元小田急車の西武線入り、実は初めてではない? | 書斎の汽車・電車

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 小田急8000形8261Fの西武鉄道入り、その一部始終がファン諸氏によって逐一伝えられました。

 

 思えば、西武鉄道は古来様々な車輛の譲渡を受けてきましたけれど、その入線がこれだけ詳しく記録されたというのは、多分初めてではないかと思います。我が国鉄道趣味界の量的な充実ぶりがよくわかります。8261Fはこれから改造され、西武鉄道の一員となっていくのでしょう。その活躍に期待しましょう。

 

 ところで、西武線を元小田急車が走るのは、実は初めてではないかも知れません。今回はそんなお話をします。

 1970年代前半、小田急の戦前の名車、デハ1600形、クハ1650形が関東鉄道(キサハ、キクハとして使用されました)、三岐鉄道、近江鉄道に譲渡されました。また、小田急吊り掛け車のラストを飾ったデハ2100形も三岐鉄道に譲渡されています。

 その譲渡ですが、西武の所沢車両工場で改造の上、新天地へと旅立っています。元小田急車の場合、電装品は他車に流用し、車体に他社の発生品を組み合わせることも多かったようです。そして、当時のことですから、所沢工場への出入りは鉄道によった可能性が極めて高いです。(現在とは異なり、記録が余り残されていませんが)これら譲渡車は、恐らくは西武線内を走ったものと思われます。1976年以前であれば、国鉄から西武へは、新秋津ではなく国分寺か池袋からということになります。エスコートしたのはオールMの101系ではなく、「赤い電機」でしょう。

 

 所沢工場といえば、西武の車輛を製造、改造したり、他社へ譲渡するだけでなく、他社の車輛の改造も積極的に行っていましたので、元小田急車ともご縁ができたわけです。もちろん、「西武線を走った?」といっても、他社への譲渡前提でして、今回のサステナ車輛のように西武線で恒常的に走るというものではありませんが、こんなこともあったのだよという雑学的なお話でした。まかり間違っても小田急デハ1600を赤電色に塗ったりしてはいけません。