亡くなった恋人の男性と魔法で会ったのが
メインストーリーの小説。
シンプルで短いんだけど、深い。
「キッチン」ほどの傑作じゃないけど、結構読んで
楽しめる小説だなあと思う。
亡くなった恋人の男性と魔法で会ったのが
メインストーリーの小説。
シンプルで短いんだけど、深い。
「キッチン」ほどの傑作じゃないけど、結構読んで
楽しめる小説だなあと思う。
この本の著者が書いていることを読むと、本当に生きるのが
うまい人だなあと感じるが、なんと90代なのだ。
流石に、90代になると、達観するのだろう。
この本をきっかけに、今から老後に備えて、体と頭を鍛えて、
楽しいことをもっと見つけて生きたいと思った。
そこで、ジム通いをはじめることにして、スニーカーを
洗った。
楽しいことは、自分からどんどん探して、いろいろやってみよう。
最初は楽しくなくても、楽しくなるかもしれない。
とりあえず、やってみよう。
この本の著者みたいに、幸せに長生きしたい。
久しぶりに、いい本読んだなあ。というのが、読後の感想だ。
絶望の世界を本の中でくぐってきたのに、自分の現実は、
明るくない。
この本を選んだのは、昨日読んだ本に、カツ丼が出てきて、
料理に関する本が読みたかったから。
そこは叶わなかったけど、40歳を迎えるにあたって、死と
真剣に向き合った時に、出会えてよかった一冊だ。
一回くらい絶望しないと、自分の好きなものとか、
自分が何がなんでも守りたいと思うものは、
わからなくなってしまったまま年を重ねてしまう
ものなんだそうだ。
それって、逆に明るく言えば、絶望するとこまで行けば、
自分が何がなんでも守りたいものが何なのか、わかるように
なるっていうことだよね。
この本のおかまちゃんもそうだけど、死にたいなんて言ってる
人は、本当に死んだりしないものだ。そういう精神病患者を
何十年も見てきているが、数十年経ってもみんなそういうタイプは
いまだに生きてる。
問題なのは、自分で責任を全部抱え込んで、何もかも全部自分で
なんとかしようとするような真面目なタイプの人だ。
そういう人は、本当に亡くなるケースがあると思う。
そういうタイプは、会っても、明るいことしか考えてないような
言動を繰り返すから、救えないのだ。
丼のうまさにとことんこだわった一冊。
ジャンルは、グルメとコメディーに間のような
位置付けだろう。
深みは全然ない本なんだけど、読んでて楽しかった。
ただ、途中で飽きてしまった。
p177まで読んで、図書館に返本しよう。
みんな、小学校で、バッハを聴いただろう。
あのときの自分は、教科書音楽として、初めて
バッハを音楽の先生に聞かされて、すごいインパクト
を感じた。
そして、40歳初老を手前にして、1番好きな音楽は、
バッハだった。
ジャズの教科書と言われる、ダウンビート紙に
キースジャレットがバッハに凝っているとの誌面を
一昔前に目にした。
バッハというのは、キースジャレットですらお手本にする
アーティストなのだ。
男の人生というのは、酒に飽きて、酒の良さがわからなく
なった頃に、本の良さとクラシックの素晴らしさがわかる
ようにできているらしい。
そんな自分は、今月26日40歳を迎える。
初老だ。
体も頭もいうことを聞いてくれなくなってきたが、心は
バッハが癒してくれる。
禅寺の先生に怒られそうな話だが、吉野家は、忙しい人にとって
瞑想する場所。厳密に言えば、食うことだけに集中し、他の事を
忘れられる場所である。
他の客を見ると、どうやらみんな自分流の吉野家の楽しみ方を
覚えているようだ。
カツ丼チェーンのかつやができてから、あれだけ美味しいかつやが、
吉野家ほど店舗を増やせないのは、確かに牛丼の強みがあるのだろう。
カロリーは大して変わらないんだろうが、かつは、胃にもたれる。
牛丼は、サラダをつけて食えば、意外とヘルシー?に感じる。
牛を食べているはずなのに、そこまで重くないのである。
20代に酒を飲みすぎて、すっかり弱ったオレの胃の動物性タンパク質
原には、吉野家の牛丼は、ちょうどいいのだ。
吉野家の客は、みな忙しい人が多い。安くて早くてうまいを昔から
売り物にしている吉野家は、いつも人気である。
最近感じ取った事だが、吉野家に行くと、必ず何か思いつく。
ひたすら牛丼を真剣に思いっきり楽しむ行為は、瞑想のような
効果があるのかもしれない。
体にも心にも財布にも優しい吉野家。
来週あたり、行ってみようかな。
住所を失ったことがあったかもしれない。
精神科に監禁されたことが長かった人生かもしれない。
オレは体調不良で入院したので、何も悪いことはしていないが、
精神科病棟で会ったたちの多くは、過去に過ちを犯した人たちだった。
彼らとは、1年9ヶ月、長い時間を共にした。
閉じ込められ、短い人生の貴重な時間を失った。
その時間は、もう帰ってこない。
家族は、自宅に受け入れることはなく、いまだに障害者グループ
ホームの一室で暮らしている。
そして、ここはあと2、3ヶ月で出て行かないといけないから、
次の住居を探している最中である。
逆に言えば、2、3ヶ月後に、どこに自分が住んでいるのか
わからないのである。
人権が保障されているから、どこか住む場所は、見つかることに
なっている。
ただし、今いる障害者グループホーム退去は、決まっている。
つくづく思う。40歳を迎える前になって。
幾つになっても、夢を追っかけるのはいいことだ。
女性を追っかけることだって、いいことだ。
カネを追っかけることだって、悪いことじゃない。
ただ、自分の命だけは、大切に守っていかないといけない。
生きてるだけで、えらい。自分にそう言い聞かせることにしている。
祖父の遺品に、三橋美智也のCDが出てきた。
昭和60年生まれのオレが聴いても、良さがわかる
良い歌が揃っている作品だ。
オレが5歳の頃、うちの祖母は首を吊って亡くなってしまった。
祖父は、女が好きだった。孫のオレも可愛がってくれていた。
だから、想いは、複雑だ。
酒もタバコも好まなかったのが、その祖父が好きだったのは、
歌と女だ。でかいカラオケセットを買って練習して、スナックに行って
歌うのが、好きだった。
老後まで、歌とスナック通いを生き甲斐にしていた祖父は、
86歳で老人ホームで亡くなった。
あれから時が経つ。
もうすぐオレも40歳を迎える。
祖父とは、ちょっと違う生き方をしている今日だと思う。
オレは、タバコとコーヒーと文学と芸術が好きだ。
ここで気がついていただけると思う。
音楽好きは、隔世遺伝しているのだ。
遺品の中で、今日初めて見つけた三橋美智也のCDを聴いて、
おお。昔の歌っていいなあ。なんて思いながら、一人障害者
グループホームの自室でブログ書きながら、歌を聴いている今日である。
オレも、三橋美智也は、結構好きかもしれない。
残忍なストーリーだが、ダイナミックに表現されている一冊。
改めて、人の命の大切さ。愛情の大切さがわかるようになる
一冊。
あってはならないことがたくさん書かれたストーリーを斬新に
描いた斬新な本だった。
とにかく、夢中になって読ませてくれるダイナミックさが
「ブラックバースデー」の醍醐味だと思う。
効率的に生きるのが良いことだとすれば、誰のための
効率を追求すべきなのか。
社畜になっている人は、会社の仕事を効率化して、
自分の人生の効率化を否定する人。
仕事は、生活するための手段程度に捉えて、自分の時間を
大切にした方が、自分の人生は効率的になる。
もちろん、カネは少なくなるし、社会的成功は、そういう
自分の人生の効率化をはかれば縁のないものになる。
でも、自分のやりたいことを、じぶんのやりたいときに、
好きなだけやる。
これが、本当の意味で効率的な生き方だ。
ネオリベは、嫌いだ。