おしまい | 注ぎ込まれる言葉(大人の発達障害・統合失調症)

注ぎ込まれる言葉(大人の発達障害・統合失調症)

頭の中に言葉が散文詩的にたまってくるので、ここに開放します

記録。

母に付き添って、総合病院に行ってきた。

母の肝臓のMRIの検査結果を聞く日で、ふたりでバスを乗り継いで、国立病院に向かった。抜けるような青空。冷たい風の強さ。

バスが渋滞でやや遅れたが、9時半の予約時間には十分に間に合った。
番号が呼ばれる前は、待合席で不安であった。母に聞くと、本人はんなんとも思わないそう。今回は一応念の為の検査であるから、ナメているようだ。

ほぼ予約時間通りに呼ばれた。診察室には入り、久しぶりに消化器内科の先生の顔を見る。そして説明が始まる。

肝臓の左の嚢胞、水ぶくれ、いびつに見える所もあるが、経過観察でOK。
右の副腎が大きくなっているが、これも経過観察。心配であれば超音波(エコー)を当てて診てもらってもいい。
嚢胞がだんだん大きくなる人もいるし、ばい菌感染して熱が出てお腹が痛くなる人もいるので、そこらへんは注意。
だからといって、そういうのが嫌だから手術しようとか、肝臓に針を刺して水を抜こうとかは、ちょっとやり過ぎ。リスクが大きい。
胆嚢のポリープの可能性は、超音波で言われたけど、MRIでは、指摘されなかった。
血液検査の数値は問題なし。

というわけで、なーんともなかったのだ。

 

思えば母は、去年の年明けくらいに、地元のかかりつけ医にお腹のエコーをとってもらって、肝臓に水が溜まっていることを主治医に指摘されたことが、すべての始まりであった。

総合病院に紹介状を書いてもらって、血液検査で腫瘍マーカーを見てもらって、エコーをとって、MRIをとって、それらを立て続けにやれば早く終わるのだが、こういう検査は間を置いてやったほうがいいのだそうで、結局一年越しの仕事となったのだ。

時を同じくして、母は急に外食に行きたい。肉が食べたいと言い出して、並行して、隙を見つけては、母を外食に連れて行く日々が始まった。寿司も食べたし肉も食った。まだまだ食べたいと母は言う。
母の外食巡りはまだ道半ば。ここで死んでしまえば心残りになる。だからMRIの結果がずっと気になっていた。
この一年、何をしていても心のどこかに母の肝臓のことが洋服についた落ちないシミのように常にうっとうしく意識された。

そういった生活も終わり、やっと自由の身になれた。もやが晴れたように。雲ひとつない青空のように。

母にはこれに油断満足せず、心身に気を遣って生きてほしい。
検査結果を聞くまで自粛していた外食も再開しよう。何軒か当てはある。どこから攻めて行くか考えるのも楽しい。

母の人生はこれから始まる。
僕と共に。