書斎の汽車・電車

書斎の汽車・電車

インドア派鉄道趣味人のブログです。
鉄道書、鉄道模型の話題等、つれづれに記していきます。

 少し間があいてしまいましたが、この長ったらしいタイトル(元ネタは某名作SF小説)の戦後編となります。前回は主に公文書を参照しましたが、今回はそうもいかず、西武鉄道OBの長谷部和夫氏の回想「西武鉄道でのこと」(『レイル』92号)に多くを依拠しています。長谷部氏は土木畑を歩まれ、最後は常務取締役にまでなられた方で、この回想も、公文書等には出てこない計画段階での裏話が豊富です。

 

 戦後、武蔵野鉄道と(旧)西武鉄道の合併で、現在の西武鉄道が成立します。主導権を握ったのは武蔵野鉄道を率いる堤康次郎です。当時、私鉄各社は独自の地下鉄建設による都心乗り入れを計画していましたが、西武だけはこの流れに加わらなかったのはよく知られているところです。各社の野放図な計画にストップをかけるべく、昭和31(1956)年8月14日付の都市交通審議会の答申第1号では、地下鉄の建設は営団と東京都が担い、これに私鉄各社が乗入れるという方向性が固まりましたが、それでも西武だけは腰が重いままでした。

 これについて長谷部氏は、堤康次郎が、営団地下鉄成立に代表される交通調整により成立した体制そのものを、宿敵五島慶太が作り上げたものであるとして嫌悪し、地下鉄乗り入れは宿敵五島の軍門に降るのと同じと考えていたと述べられています。

 

 そんな堤でしたが、5号線(営団東西線)への国鉄中央線の乗り入れが決まると、さすがに乗り入れに反対してばかりもいられず、西武新宿線下落合から東西線高田馬場への乗り入れを急遽申し入れましたが、却下されてしまったというのが長谷部氏の回想です。

 さて、西武鉄道が新宿線の地下鉄東西線への乗り入れを計画した時期についてですが、長谷部氏の回想には具体的日時は明記されていません。ただ、都市交通審議会の答申第6号が出されたのが昭和37(1962)年6月8日で、同じ年の12月22日に、国鉄と営団が相互直通運転に関する覚書を取り交わしていますから、この頃ではないかと思われます。ただ、この前年の11月14日に、営団に対し中野~高田馬場の免許が下りており、この時点ですでに中央線との乗り入れは決まっていたようですから、もう少し前であった可能性もありますが。

 

 その後、西武新宿線は、高田馬場~中井を複線のまま高架化する計画があり、昭和45(1970)年に都市計画決定をみますが、沿線住民の反対にあい事業は中止、認可は昭和53(1978)年に失効してしまいます。とはいえ、輸送力増強のために何らかの対策が必要でした。昭和62(1987)年に特定都市鉄道整備事業制度がスタートすると、新宿線の複々線化計画が動き出します。具体的には、上石神井~西武新宿に「地下急行線」を建設(途中駅は高田馬場のみ)する計画でした。昭和63(1988)年に技術的課題についての調査を開始、平成5(1993)年4月に都市計画決定の告示を受け、鉄道公団との間で工事受託協定も結ばれました。

 この「地下急行線」がどうして、地下鉄乗り入れ話と関係してくるのかというと、この線の計画が取り沙汰され始めた頃、新宿から東京までの「第二中央線」を地下線で建設するプランも浮上しており、(事業主体はおそらくJR東日本)西武新宿線の地下急行線はこの第二中央線へ乗り入れる可能性も報じられていたのでした。この乗り入れ話、もちろん正式決定ではありませんが、バブルに浮かれた当時としては、十分実現可能性ありとされたものです。

 皮肉にも、地下急行線が都市計画決定された頃には、バブルは崩壊、西武新宿線の輸送人員も減少に転じていました。さらに、地下急行線は「大深度地下」に建設されることから、消防庁に防災上の見地から換気坑の増設を求められたり、地下水の水位上昇が予想以上だったりで建設費が当初予想を大きく上回ることが判明します。結局西武鉄道は、平成7(1995)年1月に複々線化工事の無期限延期を発表しました。この計画、無期限延期のまま長らく「店晒し」になっていましたが、令和元(2019)年5月、正式中止が発表されました。

 「乗り入れ相手」との噂もあった「第二中央線」の方はというと、平成12(2000)年1月27日付の運輸政策審議会答申第18号にて、「JR京葉線の中央線方面延伸」(東京~新宿~三鷹)として正式に登場しました。ただ、JR東日本としては、中央線三鷹以遠の高架化工事を優先したことや、その後の輸送事情などからなかなか具体化はしていません。

 

 西武鉄道は、地下鉄東西線への乗り入れを諦めたわけではありません。先の長谷部氏の回想には、新井薬師前駅から東西線落合駅までの分岐線を建設し、東西線との相互直通運転を行う件について、東京メトロ側との交渉を行ったが、東京メトロと都営地下鉄の統合問題のおかげで一時中断したとの記述があります。また中野区議会も、この直通運転については前向きの姿勢であると報じられたことがあります。ただ、この直通運転、東京メトロにとってはあまりおいしい話ではないでしょう。連絡線は西武が建設するとしても、(線名は「西武東西線」?)落合駅構内の大規模な改良工事を必要としますし、これまで中野あるいは三鷹まで行っていた電車のうち何割かを西武線に振り向けるというのも現実には難しいのではないかと思われます。都営地下鉄との統合問題というのが、交渉を打ち切るための方便というのは意地の悪すぎる見方でしょうか。ただ、先日都営地下鉄と東京メトロの統合問題も一応の決着をみたようですし、今後乗り入れ構想が再燃する可能性もあります。ただそうなると、現在進行中の中井~野方の地下化工事との絡みも出てきますので、ことはさらに複雑になりそうです。

 

 こんな光景は、模型の世界だけに終わってしまうのでしょうか。(役者が古すぎますか)

 

 西武新宿線の地下鉄乗り入れ問題、いずれも正式に決定したことはなく、故に公文書の類いなどは参考にできず、このような内容になりました。しかしいまだに水面下では、様々なプランが浮かんでは消えているようです。今後実現する可能性はかなり低いとは思いますが、注視していきたいと思っています。