DLBCL 寛解から8ヶ月+2週  2024/07/01 | ボン・クラージュ_俺

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どうなる?俺の老後。悪性リンパ腫(DLBCL)は寛解したけれど・・・。

 

 

    

2023年春に悪性リンパ腫のびまん性大細胞型B細胞リンパ腫(DLBCL)ステージ4の診断を受け、Pola-R-CHP療法等を行い秋に寛解しました。

  治療開始     2023/03/17
  寛解       2023/10/16

 

 こんにちは。いつもアクセス&いいねをありがとうございます。梅雨ですね。関東地方はいまのところそれなりの降り方なのでいいですが、線状降水帯がかかっている地方の方はどうぞお気をつけください。
 

 体調報告

 

 体調報告です。末梢神経障害による手足の痺れに変化はありません。左脇腹のでっぱりは徐々にへこんでいきているように感じます。薬の効果で便通がよくなり、腸の動きも改善しているのかな。9月の診察でLDLの低下が継続していたら、薬を止めてくれるかな。

 

 

今週のおまけ

 ここから先のおまけは長いです。マニアックですのでお許しを。

 

 いきなりだが、ここから先の私の雑文は文体を変えてみたい。仕事上の文書を書いているようで、若干落ち着かないのだが試してみることにする。

 今日から7月。今年も前半が終った。独居老人はいかにも時間をもて余していそうだが、私の場合はありがたいことに逆だ。今年の後半もこのような感じで過ぎていくのか。

 さて、月一くらいのペースで映画館の大きなスクリーンで映画を観ている。先日は「おいしい給食 Road to イカメシ」を観た。平日の日中で観客は私のような老人3人。市原隼人主演で元々はテレビドラマである。中学校の教師役の市原隼人がいい味を出している。独立UHFテレビ局などによる製作委員会方式で製作されている。ドラマはシーズン3まで製作され、劇場用映画も今作で3作目である。当初は埼玉の川島町がロケ地の中心だった。今作は舞台が函館だが、変わらず川島町もロケに使われた。写真はそのポスターである。

 市原は全作に出演しているのは当然であるが、もうひとり皆勤の人がいる。給食のおばさんを演じているいとうまい子(旧・伊藤麻衣子 川上麻衣子と間違えられるのでひらがなに改名したらしい)である。いとうは45歳で早稲田大学の通信教育課程に入学し、その後は大学院に進み、現在はいくつかの企業にかかわったり、政府の委員を務めるなどしている。論文を探すと「高齢者のロコトレ継続のための,ロコトレ支援ロボットの開発」(2016年 小野田麻衣子)がみつかる。博士課程に進み方向を変えて長寿遺伝子について東大と共同研究もしていたようだが、博士号を取得できたのかはわからない。詳細を調べる時間がないのが残念である。ちなみに私は1985年発売の「伊藤麻衣子のベストセレクション」というCDを持っていたりする。いとうはパソコン好きで、パソコン雑誌に連載を持ち、インターネットの初期から自分で会社のドメイン名の取得しWebページを開設していた。恐るべしである。

 ポスターに写っている大沢牛乳は川島町のお隣の鴻巣市にある会社である。秋葉原駅と御徒町駅に今となっては貴重なミルクスタンドがあるが、これを維持運営しているのが大沢牛乳である。

 先日、松田聖子が中央大学法学部の通信教育課程を4年間で卒業したというニュースが流れた。中大の法学部は通信教育課程も超ハードで有名とのことで、どれほどの努力したのであろうか。一般人には想像もできないような仕事と学業を両立させてしまったとは。この人も恐るべしである。

 通信教育と言えば、放送大学も先日の徹子の部屋が素晴らしいPRの場になったと思われる。麻木久仁子が結構な時間をさいて自分の経験を話していた。麻木は単年度ごとに必要な科目を履修する選科履修生のようだが、せっかくなので卒業を目指す全科履修生になり、大学院まで修了してまた徹子の部屋に出て欲しいところだ。そういう自分は全科履修生ながら、卒業する気は全くなく少しずつ単位をとり、なるべく長く在籍を続けたいと考えているのだが。



 

(※鉄剣のレプリカ)


 

 先週末「国宝 金錯銘鉄剣」で有名なさきたま古墳群にあるさきたま史跡の博物館に行ってきた。退職された学芸員の方の講演を聴くために。私の知らないうちに資料館が発展して博物館になっていた。私の認識不足だった。
 埼玉県民でない方に分かるようにさいたまさきたまの違いを説明する。古墳のあるところは行田市埼玉(ぎょうだしさきたま)である。県名から書くと埼玉県行田市埼玉(さいたまけんぎょうだしさきたま)である。埼玉県ができたときにさいたまとしたわけだ。本来「」の読みは「さき」であって、「崎」や「碕」と同系統である。なぜ「さい」にしたのか。「さきたま」より「さいたま」のほうが発音しやすいような気はするが・・。
 昔、浦和市などの三市が合併してさいたま市が生まれるときに「埼玉市」という案もあり、それに行田市は猛反対した。大宮・浦和・与野の埼玉県南三市が埼玉を名乗るのはけしからんと。しかし、どうしても埼玉を使いたかった三市はひらがなのさいたま市で折り合いをつけたのだろうか。今でも行田市民は納得してような気がする。
 ところで、昨年から行田市長は元国会議員の行田邦子氏がつとめている。市名は「ぎょうだ」だが市長の名前の読みは「こうだ」である。「ぎょうだ市長のこうだです」などと受け狙いの挨拶をしているかは不明である。行田邦子は旧姓であり現在は山崎らしい。旧姓を使用しないと先のネタが使えなくなってしまうから旧姓使用なのだろうか。
 話を戻して講師の先生の話によると、長屋王木簡に武蔵国策覃(さくたん)郡とあり、転じてさきたまに変化した説や「たま(湿地)+さき(前方)=さきたま」になった説などがあり、前玉、佐吉多万、埼玉などの漢字があてられていったという。ちなみ講演の内容は1)古墳の大きさや形状、2)出土した馬冑(ばちゅう=馬用の鉄兜)、3)金錯銘鉄剣だったが、長くなるのでこのへんで止めておく。
 資料館の近くには前玉神社(さきたまじんじゃ)もある。



 古墳のひとつくらい登るなり間近で見るなりしたかったが、午後4時なので今回はやめ、古代蓮公園に向かった。公共施設の工事中に地中にあった蓮の種が二千年くらいの眠りから覚めて発芽したものが行田蓮(古代蓮)である。蓮の花の時期だが夕方行っても花が開いているのは見られない。蓮の花は早起きだから。駐車場は無料時間でラッキーだったが、引き替えに閉じている花を見てきた。写真で偶然光っているタワーは「翔んで埼玉 〜琵琶湖より愛をこめて〜」で活躍する「古代蓮の里展望タワー」である。近くにはたんぼアートで有名な田圃もあるが、ともに時間の関係で今回は見ていない。

 

(※夕方で閉じている古代蓮)

 

 この週末からツールドフランスが始まった。この3週間は、放送大学の試験期間とかぶっているうえ、docomoのオンライン学習サイトのgaccoで開始される講座もある。体調変化に気を配っていこう。

 この文体で書いたせいか、かつてなく長くなってしまった。長そうだと思ったら、途中で止めていただいくとよいかな。

 ということでまた来週。Salut!