今日の東京は、連日の猛暑全開です。
蓮が、
とってもきれいです。
写真では赤い蓮が大きく見えますが、
実際は奥の白い蓮の方が
赤い蓮の二倍の大きさなのです。
面白いですね。
物事を正しく見ることは、
実は本当は
とても難しいことなのです。
さて、お参り後は法話を聞きましょう。
こうやって、法話を聞くことで”正しくものを見る力”を育てていく。
大事ですよね
今日の御講師は、
広島県三原市 教専寺の福間義朝(ふくまぎちょう)師です。
※青字が福間師の言葉の要約です。
<無条件に抱きしめて>
私は広島に住んでいますが、新聞は中国新聞です。
土地がら野球の広島カープの記事が大きいのですが、
そんな新聞に投書欄があります。
誰でも投稿ができるのですが、
ある時、小学1年生の加藤大樹君という男の子の作文の投稿がありました。
小学1年生なので、全部がひらがなでした。
内容ですが、
学校で「抱っこの宿題」が出たというのです。
家に帰って、誰でもいいから誰かに抱っこしてもらうという宿題です。
<だっこのしゅくだい> 全文
せんせいが、
「きょうのしゅくだいは、だっこです。
おうちのひと みんなに だっこしてもらってね」
といいました。
ぼくもみんなも「ええーっ」とびっくりしました。
だって、だっこのしゅくだいなんて、
はじめてだからです。
なんか はずかしいとおもいました。
でも、うれしかったです。
いそいで いえにかえりました。
いえにかえって、すぐ、おかあさんに、
「だっこがしゅくだいにでたんよ。
しゅくだいじゃけえ、だっこして」
とちいさいこえでいいました。
おかあさんは
「へえ、だっこのしゅくだいでたん?」と
びっくりしました。
でも、すぐ「いいよ」と
にっこりしていってくれました。
おかあさんはすわって、ぼくをひざにのせて、
りょうてで きゅうっと だきしめてくれました。
おかあさんのからだは ぬくかったです。
だっこしてもらっていたら、
ぼくのからだも ぬくくなりました。
ぼくが「おうちのひと みんなに
だっこしてもらわんといけん」といったら、
おかあさんが ちっちゃいばあちゃんに
「だっこしてやって」といってくれました。
ちっちゃいばあちゃんは わらって
「おいで」といって、だっこしてくれました。
そして、
「おおきゅう、なったねぇ」といってくれました。
つぎは おおきいばあちゃんに
だっこしてもらいました。
おおきいばあちゃんは ぼくをだっこして
「おもとうなったのう」といってくれました。
さいごは おとうさんでした。
おとうさんは いきなりりょうてで
ぼくのからだをもちあげて、
どうあげをしてくれました。
ぼくのからだは くうちゅうにふわっとうかんで、
きもちよかったです。
おとうさんは ぼくをゆっくりおろして、
ぎゅっと だきしめてくれました。
おとうさんのからだは ぬくかったです。
ぼくは またしてもらいたいとおもいました。
だっこのしゅくだいがでたから、
かぞくみんなにだっこしてもらいました。
さいしょは はずかしかったけど、
きもちよかったです。
だっこのしゅくだい、
またでたらいいなと おもいました。
さて、抱っこですが、
まずは、お母さんです。
すぐに「いいよ」と言ってくれましたね。
いつものように抱かれ慣れした、優しい肌触りと、
ほんのりとお化粧の香りだったことでしょう。
次に、おばあちゃんです。
おばあちゃんは久しぶりに抱っこをしたのでしょう。
「大きく、重たくなったねぇ」と言ってくれました。
次に、大おばあちゃんです。
「抱けるかなぁ」と心配そうに言いながらも、抱っこをしてくれました。
大おばあちゃんの温かいぬくもりが感じられました。
その日の夜は、お父さんです。
「よし!」と言って、体を大きくゆすりながら、
高く抱き上げてくれたのですね。
どの抱っこも
とっても気持ちよかった
加藤大樹君は
またこの宿題が出ないかな
そんなことを思ったのですね。
このほんわかと優しい実話のエピソードを、
私のお寺の寺報(お寺の機関紙)に掲載したら、
神奈川県の横浜から1通の手紙が来ました。
差出人は、当時88歳の近藤さんからでした。
寺報に掲載されていた「だっこの宿題」の話から、
自分のエピソードを思い出し、
思わず「教専寺に手紙を書きたくなった」とのことでした。
話は近藤さんの学校時代のことです。
近藤さんは鹿児島生まれで小学校は、
地元の名門、歴史もあり、国立である鹿児島大学教育学部付属小学校です。
そのクラスには42人の生徒がいたのですが、
42人を「一列7人」として6グループに分けて、
グループ全員のテストの平均点を競いながら、
グループ対抗の中で助け合ったり、成績を伸ばそうとしていました。
その中で、I君という少年がいました。
I君はお父さんが、
”教員で校長先生”と言うご縁の中で入学をしてきたようでした。
今思うと、「コネ」というご縁でしょうか・・・。
ですから、周りの子より学力不足があったようです。
みんなはI君がグループに入ると自分たちのグループの平均点が落ちるので、
I君がグループに入るのを嫌がります。
「こっちへ来るな」
「あっちのグループに行け」
仕方なく、I君にみんなが勉強を教えても、I君の成績はあがりません。
「なんで、できないんだ」
「また最低点か」
担任の有川先生は
みんなが助け合うことを期待していたのでしょうが、
全く効果はありません。
そこで有川先生は、
級長だった近藤さんが勉強を教えるように言いましたが、
近藤さんが丁寧に教えても、やっぱり成績はあがりませんでした。
I君は、いよいよ、誰とも話さなくなりました。
ある日、見るに見かねて有川先生が聞きます。
「I君、いったい君はどうしてしまったの?」
「話さなくなったけど、どうしてほしいの?」
その声にたまらず、I君は
「先生!抱っこして!」
と言い、有川先生にしがみつき、
気が付いたら先生の方も、I君を思いっきり抱っこして抱きしめていました。
そして両方とも涙を流していたのですが、
大きな声で泣いていたのは有川先生の方だったとのことです。
その光景を見て、クラスは一気に凍り付いたようにシーンとなりました。
そして以後、I君のことを悪く言う者は、一人もいなくなったそうです。
やがて、その時クラスメイトだった近藤さんも大きくなり、社会に出ました。
そして、近藤さんが大きな会社の役職になったときのことです。
各部署で思うように成績が上がらず、
浮いているような「お荷物」の社員がいれば、
近藤さんは自分の部署に引っ張ってきます。
「どんな人にも生活があり、家族がいる。
そのことを忘れないように」と
自分の部署の全メンバーに言って、
思いやりを持ち、助け合うことを伝えていくのだそうです。
面白いことに、受け入れていくと、
そういう社員でも成長をしていくそうです。
有川先生の無言の教えが、そこにありました。
✨ ✨ ✨ ✨ ✨ ✨ ✨ ✨ ✨ ✨
さて、
その後、小学1年生だった加藤君は
今は大学1年生になったそうです。
ですが、
当時小学1年生と言えば、まだまだ子供です。
誰にだって甘えたい。
それを
「今度、お手伝いをしたらね」とか、
「今度、100点を取ったらね」とか、
「今度、運動会で1等賞を取ったらね」とか、
ご家族は
一切の条件を付けずに、
そのままの加藤君を抱きしめていったのです。
また、
I君はあのとき、
もうどこにも逃げ場がない状態です。
追い詰められて
自分の居場所がなかったのです。
それもまた、
「今度、お手伝いをしたらね」とか、
「今度、100点を取ったらね」とか、
「今度、運動会で1等賞を取ったらね」とか、
有川先生は
一切の条件を付けずに、
そのままのI君をギュッと抱きしめていったのです。
皆さん、
居場所はありますか。
家族のいる家庭ですか、
お仕事の職場ですか、
趣味の仲間の集うコミュニティですか。
では、
それはあなたの生涯をかけて
変わらぬ場所、安心できる環境でしょうか。
それとも
条件を付けて
クリアしているから
そこにいられるのでしょうか。
そうしたら
きっとそれはいつか崩れる世界です。
私たちは
子どもも
大人も
関係なく
きっと
「こころの居場所」が必要です。
仏さまは
無条件に受け入れる
私たちに
一切の条件を付けずに
抱きしめてくれるのです。
私たちに
居場所を作ってくれるのです。
家庭も職場も趣味のコミュニティも
いつかは崩れていきますが、
その時でも
必ず
あなたの居場所があるのです。
それが仏さまのお名前を呼ぶこと、
南無阿弥陀仏
阿弥陀様にお任せしますね💛
という、
お念仏なのですね。
この世の居場所
いつでも
どこでも
あなたの居場所は
お念仏の中にあります。
それは
あなたを
無条件に
ギュッと
抱きしめていく
世界なのです。
ここからはbonbu-kokiが書いていきます。
仏さまに
包み込まれて
ギュッと
抱きしめられる感覚
これはなかなか難しいですよね。
でも、
個人的に想うのは、
一度お寺に来て頂き、
本堂にしばらく座ってみることをお勧めします。
何だか、温かな感覚に包まれてこないでしょうか。
一度、試してみてほしいと思います。
さて、
抱っこ法というセラピーがあります。
私の専門領域にも自閉症児者のための療法がありますが、
その効果はともかく、抱っこや体の触れ合いを通じて、
「情緒の回復」「こころを育てる」「自我の確認」を目指していく。
ここでは「抱っこ」の意味を、そんな意味でとらえてみましょうか。
抱っこの宿題。
加藤大樹君は自分の居場所の確認を、
人のぬくもりを通じて安心をしていきました。
I君は、自分の居場所がなくなり、最後に飛び込んだのは
それをちゃんと見ていてくれていた先生の懐(ふところ)でした。
先生はI君の感情を共有することで、優しく抱きしめてくれました。
会社で居場所のなくなった人たちも、理解ある上司のもとで、
自分の得意なことを生かして、息を吹き返したのでした。
また、チームとして助け合うことの重要さを会社の同僚が学ぶ意味でも、
居場所を失っていた人たちの存在は必要だったのですね。
赤ちゃんがお母さんの胸の中で安心して眠るように、
人には 「安心できる居場所」 や
「孤独な思いへ共感してくれる人」 が
やっぱり、必要不可欠ですね。
もし、みなさんのお子さんから、
「抱っこの宿題が出たから抱っこして」と言われたら、さて、どうしますか。
うんと抱きしめてあげましょう。
春の陽射しのような温かいまなざしと
優しい言葉を添えて。
もし、みなさんの家族、兄弟、同僚、友人から、
「抱っこしてほしいほど、淋しいんだ」と言われたら、さて、どうしますか。
大人は、
「気持ちを抱っこして」寄り添ってあげるんですよね。
お寺の清らかな空気のような、澄んだまなざしと慈悲の言葉とともに
今日もようこそのお参りでした
(画像お借りしています)