DG「極北戦線1941-42」ソロプレイ記録1ターン | マルコ・ポーロになりたい・その2

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DecisionGames「World at War」誌第5号の「極北戦線 The Finnish Front,1941-42」をソロプレイしてみました。

 

ゲームのテーマ:バルバロッサ作戦における1941年6月から1942年9月におけるフィンランド戦線の枢軸(独・フィンランド)とソ連の戦い。
ドイツがソ連侵攻を決めた時点でフィンランド北部を独ノルウェー派遣軍、南部をフィンランドカレリア方面軍が受け持つことが決められた。
南部では、7月23日にラドガ・カレリアで1939年当時の国境に到達しカレリア地峡では8月29日にヴィープリを占領、8月31日に1939年国境に到達、レニングラード手前で停止した。ドイツはレニングラード攻撃を求めたがフィンランドは応じなかった。ラドガ・カレリアとオロネッツ・カレリアで攻勢を再開し、9月22日にはスヴィリ川に到達して停止した。一方10月1日にはペトロザヴォーツクを陥落させ、12月5日にオロネッツ・カレリア北部のメドヴェジエゴルスクを陥落させ防衛体制に移行し一部動員を解除した。
北部では、ドイツ主導でムルマンスクの占領とムルマン鉄道の遮断を目標とした銀狐作戦が行われ、独19山岳軍団がムルマンスクを、独36軍団がカンダラクシャ~ムルマンスクを、フィンランド3軍団がルウキを目指したが独軍はソ連軍の抵抗にあい停滞、フィンランド軍はアメリカの外交圧力により前進を停止した。11月には作戦は打ち切りになった。
1942年初頭にソ連軍はムルマンスク方面とケステンガで反攻作戦を行ったが、大損害を出し失敗した。独軍はカンダラクシャ攻略を企図したが計画は立ち消えとなった。1942年中盤以降、枢軸軍の攻勢が消極的なのを見てソ連軍はフィンランド戦線から部隊を引き抜き他戦線へ転用し始めた。以降1944年まで双方本格的な作戦が行われることはなかった。

 

ゲームの概要:
・扱う期間=1941年6月~1942年9月(全12ターン)。
・扱う地域=。フィンランド全域とロシアのムルマンスク州、カレリア共和国。北はヴァーツェ、南はレニングラード、西はヴァーサ、東はベェロモルスク。
・1ターン=1ヶ月~3ヶ月。
・1ヘクス=37キロメートル。
・1ユニット=軍団、師団、旅団、連隊、大隊。中心は師団。
・特徴的なルール=サブコマンド単位の活性化(サブコマンドマーカーを引き引かれた方面軍、軍、軍団が活性化し、増援・移動・戦闘を行う。マーカーが無くなるまで続けられる)、戦闘比方式、マストアタック、強襲CRTと機動CRT(強襲CRTは損害が多く、機動CRTは潰走、追撃戦闘が多い)、戦術値(退却・潰走・浸透移動時にEZOCに入れる能力。補充の基準値にもなる)、追撃移動(戦闘後前進の代わりに戦術値分移動できる)、追撃戦闘(追撃移動した場合続けて戦闘できる事がある)、空軍力(攻撃支援、航空阻止、迎撃、航空補給)、上陸作戦(海兵ユニットが実行できる)、最高司令部表(ランダムイベント)。
・マップの大きさ=86×56cm。

 

勝利条件:(ゲーム終了時に判定、サドンデスあり)
枢軸、ソ連で別々に3つの条件が設定されている。都市・町の支配、枢軸側ユニットの完全除去など。
多くの条件を達成した方が勝利。
ちなみに枢軸軍の条件は、1.占領下フィンランドの全ての都市・町を占領、2.ムルマン鉄道上の都市・町を1つでも占領、3.シュルセリブルグまたはヴォルホフの占領  

ソロプレイの障害:
スタックの中身を見てはいけないルールと偵察ルールがあるが、まあ無視しても大きな影響はないと思う。

 

プレイの実際:

枢軸軍の方針:
 北部の独軍は空軍力の集中使用でムルマンスク、サラ、カンダラクシャの奪取を目指す。その為にソ連軍を補足撃滅する
 南部のフィンランド軍はまずはヴィープリ、ソルタハラの占領、しかる後に無理だとは思うが独軍ユニットがレニングラード脇を抜けてシュルセリブルグの占領を狙う。またできればメドヴェジェゴルスク、ペテロザボーツェクの占領も狙いたい。
ソ連軍の方針:
 1941年は野戦陣地の構築でムルマンスク、カンダラクシャ、ヴィープリ、ソルタハラを守り抜く。1942年4月の大増援で反攻に出てサラを奪回、フィンランド領内に逆侵攻する。
だが、プレイした事がなくゲームの展開がどうなるのかわからないので、とにかくプレイしてみる。

 

初期配置:
ソ連軍が先に配置。配置場所は第14軍、7軍、23軍で大雑把に分かれている。国境近くの町・都市(ムルマンスク、サラ、ヴィープリ、ソルタハラ)、道路を重点的に守る。後は国境沿いに配置。

枢軸軍は独19山岳軍団、独36・フィンランド3軍団、その他のフィンランド軍で配置場所が大雑把に分かれている。上記「枢軸軍の方針」に基づき主攻方面は重点的に配置。後はソ連軍に隣接して配置。ソ連軍が先にサブコマンドマーカーを引きマストアタックで無謀な攻撃を強いるか撤退させるのを強いる為である。

開始時の盤面

 

第1ターン(1941年6月)
以下戦線北側から戦いの推移を記述する。旅団・連隊・大隊は0.5個師団相当で計算した。
ソ連軍14.5個師団相当を壊滅させた。枢軸側の壊滅は1個師団相当と軽微だった。
1.ムルマンスク方面
ノルウェーから進入した独19山岳軍団がノルウェー派遣軍直属部隊と共に計3個師団相当で1個師団相当を撃破、追撃移動でリツァ河を渡り早くもムルマンスクに隣接。しかし空軍支援下のソ連北部方面軍と第14軍の混成部隊計4個師団相当の攻撃を受けリツァ河対岸へ退却を余儀なくされた。独19山岳軍団は空軍の支援なしではムルマンスクに隣接できないと判断しムルマンスクを南から攻めようと移動したところで終わった。
2.カンダラクシャ方面
独36軍団3.5個師団相当は空軍の十分な支援を受け2個師団相当を撃滅、サラを占領し追撃戦闘で更に1個師団相当を撃滅するもSSノルト自動車化師団を失った。続けてフィンランド14歩兵師団がアラクルッチを占領して東進。
3.ケステニガ方面
ソ連14軍2個師団相当は空軍の支援を得て攻勢準備中のフィンランド3軍団1.5個師団相当を事前に攻撃、潰走させた。しかしフィンランドカレリア方面軍直属の第1、17歩兵師団ら3個師団相当が攻撃に出てソ連軍2個師団相当が撃滅、続く追撃戦闘でソ連軍1個師団相当が潰走した。フィンランド3軍団は態勢を立て直し東進した。
4.クーモ付近
双方ともマストアタックによる不本意な攻撃で終わった。
5.メドヴェジエゴルスク方面
双方ともマストアタックによる不本意な攻撃で終わった。
6.ソルタバラ方面
ソ連7軍2.5個師団相当が攻勢準備中のフィンランド軍6個師団相当を攻撃するも撃破された。フィンランド8軍団2.5個師団相当が攻勢に出てソルタバラのソ連軍1.5個師団相当を攻撃したが潰走した。フィンランド2軍団は独力でソルタバラを攻撃できず戦闘を見送った。
7.ヴィープリ方面(カレリア地峡)
フィンランド4軍団4個師団相当がヴィープリ東方ラドガ湖畔のソ連軍1.5個師団相当を攻撃、1個師団を撃滅。続いて残りの0.5個師団も撃滅した。フィンランド6軍団3個師団相当がフィンランド空軍全機の支援を得てヴィープリのソ連軍23軍3個師団を攻撃するも失敗、潰走した。ヴィープリ東方のソ連軍2個師団相当を1個師団で攻撃、1個師団撃破したのが唯一の救い。ソ連軍23軍はヴィープリから動かず。ケステニガ方面へ展開したフィンランドカレリア方面軍直属の第1、17歩兵師団、パンゼリ旅団をこの方面に投入すべきだったかもしれない。

 

損害状況

独軍:なし
フィンランド軍:貼り付け旅団1個
ソ連軍:6個張り付け師団、4個狙撃師団、3個旅団

 

1ターン終了時の盤面