2階建ての食堂車やグリーン個室などが人気を集めた東海道・山陽新幹線の2代目、100系が16日、27年間の活躍を終えた。最後の営業列車として岡山―博多間で「ひかり445号」が運転され、停車駅では引退セレモニーが開かれるなど、多くの鉄道ファンやJR関係者らが別れを惜しんだ。私は小学~高校時代、100系の撮影や乗車でよく訪れていた新山口駅(旧小郡駅)で見送った。


れきてつ
新山口駅に入線するひかり445号。近くの小郡保育園の園児たちも出迎えた。100系の大きな車体に少し怖がりながらも、笑顔で手を振り、乗客らを和ませた。

 


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1分間の停車のあと、長い警笛を鳴らして別れを告げる100系。JR社員らは横断幕を掲げて見送った。

 


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鉄道ファンに見送られて発車する100系。この日充当されたのはK55編成だった。個人的には撮影でよく当たり、最後に乗った100系編成だったので、うれしかった。


 

目玉だった2階建て車両は既になく、岡山以西でのさよなら運転だったせいか注目度では、同時に引退した初代「のぞみ」300系に劣ったが、その分、殺伐とした雰囲気はなく、ゆっくりとお別れができた印象だ。


 

100系が登場したのは、国鉄時代の1985年。0系ばかりでつまらなかった中、そのデビューは衝撃的だった。当時、私はブルトレのファンで新幹線は専門外だったが、「ニュー新幹線」は特別で、写真を撮りに時々小郡駅に出掛けていた。


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小郡駅に停車中の100系試作編成。国鉄時代は2階建て車両に、「NSマーク」が入り、編成のアクセントになっていた。



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営業運転を始めた直後、小郡駅を通過するピカピカの「グランドひかり」。その存在感は抜群で、ホームで列車を待つ利用客からも視線を集めていた。

 


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1991年、小郡駅を発車する「グランドひかり」V7編成。今回のラストランに使われたK55編成の車両は先頭部分などを除き、このV7編成から転用された。


 

いま思えば、0系のマイナーチェンジ的な位置付けだった100系。その全盛期は長くなかったが、普通車を含め編成全体の居住性を高め、「乗る楽しみ」をもたらした。充実した設備やサービスは、日本の鉄道史に刻まれるであろう。


 

受験、上京、帰省から、旅行、ちょっとしたお出掛けまで…個人的には、優等列車の中で最も身近な「人生の列車」だった。こののち、どんなに速い新幹線が現れようと、100系の記憶が色あせることはない。

 

 

 

※姉妹ブログ「歴鉄2番線」では2002年11月23日のグランドひかりさよなら運転の乗車記などをまとめています