中論.第24章.後編 | 路傍の如来   多々方聖道石  こよなき幸せの仏教     

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中論.24章.四つの優れた真理の考察.後編部分

26.もしも苦しみが.それ自体として完全に熟知されないならば.それではどうしてそれを熟知し得るであろうか…それ自体(自性)は確立しているものであると伝えられているではないか…

27.完全に熟知する事と同様に.煩悩を断ずる事.ニルヴァーナを直接に体得する事.道を修習する事も四つの果報(四果)も.この様に理に合わない事になる…

28.それ自体(自性)を固執する人にとっては.それ自体としては証得されない四果を.どうして証得する事が出来るであろうか…

29.四果が存在しないならば.果に安住している人々も.果に向かっている人々(四向)も存在しない…もしもそれら八種(八輩)の人々が存在しないならば.修行者の集い(サンガ)も存在しない…

30.また四つの真理(四諦)が存在しないが故に.正しい教えもまた存在しない…          法と集い(サンガ)が存在しないのに.どうして仏が存在するであろう…

31.汝には悟りに縁らないでも仏が在るという欠点が付随して起こる…また汝には仏に依らないでも悟りが在るという欠点が付随して起こる…

32.また汝の説によると.それ自身として仏でない人は.求道者の実践(菩薩行)に於いて.例え悟りに向かって努めても.悟りを体得する事は無いであろう…

33.更に如何なる人も.法に叶った行ない.不法な行ないを成す事はないであろう…空でないものにとって.何の成すべき事があろうだろうか… 何となれば.それ自体(本体)というものは造られないからである…

34.汝の説によると.法に叶った行ないと不法な行ないがなくても.果報が存在するわけである…汝の説によると法に叶った行ないと不法な行ないとに基づいて起こる果報は存在しないわけである…

35.或いは.汝にとって法に叶った行ないと不法な行ないとに基づいて起こる果報が存在するのであれば.法に叶った行ないと不法な行ないとに基づいて起こった果報は.汝にとってはどうして不空であるのか…

36.汝は一切の世俗活動を破壊する…汝は縁起の空である事を破壊する…

37.空である道理を破壊する者にとっては.成すべき事は何も無いことになるであろう…成す働きは起こされないであろう…そうして行為主体は何も成さないで居る事になるであろう…

38.それ自体として種々なる状態を欠いている世間は.縁起しないものであるから.不生不滅で.また常住なるものとなるであろう…

39.もしも不空であるならば.未だ得ざる者が得る事も.苦しみを絶滅させる行為も.一切の煩悩を断ずる事も.存在し得ない…

40.この縁起を見る者は.則ち苦.集.滅および道を見る…