1961年6月の鹿児島本線(門司港—久留米)交流電化から歴史を刻む九州の交直流近郊形電車。2005年9月までは山陽本線下関駅以東へ乗り入れしていました。新山口駅までの直通運転が終了して20年、最後の頃を振り返りました。
山陽本線を行く新山口行きの415系100番台。同駅は2003年10月に小郡から改名されたもので、415系との組み合わせは2年間見られました=小野田—厚狭、2005年
山陽本線下関駅以東へ直通していた九州の交直流近郊形電車は421、423、415系で、1987年の国鉄分割民営化後も続き、終了直前の2005年夏時点でも朝夕を中心に鹿児島本線、日豊本線との直通運転が見られました。宇部線に乗り入れていた時代もありました。
午前に下関以東の山陽本線に直通する列車は、115系、105系などの電車はもちろん、前夜東京駅を出発して1000キロ以上走ってきたEF65形、EF66形といった直流電気機関車がけん引するブルートレインとも顔を合わせていました。
EF66形がけん引する寝台特急「あさかぜ」とすれ違う415系。当時は日常風景でした=厚狭—埴生、2004年
国鉄時代からの「伝統」だった九州の交直流近郊形電車の乗り入れは2005年10月ダイヤ改正で廃止となり、下関駅以東の運用は117系近郊形電車が転入してきて引き継ぐ形になりました。
415系はその後下関駅折り返しとなり、鋼製車は22年9月まで活躍。ステンレス車体の同系1500番台は、今も下関—小倉間などを走っています。
小郡駅を折り返し日豊本線行橋行きとして走る415系=厚狭—埴生、2003年
交流電化の鹿児島本線、日豊本線から山陽本線下関駅以東への直通は、直流電化区間の走行距離が新山口駅まで約75キロあり、交直両用電車の本領を発揮するような運用でした。
個人的には415系は下関ー小倉間で乗る身近な存在で、下関駅以東へ乗り入れるシーンもブルートレインのついで程度しか撮りませんでしたが、いま思えば貴重でした。
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