幕末期の女性のヘアスタイル...髷について | MarlboroTigerの【Reload the 明治維新】

幕末期の女性のヘアスタイル...髷について

 

NHK大河ドラマ【八重の桜】発表時の綾瀬はるかである。もう今から8年も前か...28歳の女盛りの彼女は美しかった。

 

幕末期の日本人は、我が国の歴史上最もその体躯が小型化した。戦国期まで続いた獣食の習慣が無くなった為、僅か数世代の間にその体は凄まじい勢いで縮んで行ってしまった。戦争に赴く男達は先祖伝来の鎧兜を装着しようとしたが、どれもブカブカでフィットしない。男子の平均身長は160cmにも満たなくなっていた。

 

ましてや女性は...

 

 

こんな体型である。現代で言えば、子供の様な貧弱さだ。この写真は島津の姫、島津暐子(てるこ)と侍女の写真だが、何処と無くエイリアンの様な感じさえする...。綾瀬はるかがもしこの時代にタイムスリップしたら...さぞかし驚かれるだろう。坂本乙女も腰を抜かす巨人姉ちゃんとして恐れられる筈だ...。

 

彼女のガタイの良さ、身体能力はともかくとして...

 

 

このヘアスタイルは実にリアルだ。当時の田舎に沢山居たであろう地味な...つぶし島田の美人...。サザエさんを彷彿とさせる。

 

前回は男性の【総髪】について考証してみたが、今回は幕末期の女性のヘアスタイルについて考えてみたい。

 

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時代劇を見ていると、江戸時代の女性の髪型は非常に特徴的だ。

 

それ以前の...平安時代や戦国期の様に、長い髪を地面に引き摺る様な姿が全く登場しない。みんな花嫁さんの文金高島田の様な、髷(まげ)を結っている。

 

一体...

 

なんであんな髪型になったのか?

 

そう思った事は無いだろうか。

 

突然あんな物が流行り始める筈は無い。そこには何らかの理由があり、ステップを経てあの髪型になった筈なのだ。今日はそこら辺の変遷から...幕末期の女性のヘアスタイルについて考えてみようと思う。

 

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恐らく、江戸期以前の女性のヘアスタイルで思い浮かぶのは...

 

 

...こんな頭では無いだろうか。

 

【垂髪(すいはつ)】と言う。垂髪とは、その字が表す通り...垂らした髪を意味している。平安時代の貴族女性、更には戦国時代のお姫様でお馴染みだろう。平安時代、貴族の女性は、自分の身長ほどもある長い黒髪をまっすぐに垂らしていた。この時代、上流階級の女性は屋外で労働をせず、歌を詠むか香を楽しむくらいしか日々の時間を潰す術が無かった。清少納言や紫式部をイメージすれば良い。ロン毛の黒髪と色の白さが女性のステイタスの象徴であった。

 

だが、貴族の時代が終わり、武士の世になると女性の生活スタイルに変化が起こる。

 

鎌倉時代以降...室町、安土桃山と時代が進むにつれ、貴族時代の人形の様な生き方から、武士の時代に合わせた活動的な生活スタイルが女性にも求められるようになった。一般女性は、家事や労働の邪魔にならないよう、だんだんと長い髪を束ねはじめたのだ。有名なのは髪を一本に結んだ髪型、【下げ髪】。髪を結ぶ位置は時代が進むにつれて徐々に上がって行った。もうひとつポピュラーだったのは、髪を一本に結び、先を輪に結んだ【玉結び】。とても簡単にセッティング出来る事が受け、支配階級から一般庶民にまで広く浸透した。現代の女性と同じく、戦乱の時代の女性達も利便性を追い求めていたと言う事だ。

 

先ずはこんな髪型を引っさげて、女性の社会進出は始まって行った。戦闘に明け暮れる男たちを余所に、労働を代行。田畑や作業場で足腰を動かす。平安時代の様な長髪はもはや不要となっていたのだ。

 

 

そして戦国期になって登場するのが【唐輪髷(からわまげ)】だ。この髪型が以降の日本髪の原形になったと言われている。安土桃山時代の天正期(1573~92)に遊女たちが結いはじめ、中国の女性の髷を真似たところから名付けられた。戦闘時に兜を被るために前頭部を反り上げた男子の頭髪に対し、女性も髷を高々と上げ始めた。ここから、お洒落としての女子の髷が認知されて行く。

 

ファッションの流行りは、お上品な上流階級からのみ発信される訳では無い。それは今も昔も変わらない。この唐輪髷などはその典型であろう。町で噂のBAD GIRL...遊女のファッションを一般人も取り入れたと言う証拠だ。現代でも同様の事が言える。セレブも身に着けるジーンズやブーツも、元をたどれば下層労働者の作業着であったし、それが逆に恰好良い物として受け入れられ...カウンター・カルチャーのファッションアイコンとして定着した。

 

いつの時代も【叛逆】は若者達のファッションの源泉だ。

 

若い諸君が爽やかに履きこなすミニスカートだって、最初にトライした人物の度胸を考えればどうだろう?頭が下がる思いがするのでは無いか。周りの男たちは卑猥な言葉を投げつけたであろうし、同じ女性達からも白い眼で見られたと思う。活動的で動きやすいとか、可愛いとか、そんな概念は当然のごとく無かった。それを跳ね返し、偏見を打ち破った先人達の苦労に現代人はもっとリスペクトを払うべきでは無いだろうか。

 

【ちょいワル】ファッションは、いつの時代も女性の憧れの対象であったと言う事。遊女から始まった女の髷は、戦国末期の芸能ブームに乗って全国に広がって行った。クールな武家のお姫様たちも、口では『下品だわ。』と見下した様なセリフを吐きながら、内心はその斬新さに憧れていたのでは無いか。

 

様々なヘアスタイルが流行り廃りを繰り返し、進化の速度を速める。

 

 

髷もその一つであった。『男の専売特許にしておくには惜しい...。私達女も、クールに決めてみたい...。』そんな思いを、自由人である遊女達が体現してくれた事に...ある種の解放感を感じていたのでは無いだろうか。

 

戦国時代が終わり、いよいよ髷の時代...江戸時代が到来する。

 

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だが、江戸時代の初期は...町人の女達は髷を結い始めていたのだが、武士の女達にはまだ受け入れられてはいなかった。

 

大奥でも...

 

 

こんな感じの垂髪が主流だったようだ。髷は手間がかかるし面倒臭い。町方の女の真似もしてみたいが、殿中ではチャラい女と見られかねない....。普段の生活には、やはり手早くまとめられる垂髪が好まれた。【遊び人の真似など出来るか】と言う武家のプライドもあったかも知れない。

 

では何であの文欽高島田の様な頭でっかちなヘアスタイルが、支配階級も含め全女性の定番となったのか、だが...。

 

以外な事実が大きく影響した。

 

【幕末の〇〇】シリーズで何度も登場させたキーワード...【明暦の大火】である。ここでもまた...あの大火災が大きく影響して来るのだ。

 

 

明暦三年(1657年)1月18日〜20日の三日間で江戸の3分の2を焼き尽くしたこの大火は誕生後絶頂期を迎えつつあった江戸の町を灰燼と化してしまった。世界の三大火災にも例えられるこの大火災は、死者数三万人以上と推定され、江戸城天守閣をも消失させた。幕末の外食産業のレポでも記したが、食もファッションも、全てがこの復興期に一変してしまっている。

 

この火災で大奥も被災し、多くの女達が犠牲となったのだが...その時に垂髪のロン毛に炎が燃え移り、大やけどを負う事象が頻発した。髪は女の命であるが、火災時には本物の命を落とす元となる事に女達は気付いた。

 

(町衆に真似るのは気に食わないが、やはりあたし達も...髷を結うしかない...。)

 

頑なに垂髪にこだわっていた武士も、ついに実利を取って髷の導入を決めた。で、実際にやってみると...これがまた絶妙に良い。POPで、動きやすかった。

 

(いいじゃん、これ。めちゃめちゃ動きやすいわ...。薙刀の稽古にも邪魔にならないし。)

 

武家ならば女でも武芸の嗜みは必須。激しい運動にも適していた。それまで自分の身長を上回る黒い長髪を自慢していたのだが、180度変節(笑)。武家の娘もうなじを見せるアップスタイルに変わって行った。町方の女の独壇場であったセックスアピールをあっと言う間に吸収(笑)。江戸の復興が完了すると...もう誰も髷姿を【ゲスい】等と言わなくなってしまった。

 

そこから先は...もうお定まりの女性の世界の地獄が待っている(笑)...お局様を頂点とした派閥ごとのチーム争いが始まったのだ(笑)。アンタッチャブルな女性だけの組織であった大奥を舞台に、なんでもありの贅沢三昧、そして見栄の張り合い...。ブランド品を好む傾向は、今も昔も似た様なものだ。

 

『あんたさ...田舎モン丸出しなんだけど(笑)。その芋くさいファッションは勘弁してよね。あたし等のチームに入りたきゃ、ちょっとは【らしい身なり】にしてくんない?まずそのダッセー髪型、とっとと変えてよね。』

 

...っな感じで、田舎娘は強制的に、イケイケ丸の内OL風ハイセンス系パイセンによって...モデルチェンジを強制されるのであった...。まことに恐ろしきは女の牢獄なり。支配階級武士が髷を結い始めた事で、全階級入り乱れての...ヘアメイクの戦国時代が始まったのである。

 

ここに至り、唐輪髷から様々な結髪(けっぱつ)スタイルが誕生する。大きく分けると四種類に別れて進化して行った。

 

<1.兵庫髷>

 

 

尖ってますな...。シャアザクでは無く、三連星のザク仕様。後方からの一本角であります。ウルトラセブンのアイスラッガー、はたまた横綱の大銀杏にも通ずる強烈なインパクトだ。男子の若衆髷を巨大化した様な、ゴージャスな髷。女歌舞伎の役者や遊女が好んだ髪型で、上流階級の者はやらなかったらしい。Rockなビッチ姉ちゃん御用達と言う所か。

 

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<2.島田髷>

 

 

最も親しまれたポピュラーな髪型。文欽高島田の源流でもある。未婚女性や芸者に好まれたヘアスタイルで、髻を折り返して元結で止めるだけのシンプルさが受けた。それでいて可愛らしく、様々なバリエーションが活かせるため、人気が高かった。多くの髪型がここから派生して行った。現代なら、女子高生、女子大生、ギャル向けと言った感じだろうか。汎用性が高く、若者向け。

 

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<3.勝山髷(かつやままげ)>

 

 

吉原の遊女・勝山が流行らせたヘアスタイル。束ねた下げ髪をくるっと前方に曲げて、輪を作り、その毛先を髷の中に折り返して、結び目の【根】の部分に白元結(しろもとゆい)をかけて作る。男性的な髷であり、その中性的な恰好良さが受け元禄時代に大ブレイク。当時のあらゆる階級の女性達がこれを真似た。以後、既婚の女性の定番となる。幕末期にはおばちゃん御用達のヘアスタイルに。

 

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<4.笄髷(こうがいまげ)>

 

 

宮中の女性が非公式な場で結った仮の髪型。笄(こうがい)とは本来毛筋を立てたり頭を掻いたりするときに使っていた小道具で、これに髪を括り付けアップスタイルにしたもの。江戸時代中期にここから様々な髪型が派生して行った。これも既婚の女性向き、年配者が好んだ。

 

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上記四種をベースに、とにかくもう凄まじい速度で様々な髷が生み出され、最終的には数百種類を超える髪型が出来上がったのだと言う。

 

 

花魁ともなれば、かんざし、笄、櫛の三点セットもここまでド派手になって来る...。こうなると、もう自分の手ではセット出来ない。女髪結いの手を借りねば、どうにもならない髪型が多々生み出されて来る。

 

その髪型を再現出来るプロの出現...。1800年代になると、女性の髷を専門に取り扱う職人達が登場する。

 

 

男性御用達の床屋に対し、女性向けのこちらのサービスは女髪結と言う。用具一式を持って、得意先を訪問。男性の様に月代や髭を剃る事は無いが、巨大化し、派手になって行く女性達の髪を見事に結い上げて行く...。しかし、華美に過ると見なされた時期もあり、天保年間には幕府によって禁止された事もあるようだ。おおむね50文(現代の1,250円くらい)が相場だろうか。幕末には値上がりし、100文前後であったと想定される。

 

蕎麦屋や寿司屋同様、時の政権によってはこの種のサービスは違法営業と見なされる事もあり、時代によっては容赦無く摘発の対象となった。どこまでが許されるのか...グレーラインの限界を読み解く能力も、職人には不可欠であったろう。美容師の道も楽では無かったと言う事だ。時には闇家業に貶められるのだから、リスクが伴った。

 

だが、ニーズは無くならない。要求も高度化する。バリエーションも増え、アクセサリーとの調和性も求められる。

 

結果として...

 

髷が巨大化する...。

 

 

島田髷も、様々な櫛や簪をトッピング出来る様に立体的となり...これだけで数十種類(笑)。

 

 

兵庫髷も、巨大な蝶を思わせる形に変化し、横兵庫と呼ばれるスペシャル版が登場...。

 

 

勝山髷もご覧の通りだ...。

 

 

幕末期には、この様なジャイアントヘッドが江戸の街に溢れた。もちろん、当時のBAD GIRLの象徴...花魁や女役者達がお手本であった。人気の芸妓や、茶店の看板娘も当然それを真似しただろう。すると最新ファッションは一般女性にもあっと言う間に普及して行く。

 

流行りのスタイルが生まれては廃れ...日本独自の女性ファッションのトレンドが出来上がって行く...。

 

もちろん、下の写真の彼女など、小ざっぱりとしていて実に可愛らしい。お座敷の芸妓さんなどは、どのセッティングが自分を引き立たせてくれるか、日々鏡を見ながら懸命に考えていた筈だ。

 

 

男子同様、髷は女性にとっても自分自身のアイデンティティーそのものとなった。

 

身分や職業、未婚か既婚か...結髪を見ればその人物のプロフィールがある程度分かったのだと言う。ジャンルによって誰がその髷を結うのかも異なって来る。

 

キャンバスたる髷が巨大化したならば、当然髪飾りも派手で大振りな物へと変わって行く。派手な髪型に相応しい賑やかなアクセサリーが続々と登場する。横幅7~8寸の大型の櫛、かんざしの先端から垂れ下がる銀製の鎖のチャーム...さらにその先端には花や鳥の飾りを施し、びらびら簪と読んで重宝された。

 

 

当時の花魁が現代の女性を見れば...西洋人ばりに体が大きくなり、手足も長くなって、おっぱいも大きい...羨ましく思う側面もあるだろうが、頭は別だ。

 

江戸モアゼルから言わせれば...

 

『何だい、そのボサボサの頭は...。粋じゃ無いねえ〜。』

 

で一刀両断。

 

 

そりゃそうだ。こんな頭をした奴等の前に...

 

90年代のアムラーやヤマンバも、銀座のママも、キャバ嬢も、ギャルも、コスプレイヤー達のウイッグも...

 

...み〜んな、地味(笑)。屁みたいなもんだ。

 

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そんな気合の入った髷であるから、お手入れも大変。

 

 

鬢付け油で整髪しているので、これを洗い流しての洗髪はメチャメチャ時間がかかる。紐を解き、ブラッシングでフケと汚れを落とす。【ふのり】と言う海藻を熱湯で溶かし、ここにうどん粉を混ぜた物がシャンプー代わり(笑)。脂や匂いが取れ、髪に艶を与えてくれる。よく『ワカメが頭髪に良い。』などと言うが、この風習の影響を受けたものだろうか...。とどめは水で洗い流す。麺を締める様な感覚かも知れない...。

 

自然乾燥しか無いので、当然晴天の日に行う。髪が乾燥するのを待って、ブラッシング。洗い上げた髪のまま梳くのが、この時代の粋な女と言われた。

 

だが、また女髪結いを呼ばねばならない。お値段は結構高い。

 

なので、江戸の女性の洗髪は月に2〜3回だったと言う。(上方はほとんど洗わない。)

 

清潔なのかどうなのか、良く分からない時代だ。体臭に関しては、余り気にしなかったと言う事だろうか。

 

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そんなこんな...。

 

京や大坂はともかく、江戸は人口比率から言っても極端に女性が少ない。男性の3分の2ほどしか居なかった。だから、当然女子はモテたろう。江戸の女が気が強いのは、この人口構成比に起因しているからかも知れない。チヤホヤされる環境が、地方に比べると段違いに整い過ぎている。

 

そんな彼女らが競い合った髷の文化...。

 

どう言う物だったのか、タイムマシーンがあれば見てみたいものだ。

 

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今日は女の命...髪について考察してみた。幕末期の女性の頭髪が、何となくご理解頂けたであろうか。

 

せっかくなので、番外編(笑)!

 

女性が戦場で戦う場合の髪型を考えてみる...。

 

 

やはり垂髪が多かった様に思う。髷を解く...古来の甲冑武者に倣ったかどうかは分からないが、ビジュアル的には垂髪に後ろハチマキが凛々しい。(写真は【八重の桜】で中野竹子を演じた黒木メイサ)

 

例外は、男装パターン。

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士装して戦う以上、恐らくは女を捨てて...この綾瀬はるかの様に総髪にしたのでは無いだろうか...。女子は月代が無いが、前髪があるのでこれならば決まる。

 

とにかく【八重の桜】で見せた綾瀬はるかの戦闘シーンは最高に格好良かった。現状、アクションをこなせる女優さんとしてはトップランクだと思うので、動ける内にもっとバトルシーンを見せて欲しい。敵役は、長澤まさみか小池栄子を熱望(笑)。くノ一対決とか...演ってくれんかな(笑)...。

 

まあいい...。

 

せっかくなので、拙作【開闢の光芒】から、山本八重の戦闘シーンをご紹介。結構格好良く描いてます(笑)。お暇なら、ご一読を...。

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【八重の桜】...また見たいな...。

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