仕事から帰ってポストを除くと、何やらペラペラの紙が1枚
よくあるチラシの類かと思えば、何と組織の「行事予定表」
どなたが入れて下さったかはわかりませんが
こんなんダメでしょー
少なくとも内部資料はきちんと封筒なりに入れて配布しないと
まぁ活動を止めてる自分が今さら偉そうにいう事でもないか
そう思いながら、その紙に目を通してみた
「5.3創価学会母の日記念 第13回本部幹部会」
(もう終わってるし)ww
・・・に始まり6月までまたびっしり
選挙が終わって、いよいよ折伏戦だろうか
6月末まで毎週のようにセミナーの開催のようだ
しかも毎週末!
創価学会員の日常は、この紙一枚の行事予定によってほぼ決められる
創価は休みを与えない
会員を休ませないように打ち出しの連続
ただそれは、打ち出しがなければ、もはや今の会員が自ら動くことが出来なくなってしまったのもある
もしそれがなければ、活動から解放され、籠を開け放れた鳥のように一斉に飛び立ってしまうかもしれない
少なくとも組織にとって、創価の活動の意味を考える時間(隙)を与えるのはよくないはずだ
学会活動を自転車のペダルに例えた指導を聞いた人は多いと思う
「走っているのに、一旦ペダルを漕ぐのを止めてしまえば、また漕ぎだすのには大きな力が必要になるんですよ、学会活動も一緒です」
これはスポーツでも何でも他の事にも当てはまることだが、当時は妙に納得させられたものだ
「進まざるは退転?」
人間行き詰った時には、一度立ち止まって自分を振り返ってみることも大事だと個人的には思っている
・・・・・・・・・
いつのまにか活動家は、組織からの次から次へと流れてくる打ち出しに慣らされてしまっている
もちろんやることはセミナーのように、目に見える会合の打ち出しだけではない
訪問激励の他に、座談会準備、新聞、民音、未来部、グループ長会(女性部)、池田塾開催等々
他にもやることはいっぱいある
地区幹部以上くらいになると、そんな大事なセミナーのある週末に上から「地区5名以上結集」とか言われながら、「家族で温泉行ってきます!」なんて口が裂けても言えない
旅行なんて2か月3か月前から予約するもの
そんな週末にセミナーをぶっこんだのは組織の方なのだが、使命感が邪魔をしてこれがなかなか言いづらい
わかったら後で何て陰口されるかわからない
止む無く、何か嘘の用事を作って人目を忍んで出かけることになったりする
楽しみにしていた旅行は、そんな罪悪感によりすっかり味気ないものになってしまう
さらに帰ってくる車中で「今日の結集報告をお願いします」なんてふつうにLINEが来たらせっかくの旅も興ざめだ
「そんなの気にせず楽しむときは楽しむわよ!」
なんて言える強靭なメンタルを持ち合わせている人は少ない
そう、真面目な人ほどそんなジレンマで苦しんでいたりするものだ
創価の日常