人はそれぞれの考え方、生き方があります。それはそれでいいことだと思います。ですが、ただその人生観や価値観の違いによって大きな「差」が生まれるのは事実です。(それが格差社会の格差だと思います)
その1つの例が、
■「オレは本気で精一杯がんばっている」
です。その人がその人の完全主観で「本気」で「精一杯」「がんばる」だけであって、それによって結果(目的や成果)が変化するかどうかとはまったくの別物です。
まず「本気」については、どのくらいの「本気」なのか。その本気ランクが何段階あって、どのくらいの本気度なのかとかを聞かないと、他人はまったくわからない。休みの日も練習するとか、朝晩時間を作って必ず練習するとか、その成果を上げる為のことだけに集中してライフサイクル全てを変えれるくらいの本気度合いなんだろうか、とか。
例えば鉄棒の「けんすい」をやるとします。
(Aさん)・・・記録 0回
(Bさん)・・・記録13回
(Cさん)・・・記録 7回
(Dさん)・・・記録36回
(Eさん)・・・記録 3回
5人の合計値は「59回」平均値は「11.8回」です。先生(監督?コーチ?)が1ヶ月以内に、合計値「100回」突破!を目標にしました。もうA~Eの5名全員必死で練習せざるを得ない状況で、1ヶ月後。
・・・1ヶ月後(前回記録)
(Aさん)・・・記録 3回(記録 0回)+ 3回
(Bさん)・・・記録12回(記録13回)- 1回
(Cさん)・・・記録21回(記録 7回)+14回
(Dさん)・・・記録46回(記録36回)+10回
(Eさん)・・・記録 5回(記録 3回)+ 2回
5人の合計値は「87回」(目標達成率87%)平均値は「17.4回」です。さてさて、この結果を受けてA~Eはそれぞれ「オレは本気で精一杯がんばった」と言うのでしょうか?先生や周りの人達が客観的に見て「全員が本気で精一杯がんばった」と言うのでしょうか?
少なくとも、個別の数値を見て、
・成績が飛躍的に向上した(A、C)
・成績が向上した(D、E)
・成績が下がった(B)
この3種にセグメントして、それぞれ「何」を「どのように」本気で精一杯がんばったのかをヒヤリングすべきですよね。
そもそも、「本気」じゃない「精一杯」とか、「本気」じゃない「がんばる」が存在している時点で怪しい。「がんばる」と「がんばらない」では、普通は良い結果を出そうとすると「がんばる」のが普通と言うか当たり前のことなので、それもわざわざいらない言葉、とも思えます。
・・・つまり、結論として、
■「オレは本気で精一杯がんばっている」
↓(その言葉の真の意味)
■「オレは、普通です」
となる訳です。(笑)
うーーーん。
結果を変えてこそ、実績なり。
<マネジメントの基本>
・何を変えるか?
・何に変えるか?
・どのように変えるか?
がんばろうっと。