1982(昭和57)年に広島・山口地区向けにデビューした115系3000番台でお目見えした「瀬戸内色」。海と砂浜を表現した明るいカラーは新鮮で、地域に根差した国鉄色として定着しました。115系他番台のほか103系、113系にも広がり30年以上にわたって親しまれた塗色を、当時の写真で振り返ってみました。

 

 

瀬戸内色時代の115系3000番台。写真は中間車2両も3000番台のトップナンバー編成=防府ー大道、1989年

 

 

 

クリーム1号をベースに青20号の帯を巻いた瀬戸内色。当初は115系3000番台のみだったため、実質的には「乗降ドアが2扉で転換クロスシートの車両」を示す車体色になっていました。

 

しかし、しばらくたつと3000番台の先頭車と一緒に組まれた湘南色(緑とオレンジ色)の0番台中間車が瀬戸内色に変わりました。外観の統一が目的だったと思われますが、瀬戸内色は3000番台の「車両」ではなく「編成」を示すものとなりました。

 

 

中間車の0番台2両を瀬戸内色に塗り替えた、先頭車のみ115系3000番台の編成。外観はそろえられましたが、中間車の3扉セミクロスシートの構成はそのままでした。のちに117系改造の3500番台(2扉転換クロスシート)に差し替えられました=防府ー大道、1989年

 

 

 

瀬戸内色はJR移行後の89年頃から、こんどは同じ山陽本線で活躍する湘南色の2000番台、300番台、先頭車化改造した2両編成の550番台などにも広がりました。この時点で事実上、広島・山口地区の地域標準色になったようです。ただ、非冷房の0番台編成は最後まで湘南色のままでした。

 

瀬戸内色のクハ115-607。0番台の先頭車化改造車ですが、瀬戸内色は80年代末から、同車のような3000番台以外にも広がりました=2011年

 

 

 

さらに92年6月、関西地区から103系が下関運転所に転入し、これも瀬戸内色になりました。この4編成16両は翌93年に広島運転所に転属。同系はその後も次々と増えていき、「瀬戸内色の103系」は一大勢力となりました。

 

 

広島地区で活躍していた瀬戸内色の103系。写真のクハ103-129は関西地区(東海道・山陽緩行線)から転入した車両。左は広島快速色に変わった115系3000番台=広島駅、1994年

 

 

 

瀬戸内色は93年頃に「発祥」の115系3000番台編成の大半が広島快速色になったほか、2000番台も99年頃からの内外装リニューアルに伴い広島更新色に変わるなど、その後は徐々に減っていきました。ベテラン車で組まれた編成などは割と瀬戸内色のまま残っていましたが、最終的には2015年ごろに消滅しました。

 

 

後年はグレー色の台車を組み合わせた瀬戸内色の115系も見られました=厚狭ー埴生、2004年

 

 

103系に代わって広島地区に転入した113系(右)も一部は瀬戸内色で活躍しました。左は広島更新色に変わった115系3000番台=下関、2012年

 

 

 

30年以上の歴史を刻んできた瀬戸内色。皆さんもご存じかと思いますが、8月末にJR西日本から「懐鉄シリーズ」の第3弾が発表され、115系3000番台1編成で瀬戸内色が復活することになりました。「鉄道の日」の10月14日、下関駅9時30分発の山陽本線岩国行き普通列車から走り始めます。

 

どの車体色を好むかは世代によって異なりますが、こんどの復刻は中高年には懐かしく、若い人には新鮮に映るかと思います。私にとっては、子どもの頃に親しんだ瀬戸内色の115系3000番台に再会できるのは夢のようで、来月の運転開始が本当に楽しみです。

 

 

【追記】

懐鉄企画で瀬戸内色に戻った115系3000番台N-04編成は、10月14日から営業運転に入りました。以下のページで試運転や営業初日の写真を掲載しています。

 

 

 

 

 

※姉妹ブログでも瀬戸内色の115系、103系を紹介しています