新京阪の貴賓車「フキ500」 | 書斎の汽車・電車

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 毎年7月は、当ブログで新京阪鉄道に関する話題をお届けするのが何か「恒例」のようになっておりますので、今年もまた、新京阪がらみのお話をしようかと思います。

 

 昨年、『鉄道史料』誌に新京阪の幻の車輛、「P-2・P-3」について発表された林 宏祐氏が、今回も『鉄道史料』161号に、「新京阪鉄道 新聞記事が捉えたフキ500」という記事を執筆されています。昨年の記事程の「大スクープ」ではありませんが、やはりなかなか興味深い内容となっております。

 

 さて、新京阪鉄道は、本線用P-6グループの1輛として、「貴賓車」を所有していました。今回の主役となる「フキ500」です。大阪と京都を高速で結ぶ電鉄と言うことで、VIPの乗車を想定してのことでした。

 フキ500が具体的にどのように使用されたかについては、プレス・アイゼンバーン刊の『P-6 阪急でんてつデイ100物語』の中で、高橋正雄氏が、阪急電鉄に残されていた車輛手配記録から、昭和8(1933)年以降について明らかにされています。フキ500が使用されるのは年に数回といったところで、多くの場合は前後をデイ100に挟まれたMTM編成で運転されていたようです。天皇陛下(昭和天皇)の御召列車というのは残念ながらありませんでしたが、宮家が20以上あった時代のことですから、皇族方のご乗車や、近衛文麿公爵や清浦奎吾伯爵といった有力政治家の利用もありました。

 

 前述した高橋氏の記事は、残念ながら昭和8年以降の記録です。フキ500が誕生した昭和3(1928)年から昭和7(1932)年については、まとまった記録は残っていないようです。今回林氏は、昭和5(1930)年3月24日の、高松宮殿下ご夫妻が大阪(天神橋駅)から京都(西院駅)までご乗車になった記録を、当時の新聞記事から明らかにされています。

 この際の特別列車は、天神橋発14:15、西院着15:00というダイヤで、所要45分となっていたそうです。当時、新京阪の急行電車は、同じ区間を38分で走っていましたから、スピード自慢の新京阪も、VIPのご乗車に際しては多少セーブしていたのでしょうか?

 

 林氏が引用された新聞記事(4紙)には、いずれも京都(西院駅)到着時の写真が載っています。高松宮殿下ご夫妻の後方には、大任を果たしたフキ500の姿も見えますが、その塗装は、どうやら濃い茶色系統に見えます。フキ500といえば、他の車輛とは異なり黄褐色に塗られていたと伝えられており、阪急正雀工場にある同車の大型模型も黄褐色でした。今回林氏も指摘されていますが、登場時は茶色系統だったものが、途中で黄褐色に塗りかえられた可能性もあります。今後別の時代の写真が発見されればいいと思いますが、フキ500は使用時以外はシートを被せて車輛工場の奥で大切に保管され、社員でも目にする機会はほとんどなかったとのことですから、なかなか難しいかも知れません。

 

 新京阪鉄道、話題はまだまだ尽きません。『鉄道ピクトリアル』誌では近々、阪急京都線特急の特集を予定しているそうです。また、面白い逸話が出てくることを期待しています。