西武を創った男・堤康次郎の評伝 | 書斎の汽車・電車

書斎の汽車・電車

インドア派鉄道趣味人のブログです。
鉄道書、鉄道模型の話題等、つれづれに記していきます。

 今回は書評です。老川慶喜『堤康次郎』(中公新書)をご紹介します。

 

 堤康次郎といえば、西武グループを築き上げた人物です。本書はその評伝ということになりますが、主に、堤が関わった「事業」を通じてその生涯を照射しています。

 堤は郷里の滋賀県で若き日から農業経営においてその才能の片鱗を見せ、早稲田大学在学中から株式取引等で財をなし、郵便局、出版社、ゴム会社等の経営にも携わっています。その後、土地取引に進出、箱根土地株式会社(後の国土計画の前身)を設立、軽井沢、箱根の別荘地開発のほか、関東大震災前後からは東京郊外落合村の「目白文化村」を皮切りに、東京近郊における宅地開発にも乗り出します。彼が東京で最初に関わった鉄道(多摩湖鉄道)も、自ら手掛けた小平学園都市への「足」という性格が強いものでした。本書の第2章~第4章はこの時代にスポットを当てています。


 そんな堤が武蔵野鉄道(現在の西武池袋線等)の経営に関わることになったのも、沿線の大泉学園都市の開発があればこそでした。当時の武蔵野鉄道は、とにかく乱脈経営で知られ、さしもの堤もその再建にあたっては大変な苦労を強いられたようです。この鉄道の再建過程については、これまでもさまざまな文献に記されていますが、本書第5章の記述は大変わかりやすくまとめられています。それにしても、鉄道業は素人の筈の堤が、なぜ武蔵野鉄道の再建に(途中で放り出すことなく)こだわったのか、本書を読んでも今一つわかりませんでした。これに限らず、「事業を通じて語る」本書の姿勢は、堤の関わった事業への理解は深まる半面、彼の人間像を知るという意味では少々物足りない面もあります。

 

 第6章は(旧)西武鉄道を合併による現在の西武鉄道が成立と、戦中・戦後の事業を取り上げています。あの「糞尿輸送」と若き日の農業経営はやはり密接に結びついていたことがわかりました。また、復興社(西武建設)の設立と砂利・砕石事業への取り組みは、西武鉄道の貨物輸送を考える上でも有益です。

 第7章では西武百貨店の成立、豊島園、西武園など戦後の沿線開発、康次郎死後の出来事ですが秩父線開業(もちろん計画は康次郎存命中にスタートしています)あたりまでが紹介されています。この辺の事情についても、何しろ西武鉄道には「社史」がありませんから、本書の記述は有用です。

 第8章は戦後における箱根、軽井沢、滋賀県における開発ということになります。いわゆる「箱根山戦争」の時代です。こちらも初めて知るおとも多く、勉強になりました。

 

 終章は「事業の継承」と題されています。昭和39(1964)年の康次郎の急死で、西武グループの経営は「集団指導制」に移行しますが、次第に流通事業を受け継いだ堤清二と、西武鉄道、国土計画を受け継いだ堤義明という異母兄弟がそれぞれのグループを支配するようになります。著者は、義明は堤家の「家産」を受け継いだに過ぎず、康次郎の事業の「精神」を受け継いだのは「セゾン」を率いた清二であると述べておられ、いささか義明には厳しい評価をされています。これは私見ですが、堤清二は辻井喬のペンネームで、詩人、小説家(父親の伝記も書いています)としても高名であった一方、義明はあまり自らを語ることがなかったことから、二人の評価にはどうしてもバイアスがかかってしまうのではと思います。清二、義明の「退場」にも、父の康次郎の事業手法が色濃く影響しているようですが、詳しくは本書をお読みいただければと思います。

 

 本書は堤康次郎の事業を中心としていますので、政治家・堤康次郎に関する叙述は驚くほど少ないのが少々残念ではあります。戦前の立憲民政党、戦後の改進党、自由民主党等における堤の位置づけについては、政治史研究者の方の研究に期待しましょう。

 いずれにせよ、本書は西武鉄道ファン、鉄道史に関心のある方なら必読といえましょう。中身の充実ぶりはもちろんですが、巻頭の地図類が大変わかりやすく、軽井沢や箱根における開発事業や、西武鉄道の複雑な路線網などは、この地図(7頁に及ぶ)のおかげで理解しやすくなっています。

 

 中公新書といえば、これまで近現代の政治家の評伝を多数刊行し、良書が多いことでも知られていますが、とうとう経済人(堤は政治家でもありますが)の評伝も出始めました。鉄道ファンとしては、小林一三や五島慶太の伝記も読みたいものです。