかな名刹。西国三十三所巡礼にとっては、長谷寺に次ぐ聖地と言えるかも知れません。何故ならば、この寺院は西国巡礼の草創において、特別な役割を担ったお寺さんだからです。西国巡礼が成立する上で、中山寺の存在は不可欠。この寺が無ければ、そもそも日本に巡礼は発生しなかったかも知れない。

 

今日は西国三十三所、第二十四番札所...紫雲山 中山寺をご紹介しましょう...。

 

 

その歴史は非常に古く、奈良時代に聖徳太子によって建立されたと言われております。当時、既に堂塔伽藍を備えた大寺院として知られていたと言うから驚きです。奈良時代には【極楽中心仲山寺】と呼ばれておりました。兵庫県宝塚市は県南東部に位置するベッドタウンで、関西では憧れのハイソな街に分類される美しい街です。ご存知、【宝塚歌劇団】発祥の地でもあります。

 

宝塚と言う地名は、古来この地には古墳が多く、その古墳に由来すると言われております。どの古墳が宝塚なのかは...余りに多すぎて特定されておりません。そんな土地ですから、太子が目を付けてもおかしくは無かったのかも知れません。太子は戦の途上、不慮の死を遂げた麛坂皇子と忍熊皇子の追善供養の為、この地に寺院を建立しました。それが中山寺です。(物部守屋の鎮魂の為と言う説もあり。)

 

阪急宝塚線【中山観音駅】で下車し、北口を出ますと...もうそこは門前町(笑)。山門までは徒歩1〜2分。速攻でお寺さんまで辿り着けます。まず、迷う人はいないでしょう(笑)。

 

 

立派な山門でしょ(笑)?

 

正保三年(1646年)、三代将軍・徳川家光によって再建された兵庫県指定有形文化財です。ほんと、家光公には頭が上がりません。日本中の神社仏閣を再建されている。

 

 

山門を潜ると、これですよ♪住宅地の風情が一変。洗練された密教寺院の大空間が広がります。

 

 

境内はこんな感じ。丘陵地の斜面に沿って、壮大な伽藍が配置されています。

 

 

ご覧の通り、エスカレーターも完備(笑)♪ハイテクなお寺さんでもあるのですよ(笑)。

 

初見の人には...

 

(なんか...ちょっと近代的過ぎて、風情に欠ける...。)

 

...などと思われる方もいらっしゃるでしょう。でも、これには理由があります。

 

 

平成七年(1995年)の阪神淡路大震災により、中山寺は諸堂や塔頭寺院が大被害を被りました。この復興には大変な努力が必要とされましたが、一方で当時の住職はバリアフリー化を決断。お寺の在り方を変えて行こうとされたのです。

 

中山寺は、西国三十三所の札所であると共に、関西では【安産祈願】の寺として知られています。一年を通して、妊婦さんが参拝になられる。ですので、エスカレーターの導入は、妊婦さんや御年寄を守るお寺さんの熱い思いが込められているのです...。私も利用しますよ(笑)。感謝の心で、必ず乗ります。

 

 

本堂です。慶長八年(1608年)豊臣秀頼によって再建されました。兵庫県指定有形文化財です。空に向かって翼を広げたような...実に堂々たるお堂。いつも妊婦さんや、そのご家族が長蛇の列を作っております。その理由は、また後ほど(笑)...。

 

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宗派は真言宗。中山寺派の大本山です。天正六年(1578年)に勃発した、荒木村重と織田信長の戦いに巻き込まれ、一度は全山焼失の憂き目に合わされました。後に豊臣秀吉が祈願に訪れ、秀頼を授かった事から豊臣家の庇護を受け復興を果たします。本堂、護摩堂、阿弥陀堂などの伽藍を秀頼が再建したのは、そう言う理由があるのです。

 

 

御本尊、十一面観音立像です。腰をやや捻り、肉感的なお姿は実に女性的。それもその筈...このお像は、インドの在家仏教徒...勝鬘夫人(しょうまんぶにん)と言う女性をモデルに作られたと言われております。インド名、シュリーマーラーですね。女性に優しい観音様である事は、この表情を見ればお判り頂けるでしょう。三国伝来の尊像と伝えられております。

 

 

その配置は、非常に珍しい形式です。厨子が三つ並んでいるのがお分り頂けるでしょうか。実は、この三つの厨子にはそれぞれ十一面観音様が祀られています。

 

(何で十一面観音が三体も??)

 

不思議に思われますよね(笑)。実はこれ...

 

11× 3 = 33

 

...を意味しているのです。観音信仰においては、【三十三所】が意味する通り...33はマジックナンバーなのです。法華経において、観音様は33通りに変身し、人をお救いになると定義されている。それを数学的に表現しているのです。

 

坂東三十三所をお参りされている方なら、お気づきですよね(笑)。坂東の一番札所、杉本寺の御本尊も、十一面観音が三体並んでいます。あれも...合計33。坂東は西国の写し霊場ですから、この中山寺を模倣したのは間違い無いでしょう。

 

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さて、ここからが重要(笑)。

 

何故、西国巡礼にとってこの中山寺が重要な聖地とされるのか...

 

簡単にご説明しますね。

 

 

この絵が全てを物語っております...。

 

西国巡礼とは、奈良時代に...とある僧侶が体験した不思議な出来事から始まりました。

 

長谷寺(奈良)に徳道上人と言うお坊さんがおられました。ある時、上人は病に伏せ危篤状態に陥ります。その時、臨死体験と申しましょうか...仮死状態となったまま冥府を彷徨います。そこで閻魔大王に目通りする事となった上人は、次の様に大王から告げられます。

 

『徳道よ...お前がここに来るのはまだ早い。お前をわざわざ呼んだのは、頼みたい事があるからだ。ここの所、人間界は荒み切っておる。お陰で地獄に送らねばならない人間が増えるばかりだ。そこでお前は現世に戻り、観音霊場を作るが良い。観音霊場を巡る事で一切の罪は許し、極楽往生を約束しよう。』

 

閻魔大王も困っていたのでしょうか。次から次へと地獄行きの人間が送られて来る事に嫌気が差していたのでしょう。観音力によって救済される道がある事を徳道上人に示してみせます。

 

『とは言われましても、大王様。何も証が無ければ、誰も私の話しなど信じてくれる筈もありません。どうしたらよろしいでしょう?』

 

『そうだな...。分かった。結願の証として私が法印をお前に与えよう。それを持ち帰り、観音霊場を開くのだ。分かったな?』

 

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上の絵はその法印授与の瞬間を描いております。

 

そして徳道は蘇生し、地獄から生還します。気付くと、約束の法印が手元にあったと...

 

これが西国三十三所巡礼の縁起。巡礼する際に心得ておくべき基本設定です。【閻魔大王と徳道上人の約束】ありき...そこから始まった巡礼なのです。

 

 

証拠もあります(笑)。これが中山寺に伝わる、徳道上人が閻魔大王から頂戴したとされる御朱印。掛け軸として残されているのです。写真の村主元老の奥に懸けられているのがそれですね。これが日本の最古の御朱印と言えるかも知れません。

 

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さて...長谷寺の徳道上人は現世に戻った後、懸命に各地に働き掛け観音霊場を作ろうと試みました。しかし中々上手くは行きませんでした。まだまだ社会インフラが整備されておらず、巡礼の旅など出来る時代では無かったのです。宿場町も無く、治安も悪く、道も無い。医療も未発達なこの時代、総距離1,000kmを超える巡礼路を築いた所で誰も参拝出来ない...そう見なされておりました。結局、各地の協力は取り付けられませんでした。徳道上人は失意の中、後世の人々に夢を託す事を決意しました。頂戴した法印を中山寺境内にある白鳥塚古墳の石棺に納め、未来の人々が再興してくれる事を願ったのです。

 

 

これが中山寺に残る石棺です。ここに徳道上人は法印を隠しました。

 

三百年の時が経ち、時代は平安時代の中期になっていました。都も京に移り、人々の往来出来るエリアが格段に広がっています。そして時代背景としては、永承7年(1052年)が末法元年に当たると信じられていました。末法とは、釈迦の入滅後1,500年が経過すると人も世も最悪となり正法が行われなくなる時代がやって来る...仏教版終末論を言います。この予言された滅亡の時期は平安時代中頃にやって来ると信じられていたのです。

 

西国三十三所巡礼の復活は、これと歩調を合わせる様に姿を現します。末法の時代を迎えた日本は上へ下への大騒ぎ。皆極楽浄土を乞い願い、貴族のみならず庶民も救済を求める様になって行きます。そこでクローズアップされたのが、三百年前の伝説でした。

 

 

この人物は花山法皇。984年に即位した第六十五代天皇です。17歳で天皇になりましたが、在位は僅か二年。クーデターによって帝の地位を奪われました。史実だけを見ると、清濁あわせ持つ人物で、決して良い評価ばかりが残っている人物ではありません。ですが、西国巡礼信仰においては中興の祖とされ、我々が崇めるべき人物として定められております。

 

天皇から法皇となった若き花山院は、中山寺で法印を発掘したとされています。ここに三百年の眠りから目覚め、閻魔大王の法印は陽の目を見る事となります。観音巡礼が再興されたのです。

 

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だから、我々西国巡礼者にとって...中山寺は特別なお寺さんなのですよ。

 

 

中山寺に、一際大きい【閻魔堂】があるのは、それが理由です。

 

(安産のお寺やのに...なんか不気味...。)

 

などと思ってはいけません(笑)。ここには、閻魔大王との約束を守り続けた...壮大なストーリーの現場に他ならないのです。

 

 

(三十三所を満願したのだから、閻魔様...地獄行きだけは、勘弁して下され...。)

 

...ってな感じですね(笑)。参拝する度、私は欠かさずお参りしております。

 

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さて、もう一つのストーリー...

 

何故中山寺は【安産祈願】のお寺になったか、ですが...

 

 

明治天皇の生母、中山一位局(なかやまいちいのつぼね)と関係があります。幕末において中山一位局が安産祈願を中山寺で行った事から、日本唯一の明治天皇勅願所となったのです。先にご紹介した豊臣秀頼もそうですが、古来より皇族、貴族は中山寺を安産祈願の寺として敬って来ました。源頼朝もその一人です。その霊験にあやかろうと、中山一位局もここで祈願し、無事明治天皇をお産みになられた...。

 

当然、庶民も飛び付きました(笑)。以後、安産祈願の聖地として...その人気は不動の物となりました。

 

関西では、めちゃめちゃ有名です(笑)。とりあえず、妊娠したら中山寺に行くのがお約束。

 

 

目的は、この【腹帯(はらおび)】を授与頂くため(笑)。親子代々、腹帯を貰っている一族の何と多い事か!

 

関西の風物詩と言えるでしょう。

 

 

ですから...

 

本堂で一心不乱に読経していると...妊婦さん御一行から、怪訝な眼で見られる事があります(笑)。

 

『あの人ら...何やろ?安産祈願とは...ちゃうなあ?』

 

ご明察(笑)。目的は全く別なので(笑)...。妊婦さんの脇で、全力勤行(笑)。かなり度胸が必要となるシチュエーションです(笑)。違う目的の参拝者が、一つ所で観音さんに祈りを捧げる...。これも西国巡礼の醍醐味と言えるでしょう。

 

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見所は他にも沢山あります。

 

前述の豊富秀頼が寄進した...

 

 

護摩堂...。お不動さんに、祈りを捧げ...

 

 

同じく、秀頼が寄進した阿弥陀堂で、極楽往生を願う...。

 

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そして、これ(笑)!

 

 

平成29年に再建された五重塔!!!

 

つい最近、作られた塔なんですが...最初に見た時はショッキングでしたね。

 

 

だって...

 

この色ですよ(笑)...。見た事あります?こんなカラーリングの五重塔...。

 

(おいおい...やり過ぎやろ、真言宗...笑。)

 

まあ、最初はそう思いましたね。ニヤニヤしながら眺めたもんです(笑)。

 

他に類を見ない深い青色...。日の光によっては、紫に見えたり...群青に見えたり...藍色に見えたり...とにかく摩訶不思議。東方を守護する聖獣、青龍の名を冠して【青龍塔】と名付けられております。この塔にはネパールの寺院よりお釈迦様の遺骨...【仏舎利】が贈られ、安置されております。

 

 

夜は、こんな感じ(笑)。とても綺麗です。

 

何とか...仏教寺院を身近な物にしたい...。お寺さん側の情熱の現れなのでしょう。今は、そう言う風に解釈し...ありがたく拝見させて貰っています...。

 

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御朱印です。草創1300年の記念印は、やはり安産祈願(笑)。

 

墨書も綺麗でしょ(笑)?人気寺院だけあり、実に気品ある書体です。お気に入りです。

 

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大阪在住時は、実家の川西から最も近い札所でしたからね...。自宅へ帰る際、しょっちゅう立ち寄ってました。参拝回数を簡単に稼げましたし...。

 

今日は、兵庫県宝塚市の名刹...西国三十三所第二十四番札所【紫雲山 中山寺】をご紹介させて頂きました。

 

南無観世音菩薩🙏