ありがとうございました! | 内から見る創価学会

内から見る創価学会

活動停止した創価学会の会員です。
今の組織に対する私の思いを書き記します。
詳しくはプロフィールをご覧下さい。

 

いよいよ今年も残すところあと僅かとなりました

 

 

本年1月に始めたこのブログですが、実はまだ1年も経っていません

 

「まだ」と思うほど、この1年は私にとってずいぶん長く感じた1年でした

 

 

当初は不信感、責任感、罪悪感、さまざまな思いが交錯し、メンタル的にもかなりきつい日々でもありましたが、こうして思いの丈を文字にして書き残してきたことで、おかげさまで気持ちはすっかり楽になり、今は充実した日々を送っています

 

 

もうある程度のことは、これまでに書いてきたつもりです

 

 

その中で、コメントやメッセージで同じような思いを持った方からの言葉は大変ありがたく、力をいただきました

 

 

本当にありがとうございました!

 

 

 

 

一方で、ある程度覚悟はしておりましたが、批判的なメッセージを送られた方も数人おられました(思っていたよりも少なかったです笑)

 

 

ただ、そんなメッセージも不思議と冷静に見ることが出来ました

 

 

むしろその方たちに共通して感じたことは、自分が信じてきた物に本当は不安を感じておられるのだなという事です(ご本人たちは絶対にそれは認めないとは思いますが)

 

 

つまり、信心を長いことやってきて、表向きは信心のおかげで功徳をいただいたとかと言いながら、それが本当に信心していたからなのか確信が持てていない

 

 

そして、自分が信心で願ってきたように幸せにはなっていないことに薄々気づいておられるのです

 

 

 

でもそれはある意味仕方ないことなのかもしれません

 

 

 

今、組織自体がその目的を失っているのですから

 

 

 

私は、信仰自体は今も悪いこととは思っていません

 

 

けれども自分の中でその対象が定まっているのであれば、何も自分の意に反するような組織の元でやる必要はないのです

 

 

 

組織の中にいて良いことは何でしょう

 

池田氏は折々の指導でよく「絶対組織から離れてはいけないよ」って言われてましたね

 

もちろん組織にとって、会員を繋ぎとめることはいちばん大事な事でしょう

 

 

「学会の組織で戦いきった人は強い。何があっても崩れない。反対に、どんなに偉くなり、社会的な地位を得たとしても、学会活動を軽視し、学会の組織から離れた人は、最後は惨めである。 その本質は、要するに見えっぱりである。そこから信心がおかしくなっていく。」

 

創価学会という仏意仏勅の幸福の組織から離れれば、どれほどわびしく惨めな人生となるか。退転者の人生を見れば明らかである。」

 

 

離れたら「惨め」

 

 

当時はこんな指導を真に受けていたのです

 

 

 

では、信心をやる上で組織の中にいた方が良いことっては何でしょうか

 

 

組織の中にいて良い所は、おそらく相互扶助、つまり助け合いの精神でしょう

 

ただ、今の創価学会の中の相互扶助など表向きだけです

 

 

あくまで組織の中で新聞を取り、座談会に行き、選挙に協力するから重宝されるだけです

 

 

もっと言うなら、新聞を人にも勧め、選挙も公明党を友人に頼み、年末には財務もするから常に誰かが気にかけてくれるのです

 

 

その証拠に、私が支援活動に対し異を唱え活動を拒否した途端、一気に誰からの連絡も来なくなりました

 

 

このまま退会してしまえば、もう全くの他人になってしまうのでしょう

 

 

退会者の方から、退会後は道で会っても挨拶もされなくなったいうお話はよく聞きます

 

 

何だか淋しいものですね(笑)

 

 

実はそんな組織の繋がりの中だけの、希薄な関係性なのです

 

 

 

しかしそんな関係ってそもそも、本来の仏教の精神からしてもおかしいことです

 

 

組織に属していようがいまいが、新聞を取っていようがいまいが、見返りなど求めず、分け隔てなく接していくのが、人間として尊い行動なのではないのでしょうか

 

 

先ほどの「創価学会という仏意仏勅の幸福の組織」という池田氏の指導が物語るように、自分たちが何よりもいちばん、尊いことをしているように勘違いさせられてしまっているが故に、いちばん大事な事を忘れしまっているのかもしれません

 

 

 

私からするとその方がずっと「惨め」に思えるのです

 

 

 

さて、そういう中、私自身、いつまでこのブログを書くのだろう思っていましたが、何と言っても11月の池田氏の突然の(?)逝去により、自分の創価に対する感情が一気に冷めたものとなってしまいました

 

 

もう長いこと表舞台に出ていなかったとは言え、やはり池田大作という存在は私にとって大きかったのでしょうか

 

絶対的カリスマを失った教団は仏像も曼荼羅もない、ただのお飾り仏壇のようです

 

 

10年以上に渡り、真実をひた隠しにしてきた代償は大きいものになるでしょう

 

 

残っているのは「嘘」と「虚飾」だけです

 

私がもう創価学会で「価値」も「創造」も今後見出すことはないでしょう

 

 

もちろんこれは、単に池田氏が亡くなってしまったからだけではありません

 

宗教法人としてはこれからも存続はしていくことでしょうけれど、私には創価学会のその先の未来がまったく見えません

 

 

気が付けば、それほど魅力のないものに変わってしまったのです

 

 

だから、創価についていろいろ語ることは、今の私にとってあまり価値がないことになってしまいました

 

 

それに伴い、このブログを閉じることも考えましたが、いろいろ考えてそれはもう少し先にしようかと思います(その理由はまた年明けに…)

 

 

来年は、今よりのんびりのペースになるとは思いますが、また感じた時に少しづつ書かせてもらおうかと思います

 

 

 

これからもよろしくお願いします

 

 

皆さま良いお年をお迎えください

 

 

BONBON

 

 

 

ありがとうございました!