2階建ての食堂車やグリーン個室などが話題を呼び、国鉄末期からJR初期にかけて一時代を築いた100系新幹線。その後「のぞみ」が増発され徐々に脇役に回る中、古い0系を置き換えるためJR東海からJR西日本に譲渡されたG編成がありました。100系「ひかり」運転終了から16日で20年の節目に当たり振り返ってみました。

 

 

新下関駅を通過する100系G4編成のひかり179号。中央の8、9号車が2階建て車両=2003年

 

 

 

100系G編成は、供食設備をそれまでの食堂車から「カフェテリア」と呼ばれるコンビニスタイルに変更した編成です。JR東海が87年度から50本ほど増備し、同系では最大勢力となりました。

 

当初は主に東海道新幹線区間での運用が想定されていましたが、最終的には1993年に山陽新幹線の博多まで広がりました。

 

 

G2編成のカフェテリア。全盛期は多くの飲食物が並んでいましたが晩年は少なく、「こだま」では営業を休止していました=2003年

 

 

ホームでは存在感が抜群だった100系の2階建て車両(写真はG2編成)=2003年

 

 

 

93年春以降、スピードアップした「のぞみ」がメインになると、東海道区間では古くなった0系の置き換えが進みました。その際、山陽区間からの同系乗り入れを解消するために取られた措置がJR東海からJR西日本への100系譲渡で、96年度にG1〜G7編成の7本が移籍しました。

 

その後、99年度にG2編成の3両とG6編成の13両が廃車され、G2編成の5、10、14号車をG6編成の残った3両と差し替える形て新たなG2編成となりました。

 

100系「ひかり」の最末期、JR西日本に所属する6本のG編成は、唯一の定期運用でカフェテリアを営業していた「ひかり179・174号」(名古屋ー博多)に入ることで注目されました。

 

 

G2編成の東京方先頭車124-8。車番の横には西日本所属車を示す青いJRマークが見られました=2003年

 

 

 

2003年9月に「ひかり」運用から撤退した100系。JR西日本のG編成も順次廃車になりましたが、「グランドひかり」のV編成を4〜6両編成に組み替えて山陽「こだま」に転用する際、不足する先頭車両の先頭部や車いす対応設備のある車体は、再利用されました。

 

 

晩年の100系「こだま」。先頭車化改造ではG編成の先頭部が使われました。写真は2002年に改造された122-5055=2012年

 

 

 

山陽新幹線ではJR西日本の看板列車の「グランドひかり」が注目され、JR東海から回ってきたG編成はあまり目立たない存在でした。しかし、東海道区間を含む広域運用をこなし、一部車体が短編成化や先頭車化改造に使われるなど最後まで活躍しました。「助っ人」として支えた姿はしっかり記憶にとどめておきたいところです。

 

 

 

 

※2012年の100系ラストランは以下の記事で紹介しています

 

 

 

 

※姉妹ブログ「歴鉄2番線」でも100系についてまとめています