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自分探し5「べんかい」

「べんかい」


あのねぇ どんなに上手なべんかいをしてもね べんかいは やっぱり
べんかい なんだよなぁ






「人生が暮れる」



そのうち そのうち べんかいしながら 日がくれる

自分探し2

ある自分へ
おまえさんな いま一体何が一番欲しい
あれもこれもじゃだめだ よ
いのちがけでほしいものを ただ一ツに的をしぼって 言ってみな

防空指揮所の証言 吉本さんのその4

村上中隊長には特にかわいがられた。時々仕事後の夜、「来い」というので部屋に行くと、地方人から貰ったものか、ドブロクを出して「もう、消灯だから飲め」と言われて4杯くらい飲んだ。飲んだ勢いで、秘密めいた詰もしてくれた。

無線内容はほとんどわからない。なぜなら、無線士は、発信の時は解読班(別室。下士官で無線もできる人。複数)から受け取った数字の暗号をただ打つだけ、受信の時は信号を数字に直してそれを解読班に渡すだけなので、内容はわからない。解読班はそれ

を文字に直し、係りの兵士が司令官に渡していた。無線電波は1万キロまで届いた。


交信先は道内、樺太、千島のみならず、満州、北支(中国華北)などとも可能だった。

通信は短時間にいくつかワーと入ってくるので4~5位の通信を頭に入れといてまとめて処理した。そうでないと一つ一つ処理していたら間に合わない。受けて判ったら「ナロータ」(わかった)という暗号を打ってあげる。

秘密だからその管理は厳しく、うるさかった。自分の通信は時間がきて打ち終わると、自分の名前を暗号で打って交代し

たが、通信そのものは24時間、継続しておかれていた。

●最初の勤務は釧路方面の尺別

昭和19年7月、月寒の9574部隊での教育期間が終わって、いよいよ勤務となった。最初の勤務は、釧路方面の海岸淵にある尺別(音別と白糠との間)に私ら無線通信員5名がが派遣された。そこは大きな牧場の中だった,近くに電波探知機の中隊があって
その配下に入った。敵機が来たら、探知機の地図に入る。何が何機入ったという情報が
私達に所に生で入ると、暗号無線で月寒の防空指拝所に送信した。

私らのような所を「出先」といい、道内各地の海岸線や樺太(大谷)千島、秋田にもあり、そこから月寒の本部に送る仕組みになっていた。

役割分担は3交代で切れ目なし。5人の内、3人が勤務で2人は雑用。勤務の一人は発電機を回し、二人は通信。雑役の1人は
離れたところにある電波探知機の所に走って電報をとりに行き、暗号に変える。

もう1人は食事の支度。8時間交代の24時間体制だ。そこに昭和19年7月から

9月位までの3カ月位いて、交代して昭和19年10月に月寒の防垂指揮所に戻った。

●札幌の美香保で歩兵の教育訓練

 私は正となり、一等兵になって今度は歩兵の教育(無線通信の訓練)を受けることとなった。始めは美香保のグランドの所にあった歩兵の教育部隊に1個中隊分が入力月位歩兵の教育を受けた。

1分間に打通120以上でないと正通信士になれない。正は1個中隊に半分位いたと思うが、美香保で選別されて減り、正は各教育隊にまわされた。

訓練生の内、私たち半分が月寒の防空指拝所勤務となった。

●指揮所本部地務

 昭和19年11月頃から、防空指拝所の2階で無線の仕事を始めた。そこには
参謀室があり、北部軍の樋口季一郎司令官がいた。

 司令官は近くの司令官邸宅から毎日のように朝、衛兵の護衛で指揮所まで来て二階に上がった。その後、地下1Fの作戦室に行った。そこの壁に大きな地図があった。

それにはクリスマスツリーのような電気がついていた。それで敵機の進入経路が分るようになっていた。


 昭和20年7月頃のある日、米機は厚別か清田あたりの田んぼの中に4~50センチの錫のようなものを2~300m続けて落としていった。電波妨害、電波よけである。
(その土地の人)が見つけて「変なものが‥」と警察に届けてわかった。そのご電波が届かなくなり、私らは無線の仕事が出来なくなった。
●憲兵になり憲兵隊本部で無線の仕事
 それで、昭和20年7月に試験を受けて憲兵志願に合格、中島公園にあった北部軍司令部の憲兵隊本部勤務となり、無線の仕事をした。