10/21住吉大社周辺の石碑と燈籠を巡る①byすみ博2018住吉観光ツアーの続きにて・・・
南海住吉大社駅から住吉大社鳥居前にやって来ました・・・
すぐ左側にある大きな燈籠は・・・
⑤うつぼ千鰯仲間
明治23年に奉納された境内で最も巨大な燈籠で、靭海産物市場の肥料問屋が奉納したそうで、千鰯は江戸時代から明治にかけて綿花栽培、菜種栽培などに重要な肥料だったそうです。
そして住吉大社へ入って反り橋を渡らずすぐ左側に行くと・・・
⑥万葉歌碑
平成3年に一般有志により建立された。住吉大社の社前は白砂青松の景勝地であり、古代より万葉歌人が度々訪れて住吉にまつわる多くの歌が詠まれているそうです。
その中から万葉歌17首が周囲のパネルに刻まれています。
↓↓裏側
この碑の下にはタイムカプセルが埋められているそうで、あと数百年後に掘り出されるとのこと。
そしてその反対側に行く途中にも大きな燈籠があります・・・
⑦和州吉野郡材木商人中
安政5年に奉納された境内で最も高い燈籠で高さは11.8mあり、舞台の上に立つ基礎3段の春日燈籠で火袋の浮彫は吉野にちなんで桜の花になっています。
・・・そしてさらに奥へ進んで反り橋の右側へ進んで橋を渡って行く途中・・・
反り橋が見えてますがその反対側から見える石碑がありまして・・・
⑧魚鱗鶴翼碑
(´ε`;)・・・ちょっとっていうか・・・全く見えにくいんですが『魚鱗鶴翼』と刻まれた自然石なんだそうです。
画像では碑の後ろが駐車場になっているのですが駐車場側には文字は刻まれてはいなくてこの橋からでないと『魚鱗鶴翼』は見れないんです!!
藤沢南岳(儒学者)の字なんだそうで、この意味は住吉大社の四つの本殿に別れ、第1~第3本宮は縦に、第4本宮のみ第3本宮の横に並ぶ配置の陣形を顕すもので『三社の縦に進は魚鱗の備え、一社のひらくは鶴翼の構えあり』
あと、ガイドさんが言ってた話で、『通天閣』という名前を考えたとか確か言ってたかな・・・
そしてまた戻りながら歩いて行くとなんと文学碑もあるのです・・・
⑨川端康成文学碑
昭和56年3月、川端康成の短編小説『反橋』の一節『反橋は上がるよりもおりる方がこはいものです。私は母に抱かれておりました』を刻んだ文学碑が建立された。
そしてすぐ隣にあるのが句碑となってまして・・・
⑩井原西鶴句碑
↓↓手前の碑に句が刻まれていました・・・
『何と世にも桜も咲かず下戸ならば』
井原西鶴は住吉大社の社殿で、一昼夜かけて大矢俳諧で23,500句の独吟を行ったそうで、その記念すべき地に真蹟を写して句碑を建立した。
その後ろにある碑もアップで写しておきましたが・・・なんの碑かは・・・?(メ・ん・)
そして次に向かった場所は・・・
⑪薩摩誕生石
源頼朝の寵愛を受けた『丹後の局』が懐妊したが夫人の北条政子から逃げてこちらに着いた時に産気づいて境内の石に取りすがり立派な男の子を産んだという。
その男の子が島津家始祖である『忠久公』です・
・・・ってなこで、後半もまだまだ続く!!
続きは次の投稿にて~ヾ(゚ω゚)ノ゛
※投稿の説明は当日もらった資料の内容を使用させてもらいましたm(_ _)m