九州の主力機として走り続けてきた交流電気機関車ED76形。81号機は「最後の0番台」として注目されています。個人的にも思い入れのある1両で、2024年2月に34年ぶりの「再会」を果たしました。その経緯を軸に今昔をまとめてみました。

 

 

ED76 81は長崎・佐世保線の電化開業用として1975(昭和50)年3月19日に落成しました。国鉄分割民営化ではJR九州が継承し、寝台特急のけん引に活躍。その後、83号機(2024年3月除籍)とともにJR貨物に移り、近年は貨物機として活躍してきました。

 

 

私が81号機を初めて見たのは1990年春、熊本行きの寝台特急「みずほ」でした。九州の赤い電機とお椀形のヘッドマークは、本州の青いEF65PF形やEF66形のブルートレインを見て育った鉄道少年には新鮮でした。

 

 

寝台特急「みずほ」をけん引するJR九州在籍時のED76 81=西里—熊本工大前(現崇城大学前)、1990年

 

 

 

その後ずいぶんたってから81号機が移籍したことを知り、私は再会を心待ちにするようになりました。しかし相性は最悪。時々ED76形を撮りに行っても、同機だけは全く遭遇しないのです。

 

 

運用が分かった時も、充当列車が大幅に遅れていて撮れなかったり、列車内ですれ違ったこともありました(しかも81号機の姿がちょうど見えないタイミングで…)。それでも「いつか会えるだろう」と、運用はあまり調べずのんびり構えていました。

 

 

しかし後継機EF510形300番台の量産車が24年から続々九州入りし、いよいよ出会えないまま終わる気配が漂ってきました。ED76 81は早期の運用離脱が予想されていたためです。

 

 

【参考】製造元から九州に送られるED76形の後継機EF510形300番台=2024年1月

 

 

 

2月上旬、81号機が熊本から1070レで北九州に帰ってくることが分かり、撮影には不向きな深夜の列車でしたが「ナンバーが読み取れる写真」を目標に、意を決してJR小倉駅に行くことにしました。

 

 

隣町に向かうだけで「意を決して」などとは大げさですが、1070レが小倉駅を通過するのは23時過ぎで、遅れれば駅が閉まってしまいます。また、夜の流し撮りは私には高いハードルで、高感度が苦手な古いカメラとのコンビはハイリスクでした。

 

 

この日の小倉駅では、発車時刻を過ぎた普通列車が停車していたため、暗いホーム先端で待つことになりました。JR九州アプリの位置情報で1070レらしき列車の動きが止まり、さらに表示も消えて「きょうもご縁がないか…」とあきらめかけたその時、暗闇を切り裂くヘッドライトが近づいてきました。

 

 

 ついに再会したED76 81。多くのファンの方々が日常的に見られている同機。私もようやく念願がかないました=小倉駅

 

 

遅いシャッター速度で撮る自信はなく、古いカメラで感度も上げられず…でしたが、なんとか「ED76 81」が読み取れる写真になりました。ブルトレ時代とは異なる扉も写りました

 

 

 

ようやく姿を見せてくれたED76 81。撮影時に喜びに浸る余裕はありませんでしたが、やはり再会は感無量で、技術的には拙い写真でもそれでいいと思える、心に残る一枚になりました。

 

 

量産車が次々と九州入りしているEF510形300番台は3月のダイヤ改正から少しずつ投入されています。

 

 

ED76 81は83号機の引退でいよいよ「最後の0番台」となりました。九州のスタンダード機として鉄路を支えてきたその姿を、最後にしっかり目に焼き付けておきたいと思います。

 

 

※ED76 83の引退に伴い内容を一部修正しました

 

 

 【追記

ED76 81には、深夜の再会を果たしてからは普通に遭遇できるようになりました。あれだけ相性が悪かったのがうそのようです…。(2024.4)

 

1091レをけん引するED76 81

 

 

ED76 81は2024年6月29日、門司機関区での撮影会を花道に廃車になるとのことです。同機の49年間にわたる活躍を心からねぎらいたい思いですが、国鉄以来の鉄道ファンとしては、九州の鉄路がどんどんさびしくなります。(2024.6.29)

 

 

 

※引退が決まったED76 81をまとめた本稿の続きは以下をご覧ください

 

 

 

※ED76 83は以下の記事で紹介しています

 

 

 

※姉妹ブログ「歴鉄2番線」では、ブルトレヘッドマークが復活した1984年のED76形を振り返っています