ただしき道を | 内から見る創価学会

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活動停止した創価学会の会員です。
今の組織に対する私の思いを書き記します。
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前記事の続きです

 

 

いよいよ人生初めて、自らの意思で神社に参拝したお話

 

 

最初に念のために言っておきますが、創価の信仰から離れて神社信仰に傾倒しているわけではありません(笑)

 

あくまで日本人として、今まで経験していなかったことを、今回チャレンジしてみようとの思いからです

 

 

 

宗教2世の記事でも書きましたが、何しろ神社の鳥居をくぐったら頭痛がしだすという親から育てられた私ですから、人生これまで自ら神社に行った記憶はありません

 

少なくとも大人になって行ったとすれば、会社の慰安旅行で出雲大社に行った事、あとは年始の地域の役員行事で自宅近くの神社に行った時、それも数えるほどです

 

慰安旅行の時も境内に上がることはなく、人ごみの中にうまく自分の存在を消しながら、いかにも参拝が終えたようなふりをしていました

 

 

今でこそ、創価学会は地域に合わせた行事等には神社仏閣であろうが参加することに問題はないと公言しています

 

しかし、そうは言われても、何しろそういう環境の中できていた私には、なかなか受け入れ難いところもありました

 

 

 

そもそもなぜ神社仏閣はだめなのか?

 

 

ご存じの方は多いと思いますが、簡単に言うと、太平洋戦争勃発時、軍部政府が総力戦遂行のために国家神道による思想統一を図って、伊勢神宮の遙拝や神札の奉掲を国民に強要したことに始まります

 

そこで牧口初代会長が神札の受諾を最後まで拒否したことが、創価学会では「宗祖の精神を貫いた」ということとして、神札なるものが謗法の根源という思想になったと思われます

 

 

ただ、それが本当に戦争自体を反対していたものか、神札では戦争に勝てないという考えだったかは諸説あり、非常に解釈が難しいところです

 

 

いずれにしても牧口初代会長のこの行為は、信教の自由を貫いて獄死したという風に創価学会では美談(?)として語り継がれているため、すべての神社だけでなく、神札を受諾した他宗の寺においても、参ることは謗法として厳しく言われていたようです

 

 

 

まぁ、前置きがながくなりましたが初めての「明治神宮」

 

行かれた方には言わずもがなでしょうが

 

とにかく「感動」の一言でした

 

 

 

大都会のど真ん中にいることを忘れるくらいの、約22万坪と言う広大な敷地(画像初出しww)

 

自然のままでありながら、高さ数十メートルのきちんと整備された木々の並びは圧巻で、その林の中に続く、広く長い参道を歩いて行く時は、「こんなところがあったんだ」と本当に心が洗われるような気持でした

 

相当な維持費用がかかるだろうなと思いつつ、こんな歴史的で且つ、崇高なものにこそ税金は使われるもので、他の宗教法人非課税と並べるのはおかしい

 

そんなことを考えながらワクワク感が止まりません

 

 

3つの鳥居をくぐった先に見えてきたのが拝殿

 

もちろん立派だが、決して主張しすぎず周りの緑に溶け込んだ気品あふれる建物です

 

ほんと語彙力なさ過ぎて自分でも呆れますが、うまく表現できない(笑)

 

 

見よう見まねで家族と本殿に向かい参拝

 

以前ならここで「南無妙・・・・」と唱えていたんだろうけど、

 

今回はちゃんと

 

(合格ありがとうございました!)と、言う事ができました

 

普通の人からすると当たり前すぎることとは思いますが、とにかくこの歳での人生初めての素晴らしい経験でした

 

 

帰りに「おみくじ」を引いてみました(これは小学生の修学旅行の時以来)

 

明治神宮のおみくじは吉凶を占うものではなく、すべて「短歌」形式です

 

明治天皇と昭憲皇太后が詠まれたお歌が書いてあります

 

 

さて、私が引いたおみくじは

 

 

「ならび行く人にはよしやおくるとも ただしき道をふみたがへそ」

 

(意味)多くの人々と並んで進む人生で、たとえ人々には遅れることがあっても、決して、正しい道を踏み誤らないでほしいものです

 

 

とのことでした

 

 

 

この年齢になって自分の信仰の在り方に気づいた私ですが、どうやら今からでも遅くはなさそうです

 

今の自分の信念を貫いて、自分が正しいと思う道を、楽しみながら有意義に過ごしていきたいと思っています

 

 

ただしき道を