うちの両親は、虐待することはあった、
でも、家族の中で誰一人なにか愚痴を言う人は
いなかったのだ。
つまり、暴力を振るわれることはあっても、
精神的に追い詰められることは一歳ない環境
だったのである。
それは、現代のストレス社会と逆パターンだったのだ。
ガツンと言われることはあっても、ぐちぐち誰も言わなかった。
学生時代も、笑い話をする友達はいた。
なにかの話し合いをする仲間はいた。
でも、誰かの愚痴を聞く機会は、ほとんどなかったのだ。
一般的に、カフェとかでの会話って、愚痴の言い合いだったり
する。
男性女性関係なく、営業職の人なんかは、カフェでほとんど
1日上司のくだらない愚痴を聴いて過ごす人も多いと言うが、
オレはそんなの耐えられないと思う。マイナスな発言を聞くことに
慣れてないのだ。
じゃあ、母親はどうだったのか。
母親は、暴力を振るったり、ガミガミ言う人で、今でも嫌いである。
ただ、愚痴ることだけは、一歳なかったのである。
要するに、一時的に少しカッとなってガミガミ言うだけで、
静かーーな人だったのである。
男性脳の人は、人の話を聞かない。
人に説教するのが好きなタイプだ。相談に乗ってくれと言うと、
説教で終わる。他人のストレスを自分の心に受け入れる耐性が
一歳ないケースの人だ。全部論理的「解決」を試みて、失敗すれば
怒る。
「話を聞かない男、地図が読めない女」なんていう本もあった。
基本的に、オレの周囲の人は、男性脳の人が多くを占めている。
女性脳の人は、愚痴る。話を聴いて欲しいらしいのだ。
そういう人の話を、どうやってきいていいか、男性脳のオレは
よくわからない。「話」はするんだけど、「問題」を提起して
来るのに、「解決」を求めてこないのが、女性脳の人の「話」
らしいのだ。
問題は、男性脳の人と女性脳の人が仲良くなって会話が続くように
なったケースである。
男性脳の人は、「話」をするときに、問題を解決して話を切り上げたい。
女性脳の人は、「話」をするのが「話」の目的なので、「話」が
ずっと続けたがる。
ここで、非常にシンプルなクエッションがある。
結婚や男女交際は、誰と誰がするのか。
主に男性と女性ではないか。
つまり、結婚というのは、男性脳の人と女性脳の人が長時間会話する
時間なのである。
結論から言えば、どんなに魅力的に見える男女でも、男性と女性の
「話」は、お互いに快適な型で実現しないのである。
男性脳の人が嫌々女性脳の人の「話」を「問題」が解決できないまま
ずっと聴き続けるのは、苦痛でしかないし、女性脳の人が、「話」
を「問題」を男性脳の人と共有しようとして「話」を延々と続けたがると、
男性脳の人に嫌われて縁が切れることになりかねないのである。
男性脳と女性脳は、同じ人間なのに、構造が違うのである。
もっと言えば、男性脳の男性と女性脳の女性が結婚生活を
実現させるためには、男性が「話」を聞く能力を新しく
身につけるか、もしくは、女性が、「話」をすることを
やめることを覚えるか、どちらか一方が可能にならないと
いけないのである。
男性の「話」と女性の「話」は、異言語なのである。
通じないのだ。