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常不軽菩薩という人がいた・・・


かつて、東犀先生が、「常不軽菩薩」(じょうふきょうぼさつ)のことを話してくれたことがあったのです。
もう40年も前のことです。
なんでも、お釈迦さんの前世であったとか、「あなたの中にも仏性はあるんですよ~!」といつも遠くから叫んでいた人だったとか。


それで、今になって、私は「はて、常不軽菩薩って、いったいどんな人だったのかいな・・・」と思い始め、詳しく調べてみるかと思いネットで探してみたのです。

まずはウィキでは、

 

 

◆ウィキ◆
『常不軽菩薩』
常不軽菩薩(じょうふきょうぼさつ)とは、法華経に登場する菩薩である。
法華経・常不軽菩薩品に説かれる菩薩で、釈尊の前世の姿であったとされる。
釈尊の前世、むかし威音王如来という同じ名前をもつ2万億の仏が次々と出世された。その最初の威音王仏が入滅した後の像法の世で、増上慢の比丘など四衆(僧俗男女)が多い中にこの常不軽菩薩が出現したとされる。常不軽菩薩は出家・在家を問わず「我深く汝等(なんだち)を敬う、敢(あえ)て軽慢(きょうまん)せず。所以(ゆえん)は何(いか)ん、汝等皆菩薩の道(どう)を行じて、当(まさ)に作仏することを得べしと」と礼拝したが、四衆は悪口罵詈(あっくめり)し、杖や枝、瓦石をもって彼を迫害した。
常不軽菩薩は臨終が迫った時、虚空の中において、威音王仏が先に説いた法華経の20千万億の偈を聞き、六根の清浄を得て、2万億那由他という永い寿命を得て、広く人のために法華経を説いた。これを聞いた増上慢の四衆たちは、その所説を聞き、みな信じ伏し随従した。常不軽菩薩は命終して、同名である2千億の日月燈明如来という仏に値遇し、また同名である2千億の雲自在燈王如来という仏にも値遇し、法華経を説き続け、諸々の善根を植え、さらにまた千万億の仏に遇い法華経を説いて功徳を成就して、最終的に彼も仏と作(な)ることができたという。
常不軽菩薩は自身が誹謗され迫害されても、他人を迫害するどころか、仏法に対する怨敵などと誹謗し返さなかった。この精神や言動は、宗派を問わず教理を越えて、仏教徒としての原理的な行動・言動の規範としてよく紹介引用される。<了>

 

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どうもこれではよく分かりませんですので、他にも調べてみたのです。
そしたら、なんと創価学会さんのサイトで分かり易いアニメ形式の動画があったのです。

 

 

◆SOKAnet◆
(動画)「手を合わせ続けた不軽菩薩」
http://www.sokanet.jp/movies/bukkyomonogatari/jakhcj0000006x9z.html
(5分15秒)
手をあわせつづけた不軽菩薩
法華経の中に出てくる不軽菩薩のお話です。
すべての人を“仏”と信じて敬う不軽菩薩。しかし、あらゆる人に“仏性”があることを信じられない人たちは、不軽菩薩をいじめてしまいます。それでも不軽菩薩は、人びとを敬い続けました。
仏典には、他者に尊敬の念を持ち行動を続ける人が、一番強い人だと説かれています。

 

********************

 

いやぁ、よく分かりました。
なるほど、そういえば東犀先生もそんなようなことを確か話してくれていたなぁと。
(学会さん、グッジョブです)

さらには、次のようなサイトも、

 

 

◆GAIA◆
『雨ニモマケズのデクノボー原型と賢治の誓願』
https://plaza.rakuten.co.jp/jifuku/9009/

 

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初めて知ったのですが、なんか宮沢賢治さんは日蓮宗の信徒さんであったような。


そうですか、そうですか、なるほどなぁ、と。

私は「雨ニモマケズ」の詩が大好きだったのですが、その中の「デクノボー」の原型が常不軽菩薩だったとは知らなかったのです。


それにしても、常不軽菩薩ね・・・、

うむ、そうね、「あらゆる人を軽んじないでその仏性を敬う」ね、・・・、

そりゃエライなと。

 

で、紹介したいと。

 

ではでは。

人は死なない・・・

あれやこれや、書き散らかしているのですが、最後には消しているのです。

 

どうにも、「前提認識」の部分にまで議論が踏み込むと、えらいことになってしまうのです。

 

そして尻切れトンボの議論しか出来なくなって、「これじゃUP出来るしろものじゃない」と結論付けるしかなく、結局消すと。

 

 

「人は死なない」、と私は言いたいのです。

 

ですが、それが科学的知見に基づいた「証拠のある話」でないことは、もうしょうがないのです。

 

今の世の中の大勢、常識は、やはり「人は生まれて死んでお終い」の認識なんです。

サンサーラを信じる人は、それだけでも「アタマ大丈夫か?」と思われるのです。

 

知性的な人、インテリを自認する人ほど「科学万能」主義で、「唯脳論」支持で「唯物論」支持が多いのです。

 

「人は生き通す」ものであることを前提にした認識、判断と、「人は死んだらお終い」であることを前提とした認識、判断とでは、まったく逆になることもあるのです。

ちょうど、「ペンが動いているか、止まっているか」の判断が逆になるように。

 

短期的見方と長期的見方は自ずと異なるのですが、でも人は生まれ変わり出変わりするという、超長期的見方は、「人は死んだらお終い」の立場からは出てこないのです。

 

 

そういうことで、結局私の主張は、「根拠のない仮説」という烙印を押されるしかないものにならざるを得ないのです。

 

なんといっても、科学が後ろに控えていて初めて、そのロジックが正しいロジックとして認められる世の中ですので。

 

迷信じみたサンサーラは、インドであれば常識なのかもしれないのですが、日本ではそうじゃないのですから。

 

 

おそらく、「優しい左翼」の人たちは、きっと「死んだらお終い」派の人たちが多いんだろうなと、そう推測しているのです。

ま、私とは前提が違っているので、もうしょうがないんだろうなと。

 

私は、それでも「霊界」とか「天界」とか「死後の世界」があるなどということを正しいとして主張したいわけではないのです。

 

人が「生まれ変わりをする」ということと「死んだ後には霊界に行く」ということとは全く異なる話なのです。

 

ですが、そこらへんは一緒くたにされがちなのです、ちょと残念ですが。

 

何が本当に人を助けることになるのかは、「人は死なない」という前提にたって考えて初めて、その当否が吟味されなければならないことになっていると、そう主張したいのです。

 

そして、だから国はまさに「安易に」人を助けてはいけないのだと・・・

 

ではでは・・・

 

「カン、ハツを入れずに」が正解とな?

× 間髪(かんぱつ)入れずに
○ 間髪(かん、はつ)を入れずに

 

 

いやいや、これは勉強になりました。

 

◆ライブドアニュース◆
『的を“得た”? 的を“射た”? 誤用してると大恥をかく慣用句12例』
http://news.livedoor.com/article/detail/12098494/?p=1

 

 

私は国語的な問題については自信をもっていたのですが、これについては誤用していました。

 

そうですか、そうでしたか、私も「カンパツを入れずに」と使っていましたねぇ、これは。

 

でも、「カン、ハツを入れずに」って、言いづらいですねぇ、これは・・・

 

ひょっとするとこれ、「カンパツ」の方が正解ということになってしまうかも、ですね。

 

「山茶花」は、元々は「サンザカ」と読むのが正解だったのですが、江戸時代に「サザンカ」と誤用が多くなって、結局その誤用の方が市民権を得てそのまま定着したと聞いているのですが、この「カンパツを入れずに」も、なんだかそうなる運命のような気もします。

 

「雰囲気」もいずれ「フインキ」になってしまうような気もしているのですが、はて、30年先はどうなっているんだろうかと、興味深いのです。

 

ではでは。

モチベーションが・・・

大隅良典東京工業大栄誉教授が、ノーベル賞を受賞したのです。

私もこういうニュースには心からおめでとうございますと、その栄誉を祝したいのです。

素晴らしい、グッドニュースです。

 

 

 

しかし、私自身に即しますと、どうも最近はあまり調子が出ないのです。

9月以来、これまでの人生行路をしみじみ振り返っているのですが、どうもパッとした明るい展望が見えてこないのです。

 

(はて・・・・、どないしたもんやろ・・・・)、という。

 

 

東犀先生の語った「世界救済のグランドデザイン」なるものが、果たしてどこまで通用するものやら・・・・、もはやそこまでゼロベースで考えなければならなくなっているのです。

 

我が息子からは、「お父さん、いいかげんに純粋マッスグ君から卒業しなきゃダメだよ」と、以前から宣告されているのです。

ほんまに、この歳になって「トホホ極まりない事態」を迎えているのです。

 

 

(はて、・・・・、ほんまに、どないしたもんやろ・・・・)

 

 

しばらく前に、「優しい左翼はいらんのです」と書いたのです。

それに対する説明をしなけりゃいけないとは思っているのです。

 

 

ネット上では、ブレイディみかこ女史のブログでは、どうも岩波書店から新しい本が出版されたとかで、みかこ女史の一文も載っているとかで、その宣伝があったのです。

題名は、『私の「貧乏物語」』~これからの希望を見つけるために~という。

 

『貧乏を身にまとい、地べたから突き上げろ』

http://blog.livedoor.jp/mikako0607jp/

 

(へ~・・・、そうなん・・・)

 

そして今日、チキリン女史のブログを読みに行けば、そこでも貧乏話題が。

 

『インセンティブ・システムと弱者支援の違い』

http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/

 

(う~む・・・・、そうなん・・・・)

 

 

私は、アリの立場を少し離れて、そしてキリギリスの立場に向かうべきなんじゃなかろうと、そう書いたのです、以前。

 

でも、「優しい左翼はいらんのです」と、キリギリスを否定するような言葉を書いているのです。

 

どないなっとねん、と言われるべきなのです。

 

ムムム・・・・、

 

いや、書こうと思っているのです、ボチボチ。

 

ではでは・・・

今回の「朝ナマ」の感想を

注目の「朝ナマ」を昨夜録画で見たのです。
各パネラーの興味深い主張が聞けて、大変勉強になったのです、有意義でした。
それで、ネットには以下の二つのサイトが朝ナマ関係で挙がっていましたので、ご紹介したいと。

一つは、「ぼやきくっくり」さんところで、ここでは各パネラーの発言の要旨をツイッターで発信したものを貼り付けてくれていますので、ここで大体の議論は把握できます。

そしてもう一つは、小林よしのり氏のブログ。ここでは氏の感想が本音で語られているので興味深いです。

私の感想は最後に・・・

 

 

◆ぼやきくっくり◆
『朝生、パネラー発言要旨』
http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid1952.html#sequel
朝生で、天皇陛下の『ご譲位』(お気持ち表明)を含め、天皇をテーマにした討論がありました。
前回、8月末にも同様のテーマでやってたし(拙実況まとめ)、メンバーもその時と似通ってるし、今回はもういいか…と当初は思ったのですが、杉田水脈さんが出演してるじゃあーりませんか。
・・・
というわけで、結局最後まで見てしまった(^^ゞ
その中から個人的に気になった発言をツイッターに上げました。
今日のエントリーはそれの貼り付けです。
・・・
(以下略)

 


◆小林よしのりブログ◆
『「朝ナマ」の感想と、真の女性が輝く時代』
http://yoshinori-kobayashi.com/11449/
今日の「朝ナマ」は奇妙に面白かった。
皇室の置かれた現在の危機的状況を考えれば、面白いなんて言っておれるときではないのに、議論自体は面白かった。 
八木秀次が驚くべきことに「特措法では裏口退位と裏口即位になる」と認めたので、さすがに憲法の専門家の矜持は持っているのかと見直した。
・・・
(以下略)

 

*****************************

 

録画したものを、CM速飛ばしでチャッチャカ視聴したので、いまいち落ち着きのない慌ただしい感じではありましたが、それでも久しぶりに見たので新鮮な感じで良かったです。

以下、感想をランダムに。(超エラソーに)

 

①天皇制そのものに反対の立場の人は、しいていえば青木理氏一人だけだったようで、対立軸となるのが「女系賛成か反対か」という点でしかなかったようで、それだと「天皇制そのものの是非」という点に話がフォーカスされませんですので、私にはそれが一番残念なことでした。また、本来天皇制は「右系」と「左系」では大きく主張が異なり、本来左翼系は「天皇制反対」の論陣を張っていたので、そういう意味ではいつもの政治系テーマと異なって、そういう左右の対立がなくそこも残念かなと。

 

②議論は、あっちに行ったりこっちに飛んだりで、まぁゴチャゴチャと各話題を結論を一つもつけぬまま、田原氏の仕切りでどんどんすっ飛ばしていくので、まぁ~、結局散漫な印象です。
どうしてあいも変らず田原氏はそういう「チョン切り」ばっかなんだろうかと。あれじゃ議論が全然深まらないので、みな欲求不満のままなんじゃないのかと。まぁ、そういうものだと割り切って見るしかないのかと。

 

③各パネラーはさすがにボンクラはいないので、それぞれにきちんとした見解を披歴しておられたように思います。ただ、その中でも意見が対立する場面はある訳で、その対立場面でどう議論を深めるか、となると「はい、次!」となって、アホかと。

 

④田原氏が「なぜ織田信長などは天皇を廃して自分がトップにならなかったのか?」という面白いテーマを投げたのですが、これについては皆さんどうもトンチンカンな話で、私はこの議論には一番不満なんですが、しょうがないと。私がその場にいればもっとマシな話が出来たろうにと。(自賛)

 

⑤「譲位問題」については、特措法で行くべきか皇室典範そのものから変えるべきかで議論は分かれるのですが、結局この問題も結論を見ぬまま「はい、次!」と。(アホかと)
私は「特措法で十分」派ですが、小林氏とか八木氏は「そりゃあかん!」派です。
それは詰まるところ「現実重視」か「理想形重視」かの違いであって、八木氏や小林氏は理想形重視なんでしょう。でもそれだと時間がかかり過ぎて今上陛下にご退位してもらうのには遅すぎることになる、ということを彼らは軽んじて、「それはしょうがないだろう、だって憲法を変えるほどに重大なことを特措法で済ます、など絶対あかん!」という。それは「今上陛下に一日も早くご退位して頂くより、そっちの方がもっと大事。だから陛下にはそれまで辛抱してもらうしかない」という主張と解するしかないと。だって皇室典範の改正なんか2,3年で出来るはずないだろうと。なので竹田氏などは「そうではあるが、それは特措法でとりあえず決めておいて、その後に典範を変えるので大丈夫!」と言いたいのですが、でも彼らは「大丈夫じゃない!前例になるだろ!」と。(アホかと)

 

⑥天皇や皇室に「自由」はあるのか、「基本的人権はあるのか」という重要重大が議論が出てきて、ひいてはそれは「天皇制そのものが問われる」ことに繋がるのですが、その問題もいいかげんなところで「はい、次!」となる。(アホかと)

 

⑦敬語の問題。
私は「使うのがよろしい」と思っているのです。でも、マスコミ各社の中で、「我が社はポリシーとして使わない」という新聞社やテレビ局があってもいいと思うのです。そういう社は青木氏のような左派系の人々には大きく受け入れられるでしょう。それは誰も止める必要もないので止めないでしょう。でも、「我が社はポリシーとして敬語を使う」として使っているマスコミが多いのなら、「それが売れる」と判断しているのでしょうから、しょうがないのでしょう。


⑧結局、私は天皇制をどう考えるかというとき、「100年後200年後を見据えて、そこから見えてくるところを前提にして、じゃあ今をどう考えるか」ということでしか、この問題の正解は見いだせないと思っているのです。そういう長期的視点、視座にたった上で議論を組み立てていかないとあかんと。つまりは、将来日本は天皇制をどうしたいのか、どうあって欲しいと思うのか、というところにこそ議論するべき重要な点があると。
でもそういうロングスパンの話は議論としてはあまりそぐわないので、そうすると朝ナマの議題としては出せないものかもと。

 

で、まぁ、私の最終結論は、「天皇制は、そのままの形で行くのが困難になったなら、それならその段階で変えるしかないだろうと」ということです。

竹田氏の言うように、「そのままの形で行くのが困難になるのが見え見えなので、だからシステムをそうならないように今のうちから変えるべき」という主張も、その変える具体的な方法が「旧宮家の復活」ということだとするなら、それはもう「無理がある」と言いたいのです。


竹田氏は昨日は、「いや、無理でもないです、つい70年前まであったシステムです。それを回復すればいいだけです」と主張していましたが、問題はそういう「形式」にあるのでなく、それを国民の多くが「それでいい」として受け入れられるかどうか、という見通しにあるのです。
実際、600年も700年も前に分家した分家筋の宮家、皇室の一部ではありますが、そして確かにDNA的には「男系男子」の遺伝子は有している血筋ではありましょうが、でも今さらその宮家を復活させるなど、国民の多くは「それは違うだろ!」と思わざるを得ないでしょうと。
そしてまた、もう一つ、「じゃあ側室制度を復活させて悠仁親王の血(DNA)を絶やさないようにガンバル」という案も、案としては有り得ても、国民がそれを許容するかと言えばノーだろうと。

そうなると、もう悠仁親王以降については、「男子が多く生まれました、万歳!」になるのか、「残念でしたが、悠仁親王は独身主義を貫きたいと・・・」ということで、そこで男系男子遺伝子が途絶えるとするなら、それはそれでヨシとするしかないと。

 

「じゃあ天皇制は?」
「これまでのような形での存続は困難になりました・・・」
「で、じゃあどうなるの?」
「国民みんなで考えましょう!」

 

案1)女系天皇を容認する形で「これまでの有り方」を存続させる
案2)従来の天皇制を根本から変えて、「新しい皇室」を創設する、しかしそれはもう従来の憲法の枠組みを超えたものになるので、ゼロベースで考える、

 

で、私は結局(2案)で行くしかなくなるだろうと推測するのです。


付記:
田原さんが後半で思わぬ人生航路上の転向を吐露をしたのが面白かったのです。
それは、自分が実は若い時には共産主義こそ時代を制すると考えていたのに、ソ連に行ったら全然現実は違うので、幻滅してその後は共産主義に懐疑的になっていったことを告白したという。
ウム、それは言葉をかえて言えば「私はバカでした・・・」ということにも通じるのです。
ウム、そういうことを正直に言えた田原氏は、偉いなと。

 

ではでは。
 

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